奇人凡人のブログ

私の道楽ブログです。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

奇人凡人のブログ

2026-10-31 | 奇人凡人のブログ(Index)

奇人凡人のブログ

分類 タイトル 分類 タイトル
1 DIY 鉄 小屋新築と増築 16 モドキ ガハハのお絵描き
2 デッキ製作 17 ガハハの作曲
3 風見鶏製作 18 ガハハのSAX
4 アイアン小物類製作 19 ガハハの紙芝居
5 エクステリア製作 20 ダイビング 佐渡 ダイビング
6 コボット製作 21 パラオ ダイビング
7 ハクビシン捕獲器製作 22 昔はね 懐かしのラヂヲ
8 ハムANT昇降機製作 23 懐かしの蒲原鉄道
9 薪ストーブ 薪ストーブ導入 24 呑んべいのむかしの話し
10 薪ストーブで遊ぶ 25 あの頃のスキー
11 薪割機 薪割機製作その他 26 自己紹介 おい、奇人凡人!
12 薪割機製作のQ&A      
13 DIYほか レンガ敷工事      
14 発電装置製作      
15 DIY木工 木工でお遊び    

 

(since 1997.9.5)  Last update 2017.12.13

コメント

おい、奇人凡人!

2017-11-25 | おい、奇人凡人!

 

この顔にピンときたら 

はじめまして、奇人凡人です。 自己紹介をさせて頂きます。


【 特 徴  】
 
終戦鶏年の6月生まれ。早起き、道楽、大酒飲み(2012年12月から断酒決行中)の単調反復人生。

一見勤勉型、賞罰なし。丸刈、紅顔、ヒゲ面。上背170センチ、B87W87H87。

A型、高所恐怖症、慢性金欠病、生活習慣病。性格温厚だが顔皮厚く羞恥心皆無。

道楽は速熱即冷型。

自給自足願望あるも野菜作り苦手で他給自足。

【 住 ま い 】

私鉄蒲原鉄道村松駅跡(平成11年10月3日廃線)より農道徒歩30分。乗合バス無。
この辺です。
 

化粧ビフォー                         化粧アフター


【 環 境 】

四方八方水田地、名峰百姿山紫水迷。霞漂う梅雨時は墨絵の如き仙人部落。部落住民皆善人(これマジ)。

年中風有。街灯無しの天然プラネタリュウム。

春夏早朝は草刈機、散布機、耕耘機機、鶏鳴声痛快音目覚効果大。カラス、雨蛙、ハクビシン、狸、どじょう多発、稀にキツネも。

秋期イナゴ随時採取可、唐揚珍味。稲ワラ焼紫煙芳香長閑。白鳥、キジ、白サギ舞降り、於農道鑑賞者多。

冬季の丑三時、除雪車出動自宅前農道は一級国道並。但し四駆と特長靴必携。

模範風紀部落の為酒屋コンビニ皆無。来訪時持込希望。

一見コンビニ店舗風。自宅は道楽でちまちま自作。露天駐車場、各室とも電、水、ガ、水洗ト付避難窓完備。

隣家遠方且二重サッシにより空桶唄い放題。但稲作病気発生の為極音痴者お断り。


自宅名物自噴井戸ミネラル水美味。

飲放題持帰り自由。麦酒常時井戸水冷却適温飲頃。強風快適冷房不要。

網戸貫通羽虫大群同居。田の消毒完全天然蚊絶発生零。


自慢自噴井戸。

自宅から約100m離れた滝谷川には、毎年11月半ば以降には鮭が遡上します。
'08年12月7日には、わずか数十mの範囲に、数十匹の鮭を確認しました。
右の写真は、うまく撮れていませんが、やっと撮った鮭の雄姿?です。
コメント

あの頃のスキー

2017-11-24 | あの頃のスキー

あの頃のスキー 


昭和51~55年の古い8ミリフィルムが数本、物置から出てきました。
映写機等と一緒に。

フィルムは、子供の成長期を撮ったものが主でしたが、
その中に、毎年恒例の、会社のスキー旅行もありました。

懐かしいので、テレシネアダプターを使って、ビデオ「あの頃のスキー」にまとめました。
若い頃の映像を、引っ張り出して来るなんて、トシですね。

下の写真は、平成26年の三川温泉スキー場。閑散としています。
 

 

コメント

呑んべいのむかしの話し

2017-11-23 | 呑んべいのむかしの話し

文武両道だったとは

  中学1年に成り立ての頃だったと思うが、教室の短い休み時間に、突如として 1 対 1 の殴り合いが始まった。教壇の脇のちょっとした広場で、K1さながらのシーンが繰り広げられた。二人は同室の者で、負けず劣らずの強面。どちらが先に手を出したかは解らないが、間違いなく勢力争いだ。その時、自分は二人を押しのけるように間に割り込んで仲裁に…なんてことはあり得なく、手に汗してちょっと身震いしながら、教室の後ろで観戦していた。先日、その勇ましいファイター伊藤さんが、奥さんと一緒に、突然わが家を訪ねて来た。当時の2倍はあろうかと思うほどのヘビー級で、あの素早い立ち回りを見せた彼とは思えない、恰幅の良い体型になっていた。「中学のとき一緒だった 伊藤幸一 だよ、オレのことわかる?」と言ってピンと来ない。少し話しをしていたら、目元の雰囲気から、50年以上も前のイメージが蘇ってきた。彼氏は親父さんの跡を継いで、板金屋さんをやってきたとのこと。その道に興味のある自分は、ほじくり出すように興味深く聴いた。帰り際に、彼はちょっと躊躇いながら、小さい茶封筒を私に手渡した。彼は、10年前に生死をさ迷う大病をしたが、その時に自分が生きていた証として何かを残さなくては…と書き綴った手記だと言う。それがここで紹介させてもらう「呑んべいのむかしの話」で、冊子の裏には確かに本人の名前があった。ページを捲るほど、あの時の荒っぽい彼からは想像もできない、細やかな文章に驚いた。第一、記憶量が凄い。自分の孫親もラヂオで広沢虎三を聴いていた。そして、自分は赤胴鈴の助や紅孔雀に胸をときめかせていたことを思い出した。老い支度のひとつとして、ビデオで自分史もどきを作ろうと、日々思いを巡らせていただけに、突然、この冊子で頭を叩かれた思いだ。彼からいきなり、「中学のとき一緒だった伊藤だけど、これからそっちへ行っていいかナ」なんてアポの電話をもらったら、怖くて電話を切ったかも知れない。板金屋さんをやって行くには、ちょうど良い強面だが、話をして、紳士でとても大きく見えた。自分だけがこの冊子に感激しているのは、とてももったいない。人脈もない自分が、この傑作を少しでも多くの人から感動してもらう方法として、ここに掲載することを思い付いた。伊藤さんはどんな形であっても公開することにためらったが、同期のよしみで無理やり頼み込んだ。勢いでここに掲載させてもらったは良いものの、お粗末なブログだけに、冊子のイメージを壊してしまわないかと心配している。原文のまま掲載させてもらったので、昔を想い出しながら、伊藤さん自筆の挿絵と一緒に楽しんで頂きたい。なお、掲載した記事の著作権はご本人にあります。無断で本文および挿絵の転用はご遠慮願います。(平成22年5月 中学の同級生 奇人凡人記)

呑んべいのむかしの話し(著 伊藤 幸一)

はじめに
六十の手習いで、子供の頃の思い出を、文章にしてみた。他人様が見たら、笑われそうな文章と誤字・脱字、句読点等がでたらめであるが、これも挑戦と思い、 恥を覚悟の上で、書き綴りました。最後まで、お付き合いの程よろしくお願いします。 

歩兵三十連隊営門
あーい、だんだん! 寄ればいいねぇがなー。カカの奴、温泉につかりに行ってなー、一人でお茶を飲んでたがなー。 寄らしぇ、寄らしぇ。一人で退屈ほんだてばなー、今年はいっぺこと雪が降らのぉて、いいあんばいだでなー。いつもだば、別所の虚空蔵様のなー、祭りになると荒れて、寒―もなって、大雪ながんだどもなァ。へぇ、ここまでこいばやー、しめたもんだぃなァ。
 
別所虚空蔵様
俺らの子供の頃、今頃の季節は道端で、竹下駄で滑ったり、落とし穴掘ったりしてたがんになァ。道がキョロンキョロンの夕方れには、足袋はいたまんま、外に走り出て、真黒になった足袋で滑ると綺麗になったがんだでなー。あの頃は、今と違って雪がいっぺこと降ったし、寒ーめかったでな。いろぶちに薪物くべた位では、寒めぇのあたりまえだがなァ。ほんにさ、早よ、村松公園の桜が咲くころになればいいどもや。ん!ほんだわなー、まだ彼岸も来ねがんに。最後に彼岸という〈寒〉がくるがなァ。これからだわい、年寄りには、もう一歩だか。おめぇは、俺らよりも少し若ーけすけに。年を取ると、一つ二つ、って言わんねがなァ。やっぱり子めら時分の頃が一番だがなー。そうだわい。俺らぁが、小学四~五年の頃だがなァ。うん!昭和にせーば、三十一、二年頃だこて。まだ戦争に負けて、これからという頃だなぁー。学校もやっと落ち着いて、勉強ができるようになった時分だがなァ。 俺らァの先生は、女ご先生だったがなァ。先生はいつも、紺色のタイトスカートに、白いブラウス、薄いネズミ色のカーデガンに、長持ちするようチリチリにパーマネントかけた、サザエさんカットの頭に、腕には白墨で汚れねように、手刺しをしてたなァ。隣の組の男先生は、三か月位も床屋に行がねような、油気の無いボサボサで、フケの浮いた頭で、襟先は丸く、首根っこもすり減った、白だか黄色ッポイがんだかわからねぇ木綿のワイシャツに、糸屑がぶら下がった白茶気た手刺しをしてや、先生達、銭んが、いかったがんだろうどもなァ。物が無かったがんだわなァ。俺らァ、男めらも、誰が着たがんだか、何人が着回したがんだか、知らねぇども、上着はツッパ、ツッパ、袖は七分位の長さで、そこから黄色っぽく、こ汚たねげな大きめな丸首シャツの袖口が、手の甲辺りまで伸びている。そうだこてぇな。親ショ、二、三年着させようと思い、でっけがん買うんだがなァ。その袖口で、鼻を拭うすけに、テッカ、テッカに、光ってるがんだがなァ。うん!ズボンは、猿の尻みたいでなー。でっけ布でつぎ当てしてたいなァ。今思うと、面白ぇ格好だったがなー。靴は、ゴムの短靴で、足に汗をかくと、中でギョロ、ギョロって足が滑って、靴脱ぐと、汗で足が白っぽくふやけて、靴の淵は、墨で書いたように、黒く線がついたがんになァ。頭は、金持ちの子めらは、坊ちゃん刈りで、後ろ頭をバリカンで刈り上げ、頭のてっぺんを長くしてやァ。普通、貧乏人は、坊主頭でなァ。みんな家で頭を刈ったがんでなー。床屋でねぇすけに、バリカンが毛をくって涙が出るほど痛ってかったでなー。だすけ頭刈りは、でぇきれぇながんだァ。女ごは、茶っぽい赤の上っ張りに、首の辺りにボタン一つで留めて、胸のポケットに、ろくでもねぇー刺繍がしてあり、親衆は女ごだすけに、少しでも愛しげにしねと、嫁の貰い手がねぇと悪―れすけに、小せぇうちから、力をいれてたがんだわなぁー。そんげ事言うても、昔の親ショのツラは、化粧もしねすけに、ぶちゃらったようなツラしてるがんに、それも親心かなァ。女ごの頭は、襟周りをバリカンで刈り上げ、頭のテッペンの毛は耳のあたりで、平らに切り揃えて、オカッパ頭。うん!そうだいやなァ。頭の毛の長い女ご達は、二日に一回位、頭が真っ白になるほど、DDTの粉を振りかけられ、シラミ退治だったがなァ。気持ち悪ぁれかったがんでな。あの頃は、内風呂も無ぇ家がいっぺぇあったすけにや。だすけ、あの頃、家族で大勢して風呂屋に行くと、銭が掛ったろすけに、三日か四日に一回位しか、風呂へ入りに行かんねかったろすけになァ。手足は、屎搔き棒の垢だらけだったがなァ。女ごの格好はなァ、腰にゴム紐がはいって、尻は太っとく、裾は短か目の、もんぺ型のズボン、靴はズックかゴム靴でねかったかなァ。半数位の女ごめらのカバンは、今ならそこらに、ほげぶちゃってあるような、、ズタ袋に、木の取っ手が付いているのが、勉強道具を入れるカバンだったでなァ。それでやー、俺らァ小せ頃、今と違って、女ごに興味がねかったすけ、良ぉ見てねかったすけ、どんげだったやら覚えてねぇーわい。男めらは、勉強道具を風呂敷に入れて、背中に斜めにして、担いで学校に行ったがんが、大勢いたかなァ。今から見ると、半分位の野郎は、浮浪児みたいな格好だがなー。うーん、うん!けー。春はなァ、柴山でねっぇ。山持ちの家から、山の木を買い、手鋸で切り倒しながら、山から運びだすがんだわなァ。一年中使う焚き物んだ!、釜戸で、まんま焚いたり、いろぶちで火焚いたりなァ。そいでもやァ、昔の衆は、「はつめ」って言うか、起用だったでー。柴を丸めて、、柔らかげな木で、くるっと回して、挟み込んで、縛るんだすけに。それを山から柴、棚木を積んでリヤカーで何回も何回も、家まで運んでたわなァ。

