ほそかわ・かずひこの BLOG

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ユダヤ107~フランスにおけるユダヤ的知性の輝き

2017-09-27 08:53:46 | ユダヤ的価値観
フランスにおけるユダヤ的知性の輝き

 ここで、フランスにおけるユダヤ人の活躍を書いておきたい。西洋文明のもとはヨーロッパ文明であり、ヨーロッパ文明の文化的中心の一つは、フランスである。そのフランスにおけるユダヤ的知性の輝きについて、少し時代をさかのぼって19世紀末から20世後半までを概観したい。
 19世紀末から、フランスでは、ユダヤ人を人種として差別するアンチ・セミティズムが高まった。だが、その圧力に屈せずに、ユダヤ人が学問・芸術等の分野で高い能力を示し、揺るぎない評価を得ていった。その代表的存在が、デュルケームとベルクソンだった。第2次世界大戦中、ナチスに支配されたフランスでは、ユダヤ人の迫害が行われた。その数年間を耐え忍んだユダヤ的知性は、大戦後、戦前に増す活躍をしてきた。サルトルによる実存主義、レヴィ=ストロースによる構造主義は、その時代の主要な思潮となった。ポスト構造主義の時代にも、ユダヤ人が独創的な知的活動をしている。21世紀の今日は、トッド、アタリなどのユダヤ系フランス人が世界的な知性として活躍している。こうしたユダヤ人の活躍を除くと、19世紀末から21世紀にかけてのフランスの文化的栄光は、なかば以上が失われるほどである。フランス的知性とは、フランス=ユダヤ的な知性と言っても過言ではないだろう。

●デュルケームは社会学の独自性を確立

 さて、こうしたフランスにおけるユダヤ的知性の活躍を振り返る時、まず挙げたいのは、エミール・デュルケームである。デュルケームは、1858年に、代々敬虔な信仰を保持するユダヤ人の家に生まれた。父親と祖父はラビだった。また彼の教え子と友人の多くはユダヤ人であり、血縁者だった。この極めてユダヤ的な環境にあって、デュルケームは、社会学を他の学問にはない独自の対象を扱う独立した学問として発展させた。
 デュルケームの基本的な立場は、実証主義(ポジティヴィズム)である。実証主義とは、経験に与えられる事実のみに基づいて論証を推し進めようとする立場であり、超経験的な実体の想定や、経験に由来しない概念を用いた思考を退ける。
 社会科学における実証主義は、19世紀末のアンリ・ド・サン=シモンに始まる。エンゲルスによって空想的社会主義者に数えられたサン=シモンは、むしろ産業主義の祖であり、産業社会の建設を目指し、自然科学の方法を用いて人間的・社会的諸現象を全体的かつ統一的に説明しようとした。彼の秘書をしたことのあるオーギュスト・コントが、実証主義を体系化した。コントは、人間の知識と行動は、“神学的―形而上学―実証的”の3段階で進むという法則を提示し、社会現象についての実証的理論を社会学と位置付けた。デュルケームは、コントの立場を徹底し、比較法や統計的方法を用いて優れた社会研究を行い、実証主義の経験科学として社会学を確立した。
 彼以前において、社会学の研究は、社会有機体説による生物学的方法や個人の心理現象の研究による心理学的方法によっていた。これに対し、デュルケームは、社会学に固有な客観的・社会学的方法を提唱した。そして、社会現象は感情的評価から離れて、客観的に観察・記述されなければならないとした。
 デュルケームは、社会学の分析対象は「社会的事実」であるとした。社会的事実とは、個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは社会全体に共有された行動・思考の様式をいう。「集合表象(集合意識)」とも呼ばれる。個人の意識が社会を動かしているのではなく、個人の意識を源としながら、それとはまったく独立した社会の意識が諸個人を束縛し続けているのだ、とデュルケームは主張した。そして、人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されることを示した。自殺、アノミー、道徳等の研究で知られる。
 デュルケームは、社会学の他、教育学、哲学などの分野でも活躍した。彼を中心にデュルケーム学派が形成され、道徳・宗教・経済・法律・言語などの各方面において社会学的研究を展開した。デュルケームは、1917年に死去した。彼の理論は20世紀初頭に活躍した社会学者・民族学者・人類学者等に多大な影響を与えた。
 社会学の歴史におけるデュルケームの位置は、精神医学の歴史におけるフロイトの位置に匹敵する。ともにユダヤ人が、学問・学術のある分野で枢要な役割をはたしてきた顕著な事例である。

 次回に続く。

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