●本当に昭和天皇のお言葉か
日経が、富田メモの最重要部分として強調するのは、以下の部分である。
「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」
日経8月3日号の記事は、これを昭和天皇の「生のお言葉」としている。徳川元侍従長がなんらかの形で内容に関わっている可能性は考慮されていない。
私は、富田メモが、昭和天皇のご発言を直接または間接に記録したものである可能性はあると思っているが、どうしても腑に落ちないものがある。日経の今回の記事は、疑問を解消するものではない。
もし「A級」の語が発言者の言葉を富田がそのままメモしたのだとすれば、こうしたぞんざいな言葉遣いを、昭和天皇がなさるとは思えない。そう感じる人は多い。また、昭和天皇は、戦前は立憲君主として、戦後は象徴天皇として憲法の規定に忠実であろうとなされた。ご自分のお言葉が政治に影響を与えることのないように固く自制されていた。そうした天皇のお人柄を思うと、個人名を挙げて批判されていたとする報道に違和感を覚える。そう言う人も多い。
なぜ相当数の有識者やネット利用者が、富田メモを昭和天皇のお言葉と見ることに疑問を出すのか、日経の記事は、積極的な検討をしていない。
私は、前回書いた4月28日の富田と徳川の行動を精査したうえでなければ、昭和天皇のご発言とは断定できないと思う。
●もしお言葉だったとすれば
もし富田メモが昭和天皇のご発言を直接または間接に伝えるものだったとすれば、他の史料と対照して真意を探ることが必要だろう。この点も、日経の記事は、積極的な検討を行っていない。
様々な史料の示すところによれば、昭和天皇は松岡に対しては厳しい見方をされていた。この点のみは、富田メモと符合する。しかし、東条に対しては相当の評価をされている。また戦後は遺族に心遣いをされていたという。天皇は、戦前の国家指導者を「戦争犯罪人」ではなく「功労者」と言われてもいた。天皇の大戦観は、まったく日本国の立場に立ったものであり、アメリカの太平洋戦争史観や東京裁判史観とは相容れない。当然、東京裁判に対しても、戦後多くの国民が抱いているものとは異なった見方をされていただろう。(註)
それゆえ、昭和天皇が元「A級戦犯」の全員について、靖国への合祀に「反対」だったとは、非常に考えにくい。少なくとも「反対」の理由が、彼らが「戦争犯罪人」だからだということは、あり得ない。
元「A級戦犯」の一部の合祀について、何かを感じておられた可能性は否定できないが、合祀に「問題を感じておられた」とは言えても、「不快感」(マスメディアの表現)を示しておられたという日経の解釈は、妥当とは言えない。
あたかも昭和天皇が元「A級戦犯」は「戦争犯罪人」だから合祀されていることに「不快感」を表し、靖国から外すべきだと示唆されていたかのように印象づける報道は、ほとんど犯罪に近いと思う。
●護国神社・全国戦没者追悼式・勅使差遣等との関係
産経新聞8月7日号が新たな事実を伝えた。靖国神社に元「A級戦犯」合祀の行なわれた昭和53年を最後に、昭和天皇の各地の護国神社へのご親拝が途絶えていたことがわかったという。今上天皇が平成14年栃木県護国神社にご親拝をされた際、宮内庁が元「A級戦犯」合祀の有無を事前に問い合わせていたことも明らかになった。この事実は、靖国ご親拝の中止理由が元「A級戦犯」合祀にあるという説を補強する。
しかし、昭和天皇は、昭和53年の元「A級戦犯」合祀後も、靖国神社の例大祭には、勅使を欠かすことなく差遣されていた。今上天皇も同様にされている。また、三笠宮殿下や寛仁親王殿下をはじめ他の皇族方は靖国に参拝を続けておられる。皇族のご参拝は、天皇のご意思に反して行なわれているはずはない。むしろ事実上の代拝とも考えられる。
毎年8月15日に、日本武道館で全国戦没者追悼式が行われる。この追悼式は、天皇・皇后両陛下をお迎えして政府主催で行なわれている。追悼対象には、元「A級戦犯」を含んでいる。昭和27年の第1回以来、その基準は変わっておらず、昭和天皇も今上天皇も元「A級戦犯」を含む戦没者の追悼をすっとされてきている。
この一見、一貫性のない事態は、どのような理由によるのか。昭和天皇のご意思か、宮内庁など官僚の意思か。この点も、日経の記事は、積極的に検討していない。
私は、天皇の靖国ご親拝中止は、憲法問題を含む政治問題を生じることを避けるためと考えている。元「A級戦犯」の合祀に問題があるのではなく、天皇の靖国ご親拝が憲法上の問題と問われる状況、またご親拝を政治問題化する動きや、外国からの干渉に同調・譲歩するような政府の姿勢に問題があると見ている。
