岐部善一郎の統合失調症啓蒙日記

主に統合失調症啓蒙活動に利用してます

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番外編、邪馬台国の九州説の説明

2016-11-02 15:00:58 | 歴史
私見ですが邪馬台国の九州説の私の説としては邪馬台国=九州地方の旧国家と思っております。
ただし、九州地方の邪馬台国がヤマト王朝かどうかは疑問符がつきますが私なりの説明をさせて頂きます。
ヤマト王朝自体が九州地方で発生したのは事実だと思われます。ただし、ヤマト王朝が畿内に勢力を張った後に独立に近い形になったのではないかと思っております。
九州地方というこの呼び名は吸収された地方との呼び名ではないかと思っております。

で、貼り付けてある通り磐井の乱というのが527年から528年の間にあります。この時に、完全にヤマト王朝に制圧されたのではないかと思っております。そしてそれ以降、九州地方と呼ばれるようになったのではないかと推測します。理由の二つ目としては九州地方は九つの国から出来た地方と教わったと思いますがコレは間違いと思います。理由は、対馬、壱岐、筑前、築後、豊前、豊後、肥前、肥後、薩摩、大隅、多禰国が最初の律令制での旧国名であり、多禰国は702年から824年迄124年存在してます。つまり旧国名では九つでありなかったのです。まぁコレは私なりの考えなので異論は多いでしょうが敢えて唱えさせて頂きました。
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