ほい!春欄漫!四月十九日。朝六時になると、半鐘が鳴り、消防演習だ!分かっているども、半鐘が鳴ると、火事だと思ってやー。おっかねーかった。俺らぁの家の近くによく火事があったすけになー。街中に消防のハッピを着た団員が、ポンプ車を先頭に、行進だがなァ。みんな緊張して、スマシた顔でやー。手もみポンプが、まだあったがやー。公園の池の端で、放水の準備。腕用ポンプの事、俺ら達、手もみポンプって言うったがなァ。 片側に四~五人ばかづつで、ウンセ、ウンセ揉んでたがなァ。水が七、八間位飛んだろっかなァ?演出出番にはなァ、エンジンポンプを前日に、寝ずに調整したがんだろうども、本番には、エンジンの回転が上がらず、「放水やめー!」。ラッパの鳴る頃に、やっとエンジンの回転が上がり、今まではチョロ、チョロ水だったがんが、、ホースの水を上下左右に、辛気焼きまぎれに、ハジキ付けてなァ。あたりはちかんばらこくたいで、見物客も水浸しだァ。エンジンポンプは、ラビットかトーハツのエンジンメーカーがほとんどを占めて、いたなァ。バイクも作っていて、トーハツは、憧れのバイクメーカーだったがなァ。いよいよ、消防自動車の番。紺色の半纏に、地下足袋で、池の上の足場板をとんとんと身軽に渡り、長い木の先に付いている滑車で、丸い五色の短冊が入ったかごを、ロープで引き上げて、的にする。さすが消防自動車だ。赤、青、黄色の色の入った水をはじくと同時に、カゴを弾き飛ばした。やっぱり、力があったでなァ。放水が終わると、団員が整列し、ラッパ隊が、軍隊の進軍ラッパを吹く!「トッテタッタ、トッテター」俺ら達、これを「なっちゃ、屁ふったー、サルマタ切れたー」と歌ったもんだがなァ。 深沢の車池の藪に、掘立小屋を建てて住んでいた「なっちゃ」と言う爺さがいたったがなァ。髪と髭が、白髪交じりで伸び放題。着物は、はだけ、中から茶色になった褌を出して、町のごみ箱をあさり、半分腐った物を拾って食べていた。乞食だわなァ。そのラッパに合わせ、行進だ。何かあると、「なっちゃ、屁ふったー、サルマタ切れたー」って歌うのが口癖だったがなァ。街中の店の前になァ、店の名をいれた宣伝の桃色のボンボリが立ち並んでなァ。賑やかだったがなァ。威勢の良い店屋では、でっかいボンボリの中に電気が入り。夜桜には綺麗だったがなァ。桜にはボンボリだわなァ。池の山側に、町の料理屋三―四軒位が茶屋掛けをしている。外から覗き見出来ないように、中二階建てで、中からは、粋な三味線の音色に合わせ、芸者の唄が聞こえていたがなー。銭もねぇがんに、芸者遊びで、優雅なもんだがなァ。ろくな仕事もしねがんに、昔のおやじ達は、一番威張っていて、今と違い、カカは小いそなっていたがなァ。

陰でカカ、子、青なって泣いていたがんだろうどもなァ。カカや子供に着物の一枚でも買うてやれば、泣いて喜ぶがんになァ。一般のショ達は、桜の木の下、ここは銭が掛らねすけに、一番いいがんだども。うん!兄にゃサ達、タンスから、ナフタリン臭っせ、一張羅を出して着てなァ。首には、紐のように細いネクタイをして、頭には、ポマードをビッチョリ塗りたくり、クシ目もスカーッと入った頭を、七三に分け、カカ貰う時のお見合い写真を一枚撮っておけや、と思う位の男前の仕上がりだ!兄んにゃ、片手に一升瓶ぶら下げ、小脇にゴザを挟み、仲間と連れ合い、ニコニコ顔で花見見物だ。酒なんかなァ、普段一か月の内に、一日、十五日位しか、飲まんねぇすけ、てずから顔が緩むわなァ。オー! これからだー。酒が飲める♪ 酒が飲める♫酒が飲めるどぉー♪四月は花見で、酒が飲めるどぉー♪てなもんだいなー。桜の木の下で、車座になり、大盛り上がりでやー。宴会には、演歌じゃのうて、軍歌だったでなァ。でっけ口を開けて、軍歌を、しゃなくっていたがなァ。軍歌は力強い唄い方だすけに、酒に似合う歌だわい。あっちでは、女ごの腰に手を廻しダンス!こんげ時でもねーば、酒の勢いでもねぇろが、顔赤らめてやァ。あっち、こっちで、大宴会で、何処も彼処もでも、メチャクチャだーい。消防のハッピ着たショ達も、あっち、こっちで飲み始め、酔っぱらって、大声で喧嘩する者、ふっくり返っている者、一年に一度の酒飲み大会だがなァ。俺らァ子めらは、大鳥居の脇にある水飲み場の前あたりの露天商の前で、 「へーい、らっしゃい、らっしゃい、何でも十円、何でも十円、選り取り見取り、何でも十円、二つで二十円、三つで三十円、何でもかんでも十円、持ってけ十円」渋いだみ声の香具師の口上だ。店の前に座っている俺の前に、「持って行け、ほれ」と、水鉄砲を投げた。俺らァ、今でも気が小さいどもなァ、顔を赤くし、蚊の鳴くような小さな声で「ありがとう」と受け取る。俺らァの隣の家の兄ゃさだ。それから、俺らァ達、店屋を色々回り、買い物もし、小使いも少のなったすけに、伸しイカをしゃぶりながら、家の向かう途中、ハッピ姿の消防団員二、三人が、肩を組みながら、酒に酔って、軍歌をしゃなぐり、左右にチョトラ、パタラと道幅一杯に、ジグザグ行進だ!片手にいくらも入ってねえ一升瓶をぶら下げた兄やさも、朝スカッと決めてきたのに。ザンバラ髪に、Yシャツはズボンからはみ出し、胸ははだけ、そこらへんにホゲ転んだのか、泥だらけのズボンだ。一張羅が台無しだがなァ。片一方では、若―け女ごが、ドーボコに、ツッタタルような格好をし、ゲェゲェだ、嫁の貰い手がねぇこてやなァ。酔っ払って、池に落ちて、ビショビショになった仲間を切なげに介抱してるガンもいた。 公園中に、スピーカーから流れる民謡と、酔っ払いの怒鳴り合う怒号で、騒然としていたがなァ。村松公園付近は、酔っ払いの巣となっていた。おう!。悪れ、悪れ、気が利かのぉてなァ。人の呑んだ話しばっかりで。 ほれ!これはやァ、正月に親類の、若け者んが持って来たんだ。「珍しい酒が手に入ったすけに、冷やで呑むといいでぇー」って置いてったがんだ。酒の良し悪しは、冷や酒が一番良―分かるこてやァ。親の小言と冷や酒は、後で効くって言うがんになァ。ほい!呑まっしぇ、何んにものぅてなァ。カカでもいれば、ほんにさなァ、鯛の刺身でも、買いにいかせるがんだどもやァ。コッコでも、かじりながら、空けらればいいねっけ。歯いいろげぇなァ。茶碗酒で悪れども、呑まっしぇー、呑まっしぇー。歯、目、チョンて、言うてなァ。年を取ると段々にあちこち悪ろなってなー。チョンが駄目になって、しばらくするとなァ、お迎えが来る段取りをしねばねぇし、年取ると小忙しい日が続くでぇ。 酒も遊びも、中途半端のショばっかだァ。いつまでも、ピクタラ、ピクタラしてるがんになァ。具合悪―ろなっても、若けぇショ、銭ん稼ぎが忙しいすけやー、年寄りの面倒なんか看らんねぇでぇー。ほんにさァなァ、年寄りの施設にブチ込まれるのが、関の山だこてやァ。体中、管だらけになって、物事が、分かるがんだが、分からねがんだか、目ん玉だけでっこして、アパーンと口開けて、よだれ流してなァ。天井とニラメッコしていてもなァ。始まらねぇしなァ。小便、糞、垂れ流して、考えただけでも、ゾーッとするわいなァ。 また、そうでねば、背中に酸素を担いで、酒の代わりに酸素呑んでか?好きな酒いっぺこと呑んで、好きなこといっぺ事して、お迎えが来たら、呑み残した酒を一気にあおり付けて、パタンと逝かれればいいがんだどもなァ。 うん!。だすけに、いっぺこと呑めてば!ほい、空ければいいがなァ。最近、年取って、一年が、早―えすけになァ。一年なんかアッ!という間だい。頭の半分ボケが入って、毎日朝から晩まで、ボケーと過ごしているすけになー。

旧村松小学校
だすけ、早ぇがんだろーかなァ。年取ると考える事ねぇすけなァ。うん。ま!まァ、がんばらねばなァ。うーん、学校けー。学校は、村松小学校だがなァ。学校は、遊びに行くところだと思い、勉強なんかしので、遊んでばっかしいたがなァ。時間中に背の低い女ご先生が、背伸びして、黒板に向かい、一生懸命何かを言いながら、黒板に棒を差しているが、俺らァ、何にも耳に入らねぇー。ただ黒板の脇にある時計と、窓の外を、交互に正気なく、ぼんやりとながめているだけで。早く終わりの鐘が、鳴らねかなァとばっかし思っていると、小使いの爺サが、「カランカラン」鐘を振ってきた。終わりだ!先生は、まだ黒板に向かって、何か言ってるが、隣の組はとっくの昔に終わり、廊下で騒いでいるがんに。俺らっての先生は、頭の悪れがんを少しでも良く覚えさせようと、一生懸命なのか、早よぉ、俺らァ、遊ばねばねぇすけなぁ。足がバタ、バタ動く。勉強道具をカバンに、ちゃっちゃと仕舞い終わりを待つ!すると、女ご先生が、顔の脇で、両手でパンパンと「終わります。宿題忘れた人、掃除が終わったら、居残って終わって行くように!」先生は、簡単に言うどもなァ、俺らァにも、都合があるがんになー。忘れたがんでねぇがなァ、遊びが忙しょうて、宿題する暇がねかったがんだがなァ。 放課後に、グランド脇の、大きな柳の木の横にある遊動円木か、三角ベースの野球か、ドッジボールで遊ぶつもりだったのになァ。今日は、遊動円木で、ガチャ掛けるつもりだったのになァ。ガチャってけぇー、遊動円木に、背中を丸め小んこなって、取っ手にしがみ付いている奴を、精一杯枠にぶつかるほど漕ぐと、ガッチンガッチャン言わせるがんだなァ。気の小いせい野郎めらや、女ごめらは、お怖っかのうて、傍で見てるだけだったがなァ。その遊びも出来ねかったしやー。学校は仲間がいっぺいて、遊ぶ事がいっぺあって面白しぇかったがなァ。うん!春はなぁー、楽しみな遠足だァ!前の日から、嬉しょうてなァ、眠ぇらんねかったがなァ。勉強をしのて、遊びに行くがんだすけになァ。家ショが、お椀山盛りに、御飯を入れ、真ん中に、梅干し二つ三つ入れ、釜の蓋をひっくり返し、そのうえで、くるくる廻し、丸くして、上下ベチャラッコした、でっけぇ握りまんまの出来上がりだ。それを二つに、夏ミカン1個、それに森永のキャラメルとガム1個を、リュックに入れて、今と違い、賞味期限なんか、ねぇ時代だすけに、キャラメルの紙が剥げのぉてやァ。紙ぐちら、ぼうばって、後で紙だけを、ほき出すすけになァ。 ガムも同じだったがなァ。それでも、歩いて疲れた後はうんめかったわなぁ。