だから、政治的に問題になっていない靖国ご親拝以外の勅使差遣や、全国戦没者追悼式へのご臨席等は、そのまま続けておられるのだろう。元「A級戦犯」の合祀自体に問題があるのであれば、靖国への勅使差遣も皇族のご参拝等も一切やめられたはずである。
次回に続く。
註
・詳しくは、拙稿「富田メモを検討する6~10」をご参照のこと。
日経が、富田メモの最重要部分として強調するのは、以下の部分である。
「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」
日経8月3日号の記事は、これを昭和天皇の「生のお言葉」としている。徳川元侍従長がなんらかの形で内容に関わっている可能性は考慮されていない。
私は、富田メモが、昭和天皇のご発言を直接または間接に記録したものである可能性はあると思っているが、どうしても腑に落ちないものがある。日経の今回の記事は、疑問を解消するものではない。
もし「A級」の語が発言者の言葉を富田がそのままメモしたのだとすれば、こうしたぞんざいな言葉遣いを、昭和天皇がなさるとは思えない。そう感じる人は多い。また、昭和天皇は、戦前は立憲君主として、戦後は象徴天皇として憲法の規定に忠実であろうとなされた。ご自分のお言葉が政治に影響を与えることのないように固く自制されていた。そうした天皇のお人柄を思うと、個人名を挙げて批判されていたとする報道に違和感を覚える。そう言う人も多い。
なぜ相当数の有識者やネット利用者が、富田メモを昭和天皇のお言葉と見ることに疑問を出すのか、日経の記事は、積極的な検討をしていない。
私は、前回書いた4月28日の富田と徳川の行動を精査したうえでなければ、昭和天皇のご発言とは断定できないと思う。
●もしお言葉だったとすれば
もし富田メモが昭和天皇のご発言を直接または間接に伝えるものだったとすれば、他の史料と対照して真意を探ることが必要だろう。この点も、日経の記事は、積極的な検討を行っていない。
様々な史料の示すところによれば、昭和天皇は松岡に対しては厳しい見方をされていた。この点のみは、富田メモと符合する。しかし、東条に対しては相当の評価をされている。また戦後は遺族に心遣いをされていたという。天皇は、戦前の国家指導者を「戦争犯罪人」ではなく「功労者」と言われてもいた。天皇の大戦観は、まったく日本国の立場に立ったものであり、アメリカの太平洋戦争史観や東京裁判史観とは相容れない。当然、東京裁判に対しても、戦後多くの国民が抱いているものとは異なった見方をされていただろう。(註)
それゆえ、昭和天皇が元「A級戦犯」の全員について、靖国への合祀に「反対」だったとは、非常に考えにくい。少なくとも「反対」の理由が、彼らが「戦争犯罪人」だからだということは、あり得ない。
元「A級戦犯」の一部の合祀について、何かを感じておられた可能性は否定できないが、合祀に「問題を感じておられた」とは言えても、「不快感」(マスメディアの表現)を示しておられたという日経の解釈は、妥当とは言えない。
あたかも昭和天皇が元「A級戦犯」は「戦争犯罪人」だから合祀されていることに「不快感」を表し、靖国から外すべきだと示唆されていたかのように印象づける報道は、ほとんど犯罪に近いと思う。
●護国神社・全国戦没者追悼式・勅使差遣等との関係
産経新聞8月7日号が新たな事実を伝えた。靖国神社に元「A級戦犯」合祀の行なわれた昭和53年を最後に、昭和天皇の各地の護国神社へのご親拝が途絶えていたことがわかったという。今上天皇が平成14年栃木県護国神社にご親拝をされた際、宮内庁が元「A級戦犯」合祀の有無を事前に問い合わせていたことも明らかになった。この事実は、靖国ご親拝の中止理由が元「A級戦犯」合祀にあるという説を補強する。
しかし、昭和天皇は、昭和53年の元「A級戦犯」合祀後も、靖国神社の例大祭には、勅使を欠かすことなく差遣されていた。今上天皇も同様にされている。また、三笠宮殿下や寛仁親王殿下をはじめ他の皇族方は靖国に参拝を続けておられる。皇族のご参拝は、天皇のご意思に反して行なわれているはずはない。むしろ事実上の代拝とも考えられる。
毎年8月15日に、日本武道館で全国戦没者追悼式が行われる。この追悼式は、天皇・皇后両陛下をお迎えして政府主催で行なわれている。追悼対象には、元「A級戦犯」を含んでいる。昭和27年の第1回以来、その基準は変わっておらず、昭和天皇も今上天皇も元「A級戦犯」を含む戦没者の追悼をすっとされてきている。
この一見、一貫性のない事態は、どのような理由によるのか。昭和天皇のご意思か、宮内庁など官僚の意思か。この点も、日経の記事は、積極的に検討していない。
