紀ノ川の河口堰かの博物館に、その堰を設けるに至った歴史みたいな物が展示されていた。
どうやら昔(昭和の中頃だったかな?)に洪水があり、民家に浸水する被害があったらしい。で、そのときの空中写真が展示してあった。
写真をみると場所は紀ノ川の右岸(北側)、田んぼの中に数軒建っている家が水に浸かってた。
普通の感覚なら、「かわいそう」となるところなんだろうけれども、よくよく考えればそこは人が住むところではなかったのではなかろうか。
つまり、和歌山の市街地は紀ノ川の南岸にあり、もとより洪水の際には人家の少ない紀ノ川の北側の堤防が先に切れるように造ってある。(これは紀ノ川に限らず都市の近くにある河川なら大体そう。大和川なら南側、淀川なら北側が先に水が漏れる。)
で、その浸水している住宅は最近建った感じで、どうも田んぼを宅地造成したらしかった。
要は元々 洪水の時にはそこが遊水池のようにあえて水を川から漏らして市街地の被害を防ぐようにする設計だったのではなかろうか。
昔は田んぼの主も万が一の時にはいの一番に被害を受けることを諒解した上で耕していたのだろうけれど、いつの間にか忘れられてしまい、家が建っちゃったのではなかろうか。
そういう事情だとすると、本来はそこに水を漏らすことにより市街地を守っていたはずなのに、今度は「そこを守らなあかん」みたいな感じで堰を造っちゃった、って事では。税金の無駄遣いだ。