水筒は、軍隊みたいな色で、蓋に方位磁石が付いていたが、使い方がよぉ分からねがんになァ。でっけぇ握りまんま一つで、腹くっちょになり、残った握りまんま一つと、皮が剥けのて食わんねかった夏ミカン一つ、帰り荷物だ、まぁお土産だこて。遠足に新しい靴買って貰ったが、マメを作って足を引きずってなァ、痛とうて歩かんねかったがなァ。いいとこのショのおカカめら、二~三人が良い着物に、羽織をしょって、真っ白い足袋に下駄をはいて、遠足に付いて来ていた。そのカカめら、校長先生に、べったりと、色目を使っていたなァ。カカめら相手に、先生達は、帰りに一杯ってところだ。俺らをダシにして。 うん!疲れ知らずのカカめらだわいなァ。自分とこの子供のために、一生懸命に校長先生や先生達に、愛想を振りまいていたんだがなァ。あの頃は、いいところのショは、先生方に付け届け、いっぺしたがんだろうども。それから、うん!は、一番、夏休みだがんになァ。夏休みには、魚釣りに、ドジョウおさいだァ。魚釣りには、城川と九十九曲がりが良く釣れたなァ。「大蛇池は、底なし沼だすけに、近付くとズブ、ズブと池にはまり、動かんのなって、引きづり込まれちゃうぞー。新潟の白山神社の池の底に続いているがんだてやァ」と、脅かされていたから、近くには行がねがったが、池の水は、はっけかった。だすけ、大蛇池は、お怖ねぇところだすけに、あんまり近づかなかった。ドジョウおさいは、俺らァ、下手くそで駄目だった!親ショが、金網のドジョウ網のざるや、ドジョウ入れる小さめの茶摘みカゴを、買ってもらったが、ざるの中に、ドジョウに混ざり、色々な虫がいっぺこと入るのが、気持ち悪ーろて駄目なんだァ。今でも同じで、犬や猫、生き物おっかのうて全部駄目なんだァ。蛭が足に吸い付くとなー、触ればヌルヌル、引っ張れば、伸びるしなァ。やっと取れたと思えば、血が出て、痒よぅてなァ。思い出しても、気持ち悪いがなァ。中学生位になると、いっぺことおさえて、学校町のドジョウ屋(木山屋)へ、売りに行ったがんだども。俺らぁは下手くそで、少ししかか獲れなかったすけに、家のショが、五十円位で、買うてくれたもんだがなァ。それから、夏休みは、水泳ぎだわやなァ。良いところの野郎めらは、親ショと、バスで川内の東光院へ行ったがなァ。

俺らァところは、東光院様と親類だすけに、親ショと行ったども、仲間が一緒でのぉてやァ。 親ショと遊んでても、面白しょねかったがなァ。やっぱり、仲間と矢津の早出川が一番いかったなァ。中学生と自転車に、二人乗りでなァ。 あの頃、一軒に一~二台しか、自転車がねかったがなァ。俺らァとこ、自転車屋もしてたすけに学生野郎めらが、自転車を目当てにして、俺らァを乗せて川へ行ったがんだ。水泳ぎの行きしなに、よその畑から、ジャガイモをかっぱらって持っていくがなァ。川に着くと、土手に自転車を転ばし、タイヤが熱ちょなってパンクしねえように、自転車のタイヤにモチ草を掛けてなァ。あの頃、道路は、まだ舗装してのぉて、砂利道ばっかだったすけに、よくタイヤがパンクし、俺らところみないな自転車屋は、今と違い儲かったんだわなァ。川に来るとき、かっぱらって来たジャガイモと、ヤスで突いたカジカを焼いたがんを貰い、ホウホウいいながら、食ったもんで、うんめかったがなー。中学生の野郎めらと、川の向こう岸から、土手によじ登ると、先に桑畑があり、桑の実の〈かんご〉取りだった。俺らァ、初めて食ったがんだども、かんごの実の小さいぶつぶつの先に、毛みたいなガンが出ていて、何か虫みたいで、ざま悪ろて、食わんねかった。一つ二つ食うたがんだども、どうも気味が悪ろうてなァ。 土手に座って見ていると、中学生の野郎めらが、でっけぇ葉っぱに、かんごを乗せて、持ってきてくれたもんだ。みんなが、口の周り、真っ赤にして、腹ふっとつ食っていたがなァ。俺らァ、炭みたいなジャガイモのほうが、よっぽど良うて、うんめかった。

何に使ったがんだか分からねども、ぼっこれた船が、あっちこっちに何艘かあったがなァ。うん!よっぱら泳いだ帰り道、清水が出ている爺々川、婆々川を越えて、矢津の八幡様の急な坂を登り下がると、佐藤りんご屋の前の家に、つるべ井戸があったなァ。ロープに四角い台形の桶を、天井にある木で出来た滑車に吊るし、井戸の水をく汲み上げるがんだ。俺らァが、しても、桶に水がいっぺこと入らねかったども、水がはっこて、うんめかったがなぁ。りんご屋のショは、俺らァ達のことを、うるさがり、怒られたがなァ。「水を飲まして下さい」って言うがんだどもやー。

あそこは、井戸ポンプで、いっぺこと汲まねぇと、ぬるまっけかったがなァ。あっちこっちで、道草食って帰ったが。家に着くと、疲れて、体がだーろうなってなァ。座布団の上に、ながまっていると、親が心配して、味噌を付けた握りまんまを作ったり、親戚付き合いの近藤菓子屋からパンを買ってきたり、大騒ぎしてたったわいなァ。 俺らァ、小せい頃、ビオタラ、ビオタラして、すぐに具合が悪くなるとすぐに親の知り合いの大手の金子医者が、往診に来たすけになァ。普段は、人一倍元気ながんだども。俺らァ、一人倅だったけなァ、大事にしてたがんだろう。あの頃、へぇ、漫画の月刊誌を毎月取ってくれたり、何でも買うてくれたがなァ。銭もねかったがんだろうどもやー。両親が、亡くなってから、つくづく大事にされてたがんだなァと、思ったが、後の祭りだ。 夏休みも、終わりに近づくと、宿題がなァ、なんにもしてのぉて、困ってしもた。夏休み帳は、隣の中学生の姉が、書いてくれたものを写したもんだ。日記は、そうはいかねぇすけになァ。だすけに、毎日同じ文句だ。「朝起きて、ラジオ体操に行き、朝のまんま食うて、いっぺこと遊び、疲かれたすけに、昼寝をして、夕飯食って、風呂へ入って、寝ました。」ってな書き方でなァ。毎日少しづつ二、三行変えて書いて終わりにしてたがなァ。漢字の書き取りを、帳面に一行づつ同じ文字を書きながら、覚えるようにって、言われてたが、書くだけでって言うよりも、写してるだけだったわなァ。うん!冷蔵庫もねぇ、扇風機もまだねぇ時代だすけなァ。代わりに渋団扇で、裏に店屋の宣伝がかいてあったなァ。店屋が、中元用にくばったがんだァ。手が疲れるほど仰いでも、ちいとも汗が引っ込まねかったがなァ。そげんげ訳で、あんま暑っちょてやァ、店の銭箱から、銭かっぱらって、蒲原鉄道の駅前にあるキャンデー屋で、ボンボンキャンデーを買いに走るがなァ。少し厚めのゴムの風船の中に、ジュースみたいな飲み物を入れて凍らしたキャンデーだ。

硬っとてなァ、氷の固まりだったがなァ。冷っこてなァ。下手すると、ゴムが切れて、落としてしまうと、チャッチャと、家に帰り、井戸水で洗ってなァ、茶碗に入れて、大事に食ったもんだがなぁ。夏休みが終わり、学校へ行くとなァ、男めらが、真黒く日焼けして、大人びた体つきになったようで、眩しく見えたがんになァ。女ごは、少し小奇麗になって、ませて女ごらしく、おしゃまに見えたいなァ。 うん!天高く、馬肥える!空が一番綺麗な季節だわいなァ。野には、ススキの穂が揺らぎ、山には、山桜の葉が薄らと色づき始め、田圃には、残り少ない稲がある頃、百姓やの裏のハデ場で、稲こきが始まってる。稲こき機に、発動機のベルトが掛けてなァ。

ポン、ポ、ポン、ボポポボォーって、今にも止まりそうなエンジンの音でなァ。エンジンの上にある冷却水が、沸騰し、浮きが、ピョコピョコ上下してるがなァ。よっぽどの、大百姓でねぇば、発動機は、銭んが高こぉて、買わんねかったがんだろう。こ汚ね手拭いで、ねじり鉢巻きに、キセルで咥え煙草、胸を張って、自慢げなとっつぁが、稲を扱いでいたがなァ。少し離れたハデ場の下で、腰の曲がった意地腐れ気な婆さが、落ち穂拾いをしていたり。そのそばに嫁が青白い顔の額の汗を拭い、姑婆サの顔色を窺いながら、ゴザに寝かしたおさな子に、乳を含ませていたがなァ。姑婆サに、グダ、グダと小言を言われても、とっつぁ知らん顔だがなァ。昔の嫁は、小いそなって、可哀そうだったがんになァ。だすけに、俺らァ、一人留守番して、カカを温泉にやって、大事にしてるでぇ。秋の日は、つるべ落としと言うが、百姓家も、一服なしで働いてるがんだぁ。俺らァ、子めらも、日が暮れるまで、泥だらけになりながら、一生懸命に遊んでいたわなァ。 街灯が、ちいとばかし、しか無ぇかったすけに、日が暮れると、町中真っ暗だがいなァ。おっ!秋は運動会だ。運動会が近付くと、勉強もしのて、毎日毎日練習だったなァ。五十メートル走に出たがんだどもやァ、俺らァ、走る前から心臓が、ドッキン、ドッキン、胸はバックンバックン、足はガクガク、心臓が口から出そうな程、緊張してたわなァ。だすけに、俺らァ、頭がパニくってしまい、スタートが、人より遅くなってなァ。せっかく、親ショが、お稲荷とノリ巻きの寿司に、蓮根と油揚げ、サトイモなど、いろいろ入った煮物や、蒲鉾等が、いっぺこと入った重箱をたがいて、応援にきたどもやァ。

俺らァ、決まりが悪―れかったがなァ。ゲッポのほうばっかりだったすけになァ。 俺らァ、お昼には、親ショが持ってきた重箱の御馳走を食ったがやァ。百姓家の親ショは、稲刈りが忙しょうて、運動会ずらねぇーすけに、子めらは、教室で、先生と一緒にお昼食ったみたいだったなァ。俺らァ、親に似ず走り競争は、遅せかったすけになァ。親は、青年会時代陸上選手で、賞状もあったどもなァ。俺らァ、気が小そうてなァ、駄目だった、走る前から負けていたすけになァ。教室に閉じ込められ、勉強をしんでいかったすけに、いかったども、走るのは遅ーそて、あんまり好きでねかったがなァ。祭りも秋だ!祭りだァ 祭りだァ 豊年祭りー八月二十四日は、横町にある、天神様こと、菅原道真公を祭る天満宮の、とうきび祭りだ。菅原道真公はなァ、頭の良い学者でなァ、醍醐天皇から左遷されて、道真が亡くなった後、平安京で雷などがあっちこっちに落ちたがんだてやァ。天変地異が相次ぎ、落雷で、大納言が無くなったことから、道真は、雷の神で、天神と同一視されるようになり、天神の神として祀られたがんだてやァ。町内の天神様の氏子の年寄り達によう聞かされたがなァ。 祭りの露天でスイカや、とうきびの焼いたガンを売ってるがんで、市でもねぇがんに、珍しいがんだわなァ。 続いては、お住吉様の、高砂を飾った、ちゃんちゃこ婆サ様。鉦に太鼓と笛で、謡い賑やでなァ。神社の前の池には、石亀がいっぺこといたでなァ。