私は、天皇の靖国ご親拝中止は、憲法問題を含む政治問題を生じることを避けるためと考えている。元「A級戦犯」の合祀に問題があるのではなく、天皇の靖国ご親拝が憲法上の問題と問われる状況、またご親拝を政治問題化する動きや、外国からの干渉に同調・譲歩するような政府の姿勢に問題があると見ている。
だから、政治的に問題になっていない靖国ご親拝以外の勅使差遣や、全国戦没者追悼式へのご臨席等は、そのまま続けておられるのだろう。元「A級戦犯」の合祀自体に問題があるのであれば、靖国への勅使差遣も皇族のご参拝等も一切やめられたはずである。
次回に続く。
註
・詳しくは、拙稿「富田メモを検討する6~10」をご参照のこと。
昭和天皇がいわゆるA級戦犯合祀に対する思いを述べられ、それを富田氏がメモした物
と言う事だったと思いますが、8月3日の日経の検証によると
4月28日の会見の為に昭和天皇の御意見を御伺いした時のメモとなっています。
好きな力士の名前も仰らなかったと言われる昭和天皇が実名を挙げて閣僚や宮司を批判し、
それを会見の為に富田氏に聞かせて、如何しようと思われたのでしょう。
まさか会見でこれを伝えてくれと仰っていたのでしょうか。
メモの未公開部分についての検証記事が2週間近く経ってからようやく出たのは何故なのでしょう。
日経は最初の記事の前に全ての検証を終えているはずです。
日経は一方的に自分達の解釈を押し通し、自分達の解釈に不都合な部分は公開するつもりはなかったが、
余りに批判が多く、またネット上で未公開部分が解析されてしまった為
仕方なく未公開部分について検証記事を書いたのではないでしょうか。
しかもこの部分については未だにメモを公開していません。
同じ記者会見に関する発言を書いたメモの一部分であり
既に解析されている内容を見ても公開できない理由はありません。
それから、日経は「=は富田氏の発言を示すメモの特徴」としていましたが、
これについては私もほぼ同意見ですが、「発言」とは限りません。
細川さんも「ずさんなメモ」と書いておられましたが、
この「ずさんなメモ」にわざわざ自分の発言を書いているとは思えません。
私は、後で昭和天皇に報告する時の為の富田氏の注解だと思います。
このメモに対しては色々な疑問があります。
東京裁判を認めていなかったとされる昭和天皇の発言とは思えないと言う事もありますが、
私のこのメモに対する根本的な違和感は、いわゆるA級戦犯合祀は
天皇陛下が靖国に行幸できない理由になっても、行幸しない理由にはならないと言う事です。
「だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」これをそのまま読むと
いわゆるA級戦犯合祀が気に入らないので、陛下の意思で靖国に行幸していないと仰られている事になります。
昭和天皇は戦前は立憲君主であり、主権者でした。
昭和天皇は、陛下の名により徴兵され、戦死すれば靖国神社に祀ってもらえると、
そして当然、天皇陛下に行幸してもらえると信じて死んでいった246万の英霊に対して
行幸される責任を感じておられたと思います。
彼らは天皇が象徴になる前に、日本の憲法が政教分離を謳う前に死んでいったのです。
これは日本国が彼らと交わした約束、公約です。
戦後の政治家、マスコミはその責任を感じてはいないでしょうが、
いくら国の体制が変化したとしても、戦前戦後を通じて天皇であり続けた昭和天皇が
その責任を感じていなかったとは思えません。
いわゆるA級戦犯合祀が気に入らないからといって、その責任を放棄されるとは思えません。
> ○昭和天皇、侍従、筑波宮司が合祀を認可し、日本国民が参拝していた人々
> ・杉山元(参謀総長・「A級戦犯」被指定者・戦後自決)
> ・本庄繁(関東軍司令・「A級戦犯」被指定者・戦後自決)
> ・小泉親彦(厚相・軍医中将・「A級戦犯」被指定者・戦後自決)
> ・阿南惟幾(陸相・戦後自決)
> ・大西瀧次郎(海軍中将・特攻・戦後自決)
> ・寺内寿一(陸軍元帥・インパール・拘留中病没)
>
> ソース:「現代史の対決」他
> 「鎮霊社のミステリー」中の合祀者リスト(内宇垣纏は未確定)
> http://ime.nu/kasamatusan.sakura.ne.jp/cgi-bin2/src/ichi45445.jpg
>
> 「A級戦犯」被指定者の立場は永野修身、松岡洋右と同等。
さらに昭和天皇は靖国神社は軍人が祀られるところであって、文民が入るべきではない考えておられた。
と言う意見に対して、それは明治天皇の意思に反しているとの意見でした。
確かに、坂本竜馬、吉田松陰は戦死した軍人ではないですね。
これらが事実であれば「A級」とか「戦死した軍人ではない」者達が合祀された事に不快感を示されていたとは思えません。