やっぱり祭りは、村松の一宮、総鎮守のお山王様こと、日枝神社の祭りが一番だ。各六、七町内位から、樽神輿に、山車が二台ぐらいでていたかなァ。俺らぁ、横町の若い衆は、芸者の手踊りの山車と、樽神輿だがなァ。俺らァ、子めら男も女も、鼻筋を白く、頬を赤くし、口紅まで塗って、化粧をしてもらい、山車を引っ張ったがなァ。化粧をすると、大人にもなったようで、気分が良かったでぇ。 いろいろな露店は、下町と仲町、上町から寺町まで、ぐぅーっと並び、在からも人が、大勢詰めかけて、賑やかだったがなァ。神社境内には、射的場が並び、カウンターから身を乗り出して、的の人形や煙草を射るが、当たっても、なかなか下まで、落ちなかったがなァ。反対側には、直径四間、高さ三間位の円筒形の中を、バイクで遠心力を利用して、爆音を響かせ、ぐるぐると回る。両手を離したり、片足を上げたり、バイクの音に興奮し、上から身を乗り出して見ていたがなァ。 化け物小屋の前では、 「へーい、そこの坊っちゃんから、お爺ちゃん!お嬢ちゃんからお婆ちゃんまで、さァさァ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!親の因果が子に報い、哀れにも出来た子どもが、蛇女・・・、今日は感謝の気持ちを込めて、お代はたったの百円ぽっち!百円で買えない価値があるものは・・・人の心とアタシの話し!さァさァ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい・・・」俺らァ、小屋見物よりも、香具師の口上を聞くのが面白しょって好きでなァ。・・・とある日曜日に、中学生のガキ大将、四~五人が話し合いながら、歩き始めたがんの後から、小学生の子めら五、六人位がくっ付いて行くが、袋町と曲川と根木町の十字路辺りに来るとやァ、ガキ大将が、「お前ら、子めら、帰れやァ!面倒見らんねぇぞー!」ゴン平石屋の脇から、学校町の道を渡って、鰐口屋と吉井お茶屋の間を抜けて、幡屋の加藤工場の裏にある、ちいさげなお今神様の脇から崖を、四つん這いでよじ登って、俺らァも野郎めらに、置いていかれると悪れすけに、必死でくっ付いて行ったがなァ。山に上がると、笹藪でなァ。赤土が剥き出しで、高さ四尺位のv字形の溝が、左右にうねっていたがなァ。そこへ来ると、ガキ大将が、「ここは、でっけ大蛇が通った後でなァ。お前ら小せがんなんか、一飲みだぞうー」と、言うてお怖ながらせたがいなァ。俺らァ、お怖ねぇすけに、安全な列の真ん中に、割り込んでなァ。すると、御愛宕様が見え、その脇から、御菊稲荷の前を通り抜け、また山に入ったがなァ。この辺に来ると疲れたが、置いていかれると、一人で家に帰らんねすけに、必死についてたわいや。また、笹藪をこざいて、愛宕山の裏側に廻ると、防空壕の跡があったがなァ。中に入ると、土を切って出来たベンチがあったがなァ。奥行き四間位かなァ。「戦争の時、防空警報が鳴り、敵の飛行機が爆弾を落とすと悪れすけに、ここに逃げ込んだがんだ」と、ガキ大将が、俺ら達に教えていたすけなァ。手で穴掘ったもんだろうなァ。 すると、ガキ大将が、その辺の雑木に絡んでいる、太さ一寸五分位のツルの木を、三、四本折りたたみナイフの肥後の守のナイフを起用に使って切るがなァ。俺らァのナイフより、一回り大きく、刃がピッカ、ピッカに磨いてあり、少し太い木でもスパッと切れたもんだ。あの頃の男めら皆が、ポケットにナイフを入れて歩いていたがなぁ。 そのツルをみんなで担ぎ、横町まで持ち帰って来たがんだ。停車場の近くにある江口お菓子屋の前から、蒲鉄の線路を渡り、建石サの前の小新保川にでるとなァ、洗濯場があったがなァ。

蒲原鉄道本社
横町の近くの女ごショが、子めらのズボンや、おしめを固形石鹸で、ゴシゴシこすくってたがなァ。あの頃は、まだ川が綺麗だったすけになぁ。そこから、すぐ上の辺り、山岸タクシーの裏辺りだろうっかなァ。幅二間半位の川幅だったとおもうが、川の向こう側まで伸びた、太って木の枝を、川の真ん中辺りまで枝によじ登って、担いで持ってきたツルを、木を剥いだ皮で、巻いて縛りつける。さすがガキ大将だわ!ナイフ使いも、何をしても上手でなァ、はつめだったがなァ。 ツルが川の真ん中に、ぶら下がり、ガキ大将が、大丈夫か力いっぱい引っ張ってみてから、ツルにぶら下がり川の反対岸まで飛ぶんだ。「ア~アア~、ターザンまんま食ったかーー」と言いながら、ツルに掴まりながら飛ぶがんだ。小学生二~三人の子めらが、飛べのて川に落ち、長靴からズボンまで、ビチョビチョにして、べそをかいていた。俺らァ、うんめかったでなァ、一発で飛んだすけになァ。勝って嬉しい花一匁♪負けて悔しい花一匁♪って歌が、夕暮れの空に響き渡り、今日一日の遊びも終わりが近付いている!女の子を、銀一匁で売り買いされ、値段を負けさせられて悔しい、安く買かって嬉しいとの歌で、哀れで、悲しい唄だどもなァ。子めらは、何も知らずに元気に、遊び唄っている。「そのまんま、そこに服とズボンみんな脱いで来いや」。長靴からズボン、上着まで、泥だらけだがなァ。「脱いだがん、タライに水汲んで、いれとけやァ。まだ、ぬーれかもしられども、先に風呂入れや」と言われ、傍にくっ付いて世話焼いているがなァ。下流しの端に、煙突がついた、木で出来たセェ風呂があってなァ。セェ風呂の釜はなァ、親ショ自慢の釜で、早よお湯が沸くがんだてやァ。板場を挟んで反対側に、タイルを張った釜戸があって、火口が二つで、真ん中に煙突が屋根の上まで伸びててなァ。毎日、毎日、薪物くべて、まんま焚いたり、風呂沸かした台所だったがんになぁ。そんげ訳で、俺らァが、風呂に入ると、まだぬーろて、尻がはっけねっかやァ!親ショが、自慢の風呂釜にワッツァイをくべると、すぐに熱ちょなってやァ。今度熱ちょなりすぎてなぁ、風呂に水をうめるのが大変だったすけになァ。 ガスはねぇ、水道もねぇ時代だすけになァ。井戸のガチャポンプで水を汲み、バケツで風呂に入れるどもなァ、力が無うてやァ、バケツ半分位しか、持たんねすけになァ。親ショがみかねてやァ、水をうめてくれたったがなァ。昔は何するがんでもやァ、面倒くっせかったがなァ。「よー温まれやー、風邪ひくと悪れーぞぉー」そんげいうたってなァ、熱ちょて、カラスの行水みたいにすぐにあがったがなァ。一段上がって、台所に行くと、いろぶちの火が、燃えのぉて、いぶっていて、煙とて、目はチカチカ、鼻はズルズルでるがなァ。すると、親ショが来て、いろぶちの側のゴザをめくり、付け木を出し、いぶっている火の傍らにやると、ボッと火が付き、付け木けぇー。ほんだなァ、薄せぇ木っぱの先に、燐が塗ってあってなァ、それを細かく割り、いぶっているおきに近付けると、火がボッと点いたもんだわなぁ。子めらが、イタズラしねように、親ショが座るゴザの下に入れといたがなァ。 俺らァ、いろぶちの傍が大好きだったすけになぁ。燃えている火を見ながら、ボケーと何も考えずに、物思いに耽るのが好きだがなァ。 その日も、いっぺこと遊んだし、いっぺこと怒られたどもなァ、毎日毎日がこんげもんだったわなァ。そんげ事いってる内に、みぞれ混じりのしぐれた日が続き、外へ遊びに出えらんのーてなァ。学校町にあった、青い鳥文庫の貸本屋から、借りてきた漫画本も二回も読み直してやァ。まだテレビも無かったしなァ。 雨や雪になると、退屈でだったでなァ。ラジオからは、浪花節の広沢虎蔵が、清水次郎長、石松代参をうなっていたが、俺らぁ子めらには、面白しょねぇてやァ。よっぱらで、よっぱらで、コタツの足にしがまり付いていると、親ショが、映画を見に連れてってくれたりしてなァ。仲町のなァ、角の木村菓子屋の名物のでっけ醤油飴に、三村菓子屋の黄金芋を買うて貰ってなァ。飴がでっこうてやァ、一つ頬張ると、口がふっとつで、何もしゃべらんねぇかった位だったなぁ。黄金芋には、ニッキが入ってポクポクして、うんめかったがなァ。今でも売ってるがんでねぇっか?映画は、大河内伝次郎の丹下左膳や、中村金之助、東千代の宮本武蔵だ。テレビが無かったすけに、いつも若けショと大人で、映画館はふっとつだったがなァ。又、たまに、駅前に加茂屋と言う、白玉粉を造る工場があり、工場の中を改造して舞台を造った芝居小屋があったがなァ。ある時、芝居を観に行った時になァ、千葉は下総の百姓一揆で、将軍に直訴し、張り付け獄門になった、桜惣五郎の芝居には、涙を流しながら観ていたがなァ。今でも鮮明に、頭の中に覚えてるがなァ。後は、人間ポンプって言うて、色のついたでっけぇガラス玉を何個も呑み、体を揺すると腹の中でガチャ、ガチャ音がする。それをお客が言った色から順番に、口から出したり、明りのついた電気の球を呑み、腹の中が、赤く明るくなったりしてなァ。俺らァ、たまげて観ていたがなァ。親が好きだっすけに、映画や芝居は、俺らァをダシにして連れていったがんだわなァ。 芝居小屋は長ーご続かのでなァ、すぐにダンスホールになったが、俺らァ子めらは、用が無かったすけになァ。 そんげことで、たまに雨が上がるとやァ、前の家の廂で、家の中でよっぱらがっていた男めらや、女ご達が集まってきてなぁ。男めらは、ラムネやパッチ、釘立て、女ごは、ジャッキ、手ん毬におはじき、ゴム飛び、外へ出らんねかった分、色々な遊びをしたわなァ。パッチの絵は、相撲取りか野球の選手で、力一杯投げるすけに、地面に手を擦すくり、指先が三倍位でっこなったみたいで、泣きそげに痛とてやァ、「手ぶったー、手ぶったー」って言われてなァ。また、女ご達は、手まり唄の、「あんたがたどこさー♪肥後さー♪肥後どこさー♪熊本さー♪熊本どこさー♪・・・まげちょん」と、唄いながら、股をくぐして、ケツで手まりをとるがんだどもなぁ。飽きもしのて、よう遊んだがなァ。                                                                                                                                                                                                                                            
雪が積もれば、玉こねだなァ。雪を長靴で、丸くこねてやァ。雪玉に上がり、ゲッツくれてやー、ガチン、ガチンに凍らして硬っとして、雪玉と雪玉をぶつけ合い、割れたほうが負けだがなァ。後は、道がキョロン、キョロンに凍ると、スケートを皮のバンドで、長靴に締め付け、道でスケート遊びをしたりなァ。車は、めったにしか、来ねがなァ。ソリを引いた馬が、木材を運んでる位だったがなァ。寒ァもて、寒じた日が、二、三日続くと、屋根の軒先から太っとて、長ぁげぇ、カリンコリンが、ぶら下がっている。その先っぽを折り、舐めりしてなぁ。畑や野原の、誰も歩かない、サラトコでシミ渡りもしたがなァ。まっすぐに何処までも、近道が出来たがなァ。中学生位になると、体が重となってて、ズブズブとぬがったりしたもんだ。うん!雪が降り、嫁取りがあるとなァ。俺らァとこやァ、駅の近くだったすけに、嫁が電車に乗って来ると、嫁に雪玉をぶつけたがんだどもやァ。仲人のカカが、番傘で嫁の頭や顔をかぼうてなァ。せっかく綺麗に化粧した顔だがんだども、婿の家に着く前に、汚されてわなァ。今まで目じり下げ、鼻の下伸ばしていたとっつぁが、青筋立てて、俺ら達子めらを、ぼったくったもんだ。雪玉ぶつけるがんは、祝いの縁起もんだったがんだろうなァ。それとも、若け者が、けなろがってかなァ。うん!ともかく、あの頃は、寒―もてやァ。ほんだこてなァ、部屋に石油ストーブなんか、まだなかったし、コタツが一つだけだがんになァ。戸の建てつけが悪ろてなァ。新聞を挟んだり、ガラスのヒビには、障子紙を張り付けたりしてやァ。 だども、隙間風が、何処からともなく入ってくるがなァ。寝る時でもなァ、煎餅布団に包まって瀬戸物のアンカを抱いて寝るがんだがなァ。俺らぁのがんは、後で蹴っとばすと悪れすけに、寝ると取られたりして、だすけに寒ーもてやァ。

村松駅停車場
 今も昔も、この時季は、「春よ来い、早く来い!」ってなァ。春が来れば、花が咲くしなァ。春が一番だ、雪が降る所は。うん!おっ!へぇー、そんげ時間だかァ。日が長―ごなったがなァ。ほれ、へぇ、前の婿どんが、土方から上がって来たわい、婿どん一生懸命だがなァ。家に入る前に、そうでも、姑婆サに口説かってばっかりいるみたいだでぇ。意地腐れ婆サでなァ。爺サが、四、五年前に逝ったすけに、当たるところが無ぇすけに、婿どんに当たるがんだろうなァ。子どもでもあればなァ、良いがんだろもなァ。婆サ、四六時中、目光らせているすけに、子ども造る暇が無ぇこってや。「粉ヌカ三合」って言うたども、今は、来てくれるだけでも、婿は大事にされるがんだども!

うん!ほんだわなァ、暗ろなったなァ。少しくっついてるがん、開けて、終わりにしようかのぅー。ほれ開けらっしぇや、何も無ぉてなァ。茶碗酒で、かえって悪―れかったわなァ。今度また、カカがいる時にでも、呑もでぇー。鯛の刺身とは、いかねたって、何か酒の肴造らせるこてやァ。俺ら達も温泉で、若―け姐ちゃんの酌で、ご馳走ぉー食いに行こわいやぁー。おやおや、帰るってけぇ。うん!外は寒めでなァ。道がツルン、ツルンだねっけ。そこらで、滑って、ほげ転ばねばいいでぇー。気ぃ付けて、いがっしぇのぉー。アイ!休まっしぇやー。うん!帰ったか。ばか寒じるなァ。良いお月さまだ!お星さまが、いっぺことでてるなァ。明日は、天気がいいぞぉー。寒ァめ、寒ァめ、今日は風呂休むかなァ。カカが居ねがんに、呑んで、風呂の中で、中風が出て、のめっくって、浮いていると、具合悪れすけになァ。うん!呑み過ぎたなァ。冷や酒は、旨んめども、効くがなァ。呑んだ後、バラコクタイだども、明日片づけるか。よーし、ふんげさろーかなァ。寝れば、転ぶあず事無かれと言うすけになァ。まァ、休めやー。遠藤じゃねぇか?ENDだァ。やっぱり、邪馬台国民族はおわりだな。

若かりし頃
 
―  あとがき  ―
かすむ想いを早送りに、綴り月日が経ち時を得る事が出来たら再び角度を変え語りたいものである
最後の最後まで読みずらい文章に お付き合いいただきお疲れの事と思います誠にありがとうございました。
平成二十年二月

 追記
 数年前に、書き終えて温めていましたが、意を決し、活字にしてみました。

 「呑んべいのむかしの話」
2010年1月1日
発行著者 伊藤 幸一

 

コメント

懐かしの蒲原鉄道

2017-11-22 | 懐かしの蒲原鉄道

懐かしの蒲原鉄道

新潟県五泉市と旧村松町の間(4.2km)を走っていた蒲原鉄道電車線は、地域の交通機関として、長い間、重要な役割を担ってきました。

残念なことに、 '99年(平成11年)10月3日の運転を最後に、その路線が廃止となり、77年間の歴史に幕を閉じました。

 廃止になるその年の5月に、私は運転席の隣後ろに張り付いて、ピデオカメラを回し続けました。

  多くの人の思い出から、消え去らないことを願って、ここに掲載しました。

 蒲原鉄道さん、たくさんの思い出をありがとう。  

 約15分間のビデオです。

 

You-Tubeに、 「蒲原鉄道最後の冬(1999年)」と題して、 VicomStationさんが、すばらしい動画を掲載されています。

 

 

コメント

懐かしのラヂヲ

2017-11-21 | 懐かしのラヂヲ

 懐かしのラヂヲ

アンティークラジオのコレクターではないのですが、このたび知人のHさんから虎の子の真空管式ラジオを頂戴しました。
真空管をいじくった昔を懐かしく思い出しながら、延べ4時間ほどでダイアル糸の張り替え完了。ようやく息を吹き返してくれました。
最後の力を振り絞って、暫くはわが家で円やかな音を聞かせ続けてくれることでしょう。
興味をお持ちの方にも懐かしんでもらえたらと思い、掲載してみました。

当時、ラジオの主流は「5球スーパー」。
構成は「高1中2(高周波増幅1段、中間周波数増幅2段)のスーパーヘテロダイン方式」で、中波と短波(2バンド)が聞けます。
ST管ではなくMT管式なので、管球式としては後期のものと思われます。
Hさんは昭和36年頃に買われたそうですが、大切に使っていたせいか殆ど傷んでいません。
サイズ W 61cm×H 42cm×D 24cmで、体重は8㎏です。

電源を入れて裏側を見ました。

左から6BE6、6BD6、6AV6、6AR5、6X4の順でMT管が並んでいます。
電源トランスの右に見えるのは、緑に輝くマジックアイ6ZEI(同調指示管)です。

この灯りは何とも言えない暖かみがあります。
スピーカーが8インチとあって、音にも深みがある。サランネットは殆ど色あせもしていない。
最初、スイッチを入れてもなかなか音が出なかったので、トントンと本体を叩いた。
真空管式はそんなもんだが、昔は別に不自由とも思いませんでした。

ダイアル糸を掛け替えるには前面パネルを外す必要があります。
キャビネットの糞を見ると、糸を切った真犯人はネズミに間違いなさそうです。

シャーシの裏側を見ました。
ひとつひとつの部品が懐かしい。
こんな部品を夢中になって探しては無線機モドキを自作したものです。
今時のプリント基板と違って、解りやすいから見ていても楽しくなります。
溶けたハンダがシャーシに付着しているところを見ると、近所のラジオ屋さんから直してもらったのでしょう。
一番下に今回張り替えたダイアルの糸(黄色)が見えます。

裏蓋に貼ってあった配線図。
この写真では細部まで見れませんが、構成の概要は理解できますね。

同じく裏蓋の印刷物。
「定格」と「ダイアル糸かけ図」が書いてあります。
この絵がなければお手上げでした。
当時のラジオ屋さんは、糸修理も大事なお仕事だったのでしょう。 

写真の上でクリックすると拡大します。

       
       
       
       
       
コメント

パラオ ダイビング

2017-11-20 | パラオ ダイビング

パラオ ダイビング

平成16年7月、日本から南へ約3千Km。エメラルドグリーンの海と白い砂浜。憧れのパラオでダイビングをしてきました。

 海も魚もサンゴの色もカラフルで神秘的。気温も29℃で温かいけど、現地の皆さんも温かで、心身ともに癒されました。

【 お世話になりました 

新潟のダイビングショップ「マナティー」さんから、パラオのショップ「BLUE MARLIN」さんを紹介して頂きました。

初めての海外でのダイビングであったため、ショップの石浦さんと、出発直前までメールで確認。

お陰で不安も消えて、すっきりとした気分で出発できました。

  

写真はショップの前で撮影したもので、右から水中ガイドのレリーさん、ショップのミキさん。 

東京から2人でライセンス取得でお見えの I さんとMさん、左端はボート操縦のフリンさんです。
                                                                                                                                                            老体を気遣ってか、タンクまで背負わせてくれる親切さにびっくり。

ブランクダイバーの私が初めてのビデオ撮影とあって、水中でも安全と撮影に随分と気遣ってくれました。

レリーさんとフリンさんは強面。ところが、片言の日本語でジョークを飛ばすほど気さくでした。

藤本さんの一言、「日本の男性よりもずいぶん優しいんですよ」は実感がこもっていました。悔しいけどそれは本当でした。

藤本さんはダイビングに魅せられて、オーストラリアからパラオへ移住とのこと、こういう人生もあるんだよなぁと、考えさせられました。

I さん、Mさん、ライセンス取得おめでとうございます。次のダイビング計画も着々で、カメラにもはまりそうとのこと(帰国後のメール)。

またパラオでお逢いしたら、石浦さんにも入って頂き、7人で飲みましょう。お幸せに。

そう言えば、打ち上げで藤本さんから案内してもらった飲食店は、日本の店よりよっぽど和風だったのでびっくりでした。

ダイビングのトライも良いけど、次は是非「ナポしゃぶ」にトライしよう!!

皆さん本当にお世話様になりました。

【 撮影してみました 】

ショップからダイビングスポットまでボートで約40分。ベタなぎ。

最大水深18m。透明度18m。潜水時間40分×5本。水温28℃、外気温29℃。天候晴れ、まれにスコール発生。こんな条件でのダイビングでした。

水没にちゃういをしていたら、1本目最初のダイビングではシリカゲルを入れ忘れ、ほとんどピンボケ状態。

しかもノーライトのため、それなりに青カブリも。ボートの上で撮影したパラオの海、空、島の風景がきれいに撮れなくて残念。

折角、ボートの周りに群がってくれたイルカの撮影も逃してしまうとは。

お土産ビデオを、クリックしてご覧下さい。初の水中撮影なので、お見苦しい点はご勘弁を。

 *** ナポレオンフィッシュ ***
*** Blue-Hole と クマノミ ***
*** マンタ ***   

以下はビデオではありません

    
    
    
【 行 動 】

平成16年7月11日(日) 新潟発11時00分→グアム着15時40分 →グアム発18時55分 →パラオ(コロール)着20時05分 
          12日(月) 1本目 German Chanel、2本目 Blue Corner
         13日(火) 3本目 Blue Hole、4本目 Blue Corner、5本目German Drop off
         14日(水) シーカヤックでお遊び(禁ダイビング日)
         15日(木) パラオ(コロール)発01時45分 →グアム着04時45分 →グアム発07時05分 →新潟着10時05分

そうです、新潟からパラオへは日曜日だけ、パラオから新潟へは木曜日しか飛行機が飛ばないのです。

 

コメント

佐渡 ダイビング

2017-11-19 | 佐渡 ダイビング

佐渡 ダイビング
 
数年前、佐渡ヶ島で潜ったときに、真っ青な“海の色”に遭遇しました。
鮮明に記憶に残るその色を、このページの背景に再現してみたいのですが、やり方が判りません。 

それは、快晴の佐渡ヶ島の北小浦。ボート上から仰向けになってドッボーンとダイブしたときのことでした。
真っ白い泡が消えたとたん、いきなり視界は、すべてその青、青、青の世界!
'89年から始めて潜ってきましたが、こんな経験は初めてでした。

これまでによく通ったスポットは、なんと言っても近い佐渡ヶ島。
その筆頭は小木町ですが、鷲崎、矢柄(やがら)、北小浦、背合(せなごう)、尖閣湾の
姫津、虫崎、両津湾、鉄砲鼻、片野尾を含め、数10本ほど潜りました。

もちろん真冬の12、1、2月にも、よく潜りました。水中では帽子とメガネからはみ出た
頬だけが、針で突き指したようにツーンと痛く感じますが、身体はトレーナーを着た上にドライスーツを
重ね着しているので少しも寒くありません。
雪がチラホラ舞い散るボートの上で、「なんでこんな日に潜らんかねぇの?!」と、舟の上で凍りついた漁師さんに言われたこともありました。

自慢じやないけど、一度も海外で潜った経験はなく、一番の遠出(?)は、伊豆半島の大瀬崎と海洋公園でした。
中?距離では鶴岡市の波渡崎灯台が、50cmほどのブ鯛もいて、忘れられないスポットです。
  
ごく近くで変わったところでは、新潟港近くの浜でナイトダイブもやりました。
モノクロの世界ですが、夜行性の魚たちが活発に動き回っていたので、結構楽しめました。

海底から仰向けになって見上げると、銀色にキラキラとウロコ状に輝く水面を見ることが出来ます。
これを見ているだけで、別世界の神秘に触れることができるのです。
でもいつかは、トロピカルな南の海へ行くぞ~っ。

平成11年7月に、久しぶりに佐渡へ行って来たので、このページを新たに増やしました。

コメント

ガハハの紙芝居

2017-11-18 | ガハハの紙芝居

 ガハハの紙芝居

2016年春、紙芝居モドキが完成しました。
まずはそのガハハ作品の、サワリ部分を見てやって下さい。

「カマキリじいさん」

コトの発端は、図書館の紙芝居を観て、「もしかして、ボランティアで使えるかも・・・」でした。
以下は、軽いノリから始まって、完成に至るまでの、トホホ顛末記です。

ゼロからの創作スタートは前年の秋から。まずは図書館の紙芝居を、何冊もあさってのネタ探しから。
道徳的な路線で行くことはスンナリと決めたものの、ストーリーが決まらないので、登場人物なども決まりません。

絵を意識しないで、文章だけを書くのとは違い、絵との二人三脚が必要です。その上、見せ場も作らなくては。

それでは、絵コンテとやらで、絵描きと一緒に進めたら、何とかなるかも・・・と試みたのが年明け。
マンガのお絵描きソフトを見つけますが、今度はそれの使い方に振り回される始末です。

悪戦苦闘の末、ようやくペンタブレットで、簡単な線引きと色付けが出来るようになったものの、
どこからどうやって、何を描いたら良いのか分からず、自問自答、暗中模索、七転八倒の毎日が続きます。
12枚の絵と文章の割り振りが、これほど難しかったとは、まったく予想もできませんでした。

紆余曲折の連続で、紙芝居創りに丸っと一冬を費やし、ようやく出来上がったのがこれ。
下手なりにも出来上がったので、印刷屋さんへデータを渡し、半光沢のラミネート処理をしてもらうことに。
中身は何であれ、体裁だけは一丁前の “紙芝居” になったところで、また新たな欲が。

専用の紙ケースに入れて、市の図書館に、一冊預かって頂けないかと、相談(丁寧な押し付け)をしたところ、
「寄贈に感謝し、多くの人から観てもらいます」との歓待ムード。
私の創った紙芝居が、プロの作品と同じ棚に置いてもらえると分かって、今までの苦労は一気にフッ飛びました。

その後、図書館では、貸し出し用に増刷するなど、取り扱いに苦慮されたと思います。
登場するカマキリじいさんたちが長生きをして、末永く子供たちに夢を与えて欲しいと願っています・・・ナンチャッてね。

そうそう、施設のボランティアでも、DVDを使って大広間のテレビで観て頂きましたから、目標は達成と言うことで。

このブログでご覧いただくには音声が必要と思い、泣く泣く、自声を使うことに。
耳を塞いでご覧下さい。

市の広報に載りました。

 

おしまい。

コメント

ガハハのSAX

2017-11-17 | ガハハのSAX

ガハハのSAX

2011年3月に、初めて楽器に、触れてみようという気になりました。

 それは、友人の大正琴の演奏会を聴いたり、先輩のご夫婦がピアノを始められたことに、カルチャーショックを受けたからです。

 【教室】

 楽器というと、小学校の音楽室で触れたカスタネットが最後で、知る人ぞ知る楽譜音痴。

まずは、楽器屋さんへ飛び込み、フルートとSAXの体験教室を受けました。

 前からの憧れもあって、迷わずSAX。すぐに音楽教室の門戸を叩きました。

そこではパーツの組み立て方、持ち方、マウスピースのくわえ方などの基本操作を教わりました。

 【挫折】

基本操作のレッスンは、あっという間に終わり、いきなり楽譜のレッスンに入ります。

 先生は真剣に教えてくれるのですが、強い苦手意識もあって、♯や♭の話しはチンプンカンプン。

30分の短いレッスンの中で、楽譜の勉強に費やす時間が多くて、閉口しました。

 結局、延べ2時間ちょっとを受講しただけで、教室へは行かなくなりました。

基礎知識が大事だとは分かっていたつもりでしたが。

もちろん、チィチィパッパ的な練習曲もまともに吹けない状態で。

このあたりで、足を突っ込んだことが、身の程知らずだったと気付いたのですが、時すでに遅し。

 高い楽器を抱え込んだものの、周辺にSAXをやる人は誰一人としていないため、焦りの毎日でした。

 【真っ暗闇】

ワラにもすがる思いで、SAXの専門書を探しますが、♯や♭を身に付けてる人しか使えない本ばかり。

教室で聞いたとおり、ピアノやギターの楽譜はそのままでは使えないという壁にもブチ当たりました。

 書店にある譜面はピアノ用、ギター用がほとんどで、そのままでも吹けるナツメロ演歌なんかは見当たりません。

やむなく買ったのが「ナツメロ歌謡全集」。いわゆる楽譜と歌詞の入った、普通のカラオケ用の本でした。

 当然ですが、SAXでその音符を追って吹こうとしても、9割?以上の曲が別な音に。

 石にかじりついても何とかしなくては、と焦りますが“八方塞がり” とはこれのこと。

 先の見えない長いトンネルの中で藻掻くばかりで、焦りの色が日増しに濃くなりました。

【音符と格闘】

 結局、その歌謡全集の中から吹きたい曲を選択して、SAXのキーに合わせて楽譜を書き換えるしかありません。

ということで、まずは未体験の “移調作業” から始めました。

最初は、パソコンの作曲ソフトに、まるごと音符を入力して、セーノで移調処理をして譜面を作ってみました。

それでも、入力に結構な手間が掛かるので、間もなくして、五線紙に手書きをする方式に変更です。

 聴き慣れた曲しか吹かないし、正しい音階で五線上に音符を並べるだけなのですが、それでも1曲書き換えるのに1時間近くは掛りました。

 いよいよ楽譜が入手できないときは、その曲を耳で聴きながらSAXで音探しをして、五線紙に音符を一個ずつ並べて行きます。

 いわゆる、“耳コピ” とかの方法ですが、これで1枚の譜面が完成すると、飛び上がりはしないけど、一人で小躍り気分に。

【楽器と格闘】

ここまでは、楽譜との格闘談義でしたが、これと平行して大変なのが楽器の操作。

どのキー(ボタン)を押すとどんな音が出るのかが、なかなか解らないのです。特に半音の出し方が。

 壁に貼ったキー・パターンの絵を見ながら、キー操作をひたすら指に覚えさせて、♪ を見た瞬間に、正しくキーを押さなくてはなりません。

大変なことは他にもありました。マウスピースの使い方と息遣い。

楽器全体は、アナログの代名詞みたいなものですが、このマウスピースはアナログ過ぎて、かなりのクセ物でした。

天然葦(アシ)の茎を、カミソリのように薄く加工した振動板(リード)を、マウスピースに固定して吹く息わけですが、

音が出ない、割れる・・・なんてのは、日常茶飯事。

バラツキを避けるため、10本入りの箱(ブランド品)で買いますが、素材が天然なので、10枚全部の吹き勝手が違います。

吹くときは適度に湿らせますが、マウスピースへの取り付け方によっても、音色が変わります。

譜面を作るのは一時的な通過点ですが、楽器との格闘(もがき苦しみながら振り回される)は、永遠に続くようです。

 【私の発表会】

冒頭に書いた先輩方は、「人前で演奏するのが上達の早道」 と、アドバイスしてくれました。

かと言って、教室から逃げた落第生の私には考えられないことでした。

 そこで、考えた苦肉の策として、You-Tubeを使うことに着目しました。

演奏したものを You-Tube に“限定公開”の条件で、アップロードをするのです。

繰り返し練習をして、曲らしくなったときにアップして、「聴いて下さい」と、友人知人にメールでお願いをする方法です。

何とも身の程知らずで人迷惑な話しですが、平身低頭で、ひたすらお願いをする作戦です。

人前での演奏でもないのですが、You-Tube にアップする “コトの重大さ” に、始めてすぐに気付かされます。

 普段でも、最初から最後までをノーミスで吹けない私が、カメラの録画ボタンを押すと同時に、口と指先が硬直するのです。

 そんなときは酒の力も借りますが、その量のサジ加減が難しく、多すぎても少なすぎてもアウト。

 【吹く?産物】

You-Tubeには、1、2回吹いてアツプできることもありますが、短い曲でも1時間以上を掛けてしまうこともザラにあります。

 それでもうまくアップできたときは、酒に感謝しながら一人で乾杯します。

その難産の繰り返しで、アップできたのは、唱歌、ナツメロ演歌、フォーク、映画音楽までさまざま。

気が付くと、300曲近くまでになりました。

一旦アップした後に、第三者の視線(聴線?)に立って聴き返えせるのは、とても有意義です。

You-Tubeを選んだ私もエライですが、その場を提供してくれた、You-Tubeには感謝ですねw

【楽器の魅力】

SAXにピッタリ合う70年代の歌謡曲なんかを、うまく吹けたときは嬉しいものです。

 カラオケではとても唄えない高いキーの曲でも、平気で音が出るので感動します。

 同じ曲を10回吹いたときよりも20回、20回よりも30回と吹くと、明らかに 運指 や 息遣い が楽に。

すると、もっと吹いてみようという気になるのも、楽器の魅力(魔力)なのでしょうか。

 【これからは その1】 

学習能力も、急坂をころげ落ちるがごとく衰え、“一歩前進、三歩後退” が現実ですが、 1曲でも多く

アップ出来たら良いなと思っています。

 アップした曲を振り返って聴くと、身の毛がよ立つものばかり。増やすよりもアッぷし直すことも大切なのですが、なかなかです。

 【モドキづくめで】

100曲くらいをアップしたそんなある日、とあるラーメン店で「ボランティア大募集(演奏、手品など)」のポスターが目に入りました。

 「ボランティアならだれでも吹けるかも」と、恐る恐る、その施設へ電話を入れてみました。

ところが、あれよあれよという間に、デビューの施設と日時が決まってしまい、想定外の進展にビックリです。

申し込んだは良いけれど、本当に自分は人前で吹けるのかいな?と、後悔半分の毎日が始まります。

 SAXを初めてから1年5ヶ月を経過したある日、とうとう大勢さんの前で、その日がやってきました。

 演奏が始まると同時に、指が固まるわ、心臓が破裂しそうになるわ、胃は痛むわと、地獄の境地でした。

 短いトークを混じえて全部で8曲。 いつもつまずく所はいつものように、いつもスンナリ行っていた所もゲツバタと。

でも、嬉しいことに、 ナツメロ歌謡曲は懐かしそうに、抒情歌はシンミリと聴いていただきました。

終わった後は、皆さんからそれなりの拍手が。 その拍手は、ボランティアをしてくれたことに対する、お礼の拍手なんですけどね。

 さすが、「ふるさと」や「かあさんの歌」には、すごい説得力とパワーがありますね。

手を合わせて涙ぐんで聴いてくださる姿を見ると、ついつい「また寄せてね」なんて、一丁前なことを言う私がいました。

 【これからは】

無謀にもデビューを果たしたものの、まだまだ、とても人様に聴いてもらえるシロモノではありません。

 所詮、初心者の“モドキ・SAX” の “モドキ・ボランティア” でしかないけれど、 無謀の続きで、しばらくは続けたいと思います。

体験して分かったことですが、演奏そのものよりも、皆さんは “ふれあい” を一番望んでおられます。

その後、SAX演奏だけでなく、手品や新しい楽器(EWI)も披露して、延べ70回ほど、舞台に上がらせてもらいました。

 【こんなモンでしょうか】

下の曲は、練習してきたSAX曲の一例です。

酒のせいにはしたくはありませんが、音程ズレ、タイミングズレ、録音の不具合など、見事なものばかり。

とても聴いてもらえるレベルではありませんが、ガハハと聴き流して下さい。

 
 
 
 
コメント

ガハハの作曲

2017-11-17 | ガハハの作曲

【 ガハハの曲作 】

つい最近までは、音楽なんて聴くためだけのもの思い込んでいましたが、
SAXを練習しているうちに、曲作りに挑戦してみたくなりました。

演奏楽器は、AKAIの EWI5000 です。
いずれの曲も自己満足のセカイです。

ボケ防止のためにも、コツコツと曲数を増やして行けたら良いと思うのですが。
ガハハと笑って聴いてやって下さい。

↓ クリック 

星よいつまでも
あいたくて
すずめ

(詞・曲・演奏 自分)

こんな曲でも著作権は放棄していないので、よろしくです。


 

≪ オマケ ≫

朽ちた道路標識にも、スズメのドラマがありました。

上記の「すずめ」の歌詞を変えた動画 「かあさんスズメ」 (←クリック)をご覧下さい。

 

コメント

ガハハのお絵描き

2017-11-16 | ガハハのお絵描き

 ガハハのお絵描き  

絵描きに挑戦してみました。お絵描きは小学生以来ですから、数十年ぶりです。
手始めに花と風景を描いてみましたが、いずれは市街地へ出て、念願の建造物などを描いてみたいと思っています。
素質がないことは分かっていましたが、描いてみてこれほどひどいとは思いませんでした。
数をこなせば上達する…とのことですが、私の場合は絶望的です。

【 花 】     

バラ
 
ケシ
 
キハギ
 
ノースポール
 
 
クレマチスモンタナ
 

【 風景 】

クリックしても拡大しません。

清里村清泉寮

清里村

清里村谷口牧場

八ヶ岳

  
コメント

木工でお遊び

2017-11-15 | 木工でお遊び

木工でお遊び

 
(パイン製 ローボード・寸法1500W×385D×600H)
'98.5.17 組立完了
 


 初めて作った待望のアメリカン・カントリー家具?です。
パイン製のため木肌は真っ白で、釘はほとんど使用せず、8ミリのダボ接合で仕上げました。
単調なデザインなので、写真では見えにくいのですが、板をハート形にくり抜いたハンドルを飾りにしました。
パイン集成材はすべて近くのホームセンターから調達したものです。
ステイン塗装は、数種類のカラーから選ぶだけなので、悩むことはないのですが、苦心作だけに、ちょっと慎重です。

 結果的に、塗料は、武田薬品工業(製造はドイツのDESOWAG社)のキシラデコール#110オリーブ(濃い茶色)を用いました。
これは、防腐剤と防虫剤が含まれているので、塗装後、1週間くらいは部屋へ持ち込まず、通気の良い場所で自然通気乾燥を行いました。
一般的なステインの塗料を使用すれば、臭いをあんまり気にすることはないかも知れません。


【 飾り棚 】

(米杉製 寸法350W×72D×425H)
'00.6.9 組立完了


すべて梱包材料の廃材利用です。加工精度が甘かったためか、直角に仕上がり難くて苦労しました。


【 涼み台 】 

(杉製 寸法1660W×560D×460H)
'00.6.16 組立完了


 これまた廃材利用で材料費はゼロ。
ホームセンターのものに比べて、全体の寸法と材の寸法はふた周りは大きく、そのうえ筋違い、ホゾ、ステンレスボルトの組み合わせ。
関取が2人余裕で座れます。


【 POST BOX 】 

'09.8.20完成


 玄関ドアに網戸を付けたため、既存の郵便受けが使えなくなったので、やむなく写真のような木箱を取り付けました。
トールペイント塗料で、切手と郵便番号と宛先を筆で書き、郵便物風に仕上げました。

宛先の文字には、踊るようなあどけない子供の文字が欲しかったので、小一の孫に紙に書かせ、それを真似して書きました。
どこにでもありそうで無さそうなPOST BOXが、可愛く仕上がったので掲載してみました。


【 木工用あられホゾ治具 】

 
「あられホゾ」って耳慣れない言葉ですが、結構身近に使われています。
手っ取り早い例として、計量のマスの組み手がそれです(写真参照)。
 前項のカントリー家具では、一般的に、これほど芸の細かい細工は必要とされないようです。
組み手の形は、他にもたくさんありますが、どれも手加工では精度出しが難しく、プロの職人さんみたいに仕上げるのは、至難のワザのようです。
 
 以前より、一合マスの組み手を見るたびに感心していましたが、このたび、この工法に挑戦してみました。
大事な酒を一滴も漏らさないほど、大変精度の良い仕上がりになりましたので、ご紹介します。



 加工のできばえを左右するのは、治具の精度そのものです。
ダブティルマシンと称して、海外では市販されていますが、それなりにお安くないようです。

 DIYらしく、工夫をこらして、安価な加工機の製作にトライしてみました。
原理、構造は、いたって簡単で、クシの歯のような凹凸のあるゲージを用意します。
それに、2枚の木材を固定して、ルーターを治具に沿わせて倣(なら)い加工するものです。

私の作ったものの仕様は、次のとおりで、シンプルな単機能治具です。
ルーター リョービ株式会社  TR-40
ビット 大日商株式会社  ガイ゛ドベアリング付きストレート シャフト6ミリ×刃直径10ミリ
治具歯幅 10ミリ(オスメスとも)
 〃 歯数 オス10枚、メス11枚
加工可能板厚 1枚加工のときは3センチ (2枚同時加工のときは1.5センチ)
 〃 板幅     約20センチ

 

  
コメント

発電装置製作

2017-11-14 | 発電装置製作

【 発電装置製作 】

このぺージでは、自作の発電装置をご覧下さい。風力発電とソーラーパネルの組み合わせです。
設置したきっかけは単純で、「風車を回したい。」ただそれだけでした。
いつもゆったりと回り続ける風車が夢でしたが、発電機能がもったいないので、消費しないわけにはいきませんでした。

発電装置全体の回路図です。図面上に風力発電機とソーラーの発電量も記載してあります。

上の写真は、回転中の風力発電機です。発電していると胴体の下側の豆パイロットランプが点灯します。
発電機を取り付けたと同時に、予想どおりの問題が発生しました。
それは吹雪による雪の氷着で、強い風が吹いても、融け落ちるまでは回転してくれないことです。
方法もありそうなのですが、年に数日もないこととあきらめて対策は講じていません。

右側の斜めの板がソーラーパネル。頂部は風力発電機です。

風力とソーラーからの発電をここに集結します。
右側(扉)にある白い箱は、ソーラー充放電コントローラーです。
LEDが緑、赤と点滅して、充放電の状況教えてくれます。
私の場合は、そのLEDだけを取り出して、室内の制御盤(メーターの上中央)に移しました。

 

テレビ上に置いた室内の制御盤です。置時計に似た上の写真が風速計と気圧計です。
風車が一定の風速以上になったときに、自動で停止させる調整ツマミ(右の写真)があります。
現在は、風速12m/secくらいにセットしてあります。
下の段は、発電電圧計、充電電流計のほか、風車のブレーキスイッチとライトアップスイッチがあります。
中央のメーター真上は前述のLEDで、テレビを観ながらこの点滅状態(充放電状態)が観察できます。

 

以前、発電した電気は、玄関近くの屋外照明と風見ミッキーのライトアップ用に使用していましたが、
今は使用していません。もちろん照度と時間で点滅させていました。
12V電圧で照明しても良いのですが、他の用途にも容易に使いたいため、
インバーターで100Vまで変換して使用していました。


--------------------------------------------------------------------------------

発電装置の特徴は次のとおりです。

1.風力計と接続して、設定した風速以上になると発電機はブレーキで止まります。

なぜかというと、強風になるとビャ~ッという風切り音を発生します。
もちろん羽根が吹っ飛んでしまうことはありませんが、騒音やベアリングの摩耗を考えると、何一つ良いことはありません。
特に騒音には気をつけたいものです。
一度無線用のパンザマストに持ち出しアームを取り付けて、そこに風力発電機を固定しようと考えたのですが、
空洞のパンザマストに共振することが予想されたので、コンクリート電柱に取り付けました。
結果は上々で、強風時にブレーキを掛けないと、発電機の支柱に使っている足場パイプが共振する程度で、
ほとんど電柱が吸収してくれているようです。

2.ソーラーパネルを遠隔操作で太陽に直面できます。

ソーラーパネルは2枚。左奥に写っているのは、ハム用パンザマストです。
季節によって太陽の受光角が大きく異なります。パネルを太陽に直面させると、起電力はわずかですが差が出ます。
私はアマチュア無線アンテナ用の水平回転用ローテーターと、仰角用のローテーターを使用してみました。
本当はコンピューター制御の太陽自動追尾装置でも欲しいのですが。

ソーラーパネルは初めて使いましたが、なかなかのスグレモノです。日の出から日没まで発電しています。
曇りでも雨の日でもきちんと発電しています。
私の家は、町の中では風は強いところですが、丘陵地などのように休まず風は吹いてくれません。
したがって風力による発電は不安定であるため、アテにしていません。

3.バッテリーが強力です。

発電した電気を一旦蓄えるバッテリーです。場所がないので、3段の棚に2個ずつ載せています。
使用したバッテリーの容量は、290Ah(2V×6個)です。1台の重量が24㎏ですから、6台で144㎏です。
重量からも大容量であることがわかります。

 

コメント

レンガ敷工事

2017-11-13 | レンガ敷工事

レンガ敷き工事

庭先を芝生で一面に埋め尽くすぞ!! と意気込んでみましたが、技術、忍耐、植物愛に乏しい私には無理なことが解りました。
もともと、レンガの素焼きの質感に惹かれていたこともあり、芝生とレンガをミックスさせることに挑戦?しました。
庭先一杯にレンガを敷き詰め、その隙間(目地)を緑に…を狙いに。

レンガ工事は初めてなので、かなり自己流でしたが曲がりなりにも敷き終わりました。
後は目地の芝生が根付いてくれたら、すべて完了ということになりますが、節目を迎えたので掲載しました。

【 仕 様 】

レンガ敷き込み面積 110㎡(約33坪)
使用レンガ ベルギーレンガ(赤、黄色)
レンガ寸法 110×110×H58mm
使用レンガ数 黄 5,420枚、赤 1,380枚 合計6,800枚
目地幅 約6mm
砕石層の厚さ 約5cm
砂層の厚さ 約3cm
目地 砂のみ充填 → いずれ芝生かコケに
作業員 ひとり漫才
車やバイクの乗り入れをしない歩行専用とする

 

【 レンガ敷きに使用した道具類 】
(ちょっと特殊な道具)
レンガカッター
 
直径105Φのダイヤモンドカッター(レンガ用ウェーブタイプ)を、普通のディスクグラインダーに取り付けます。
本当は片手に持って使う電動工具なのですが、カットする枚数が多いため、作業台に組み込みました。
使い方は、右手でレンガをつかみ、左手でディスクグラインダーのレバーを上下させて切断します。オンオフはフットスイッチです。
これでレンガの4面に、深さ5~10ミリ程度のカッター目を入れます。
1枚330円のこのカッター(刃)は、大量にカットしても切れ味が変わらない優れものでした。
工場扇 レンガカッターから猛烈な粉塵が発生します。風向きを考えてレンガカッターの置き方を決めますが、無風のときは埃で視界ゼロになります。このため、自分の斜め後方に工場扇(羽根径45cmの大型扇風機)を置き、埃を遠くへ飛ばします。
シャーッというカッターの騒音も大きいので、住宅地では注意が必要な作業のようです。使用に際しては、手袋、マスク、耳栓が必要です。
平タガネ 刃幅90mmのものを使いました。カッター目を入れたレンガを砂の上に置き、平タガネを溝に当ててハンマーで叩いて割ります。
ヤットコ 埋めたレンガを引き抜くときに使います。隣のレンガを動かさずに、スッと抜けるので便利です。
100円ショップで買ったラジオペンチの先端を改造しました。
木枠ゲージ 胴縁で2m×1.3mの木枠を組んで、水糸を格子状に張ったゲージです。1マスの大きさは116mmになります(110+3+3)。
このゲージは、並べ終わったら木枠ごと移動して使います。比較的狭い場所や傾斜面で力を発揮します。
基準線がズレないように、最初の位置決めが大切です。
鉄アングル L3×40×40mm、定尺5.5m(狭い場所では切断して使用)の鉄アングルを2本、砕石の上に2本を平行に伏せて置き、砂面のレベル出しに使います。

(一般的な道具等)
片手ハンマー、平タガネ、カナヅチ、ホウキ、剣スコップ、一輪車、水平器、水糸、一寸釘、
胴縁、木杭(長さ約20cm)、カケヤ、セメント、手袋、マスク、耳栓、プレート(転圧機) 

【 事前工事 】

 写真の上でクリックすると拡大します。

玄関のアプローチに敷いていた枕木を剥ぎ取って、場外へ搬出します。1本50㎏くらいあるので、すべてフォークリフトで。
'05年9月6日作業開始です。

右へ続く。
剥ぎ取り完了。

左下へ続く。
左側の一段下がった砂利の道路は農道です。一列に枕木を並べて土留めとしていましたが、経年変化で乱れてしまったので、すべてやり直しです。 公道の路面とタイル面に段差ができるので、コンクリートを打ってスロープにしました。
コンバインを改造したフォークリフトも活躍。 農道側に新たに枕木を敷設するため、コンクリートブロックを並べて基礎にします。
枕木が農道側に倒れないように、専用に作ったアンカーを入れてコンクリートを打ちます。 コンクリートミキサーで打設。
普通は、地中に埋めるアンカーにメッキをしないのですが、土に直接触れる部分も多いので、メッキを施しました。その前に枕木が腐ってしまうかな?
枕木を1/2"のコーチボルトで固定します。
完成を想定したレンガの上面から、砂+砕石の厚みを考慮して整地します。
次に約1.5m間隔に、20cm程度の木杭を打ち込み、砕石上面の線を書きます。
歩行だけなので、砕石層は約5cmの厚さにしました。敷き込んだ後はプレートでしっかりと転圧します。
現場の事前工事と平行して、レンガを搬入しました。4トンのロングトラックで運びます。レンガ1個が1.4㎏もあるので、なかなか大変です。 これですべて搬入完了です。置き場所と工事現場が離れていたので、運搬に苦労しました。
すべて木製のパレットに載せて納品です。
【レンガ敷き工事】
プレートで転圧をした後は、いよいよ砂を敷き詰めます。砂を平らにしないと、レンガの表面が凸凹になるので注意が必要です。
私は鉄アングルを使って平らにしました。
その工程は、
モルタルでアングルの枕を作る→アングルを伏せる→砂を締める→砂をアングル上面にこすって削り取る
となります。

(枕を作る)
枕の間隔は1.5m以内とし、砕石層にこぶし大の小穴を開けます。そこに固めのモルタルを盛り付けます。
次にモルタル上面のレベルを出します。
計画したレンガ上面からレンガの厚さ(58)と砂の厚さ(30)を差し引いた高さ(88)が、アングルを置く枕のレベルになります。レンガに水勾配を付ける場所は、アングルも傾斜を付けることになります。

(アングルを伏せる)
アングルを伏せた上体で敷いた後に、アングルが枕から落ちないように、両サイドから砂で数箇所抑えます。

(砂を締める)
2本のアングルの間に砂を入れて、足でしっかりと踏み固めます。水はけの良い地盤の場合は、水締めする方が効果的かも知れません。

(削り取る)
1m以上の長い板を、両方のアングルに乗せて引っ張り、上面の砂を削り取ります。
レンガを並べ終わったら、アングルを除去します。
良く見ないと判りませんが、レンガの中央に1本の水糸が写っています。
レンガの両脇に置いてある細長い2本の棒は、レンガ目地を書き込んだ棒ゲージです。
これらを頼りにレンガを並べてみましたが、なかなか縦横とも真っ直ぐに並んでくれませんでした。そこで…。
そこで写真のように、水糸を網の目のように張り巡らせました。
遠くの壁に見えるように、目地の間隔で胴縁に釘を打って、それを壁などに固定しました。
しかし、長いスパンで水糸を張れる広い場所では有効ですが、張り替えが大変でした。
水糸が正しく張れたら、あとはポンポンと並べて行くだけです。
ある程度レンガを置いたら、ちょっと離れて曲がりや凹凸がないことを確認し、良ければ砂を撒きます。そしてホウキ等で目地に砂を入れます。
これにより、レンガの動きが止まるので、普通に歩行できるようになります。
作業終了時には、サッと水を撒いて目地の砂をしっかり落ち着かせます。
ただし、目地砂が多すぎると、雨が降る都度砂がレンガ上面に広がってしまいます。
砂の量は、レンガ上面から1㎝くらい下げたほうが良いようです。足りなければ後で補充すれば良いわけですから。
モルタル目地にする方法もありますが、脱着が容易な砂にしました。

通路部分には赤レンガを、その他の部分は黄レンガを敷いてみました。
左側には水糸を引っ掛ける胴縁等が見えます。玄関に向けて、緩い昇り勾配にしました。 以前から計画していたキンモクセイを、あわてて植えました。
樹木根周りのレンガ敷きは最後の仕事です。 一日の作業が終わって、どのくらい進んだか振り返って見るのが楽しみです。
枕木の除去工事から始めて2ヶ月、道路側からの眺めです。 建物に近づくにつれて、農道側へ緩い傾斜を付けてやる必要があります。水糸も思うように張れず、難航しました。

そんな時に活躍してくれたのが、自作の木枠ゲージです。 11月も終わりに近づき、寒くなったため、翌春まで作業は中断です。

手前から2本目の枕木に「welcome」の掘り文字が見えます。
5月になってようやく気分を一新して作業を再開。
すぐにカンを取り戻して数日後に殆ど敷き終わりました。
しかし、枕木や建物に接する部分に、レンガを切って入れる必要があります。
手前の樹木(姫シャラ)も追加して、根元に姫高麗芝を貼り付けました。
枕木沿いにベゴニアを植えました。
最後に小さなフェンスを、枕木の上に取り付け('06年6月23日)をして完成しました。その全景です。
右側が門で、ちょっと貧弱ですが、わが家のレベルから見れば、こんなもんでしょう。

(フェンスの仕様)
異形鉄筋D-25を、逆Uの字に曲げた後に帯鉄を溶接。亜鉛ドブ漬けメッキをした後に、油性ペンキで塗装。合計25個を枕木に木ネジで固定しました。
境界枕木の油気がなくなってグレーになったうえ、表面が荒れてしまったので、オイルスティン(ウォールナット)を、スプレーガンで黒くしました。
作業時間と塗りやすさを考慮して、ハケ塗りを避けて大正解でした。
奥の方から撮影を。
前庭を屋根の上から撮影。
黄色のゾーンに、赤レンガを数個散らばすと、もっとレンガに表情が出ると思いますが、いずれ近いうちに。
裏側の庭を屋根の上から撮影。

 【 付 録 】 

樹木の根周り部分は、レンガを丸くカットしました。
花壇のように、円周を2、3段積み上げることも考えましたが、全体に傾斜があるため、省略してしまいました。
樹木を支えている竹の棒は、完全に根が張ったらすかさず撤去する予定ですが、
風が強い場所なので、しばらくはこのままで。
レンガを円周状にカットします。
根周りの直径を考慮して、レンガの目地に合わせて並べます。
ひもコンパスとチョークで円を書きます。
半端になったレンガは、ここでフルに使います。
散水栓周りの収まりです。 弁ボックス周りの収まりです。小さな円形のため、コンクリートで仕上げました。
ディスクグラインダーを、作業台に取り付けた自称レンガカッター(自作)です。
左の青い送風機は、あまり効果がなかったので取り外し、右の工場扇に変更しました。
後ろに工場扇を置いて、埃を吹き飛ばします。
カッター目を入れれば、レンガ割りは終わったも同然。
四面にちゃんとミゾを付けないで叩くと、思わぬところで割れてしまいます。
レンガ用のヤットコ(自作)は、写真のようにして使います。100円ショップで買ったラジオペンチの先端を改造しました。
一旦敷いたレンガを1個だけ引き抜くときに便利です。
1、2回雨が降ると、レンガは完全に落ち着くので、周囲より低くなっているレンガを見つけたら平らに修正します。
(方法)
レンガ1個を全部引き抜かず、ヤットコで掴んで低くなっている角方向を2、3回上下させて目地の砂を下に落とします。これでレンガが平らになります。ただし、大きく陥没している場合は、一旦引き抜いて砂を充填します。最後は目地に砂を補充します。
写真のように、ベルギーレンガは角がボロボロに丸まっています。一見柔らかそうですが、場所によっては堅い部分もあり、裏表の色合いも異なって味わいがあります。
極寒時には、レンガに含まれた水分が凍結して、貝殻状に欠けることあります。
欠けが気になる場合は、レンガをひっくり返して使います。
樹木を常時ライトアップ。
ソーラーパネルによる自家発電で蓄えた電気で照らします。
光源には車用の作業灯を転用し、ランプはレンガの中に埋めます。
カバーは素焼きの植木鉢を斜めにカットして被せました。
洋芝の種を、6mm幅しかない目地に蒔いてみました。
手順は
①目地砂を深さ1cm以上を水道水のシャワーで流し飛ばします。
②目土を入れて、散水してから種を蒔きます。
③種が隠れる程度に目土を撒きます。
④水道水を霧状にして種が飛ばないように時々散水します。

写真は、芽が出るまでの間、種が雨で流されないように、数cm浮かして乳白色のPP板を被せたところです。最初、レンガ表面から約1cm浮かせた状態で被せたところ、通気が悪くなり、中央部分が遅く発育してしまいした。
約1週間で、レンガ表面まで伸びました。本当は、ここで背の高さはストップして、びっしりと横に殖えてくれるとありがたいのですが。

(目土の深さについて)
種を被せ終わった目土の深さは、深すぎても浅すぎてもまずいようです。
レンガの表面から1cm下がり程度にすると、芝生をレンガ表面で刈り込んでも、芝生の背は1cmということになり、最適かと思います。

成長したら芝刈機で時々刈ってやる必要がありますが、負けずにいつまで刈り続けられるかが問題です。
この上の写真の奥に写っている芝生で、種蒔き後、半月を経過したものです。生育は順調でしたが、目土を浅くしたまま種を蒔いたため、芝を刈ると丸坊主になりそうなので、失敗でした。
考える前に手が動いているので、失敗の連続です。
今のうちに、失敗した芝生を引き抜いて、深く植えなおすことにしました。
なんと、半月程度で根は5cmくらいまで伸びていました。これ以上放置しておくと、レンガの裏側まで根が伸びて、引き抜けなくなりそうです。
当然ですが、移植するよりも一面に直播きをする方が、断然速いですね。
右上の苗を、目地の砂を低くしてから、レンガの交差点にだけ移植してみました。
これで自然に広がってくれれば、目的達成!!ということになりますが…。

この芝は、ホームセンターで買ったケンタッキー・ブルー・グラスという、タフな牧草芝です。
ゴルフ場においては、主にラフや法面に使うもので、成長すると膝くらいまで伸びるそうです。放置するとたちまちレンガが埋もれて見えなくなります。

最初、ここに使う芝は、グリーンに使うベントグラスを、と思ったのですが、病気に弱くて管理が難しいことと、種が高価なので不採用としました。ということで、芽が出揃ったのですが、残酷ながらも除草剤を散布してすべて枯らしてしまいました。
芝生の作業とは別に、露地にあった砂ゴケを剥がし、試しに植えてみました。
しかし、ちょっと黄色みを帯びており、軽い感じの色になるため、一旦移植しましたが、全部引き抜きました。
次に見つけたコケは、色合いが良いため植えてみました。このコケは通行の頻繁な歩道のレンガの目地にでもビッシリと繁殖するハリコガネの仲間です。今後はこれ一筋で行くつもりです。
しかしコケの成長は極めて遅く、なかなか簡単に目地が緑に変わってくれそうもありません。
でも、コケなら除草剤を散布しても平気だし、芝生のようにレンガ表面より高く伸びてしまうこともなさそうなので、ベストなようです。

最初の頃に敷いたレンガの表面には、色んな汚れが付いて、風合い?が出てきました。目をこらして見ると、なんとハリコガネの仲間らしきコケが、あちこちに自然に生え始めているではありませんか。「今までのナヤミ?は何だったんだ」と苦笑い。
もう、これで私のレンガの緑化対策は打ち切りました。
何年掛かるか知れませんが、静かに全部の目地が緑色に染まってくれるまで、じっくりと待つことにしました。これが結論です。
木の根本に張ってある芝が、だんだん四方のレンガ目地に広がってきました('07.9.16現在)。芝生の成長は早く、無精な私には手入れができません。
そこで右の写真のように、芝が広がらないように、小さな仕切り板を埋め込むことにしました。
まず目地の芝を剥ぎ取る作業から始めますが、このくらいまで伸びると、根の多くはレンガの下にまで伸びていました。
解っていたことですから、はじめから埋めておけば良かったと、しきりに後悔です。
写真は円周の半分近くの芝を除去し終わったところです。
レンガの厚さ程度の仕切り板を、レンガ正面より1㎝程度飛び出して埋め込みました。
仕切りの材料には、切り裂いたサニーホースを使いました。放っておけば乗り越えてくるでしょうが、板の下をくぐって発芽するものか疑問です。

コメント