ほそかわ・かずひこの BLOG

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日本復興の提言~藤井厳喜氏3

2011-04-26 12:26:34 | 時事
 藤井(厳)氏の提言の第3回。

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■藤井厳喜氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」(その3)

4.新エネルギー開発による段階的脱原発化 

▲福島における原発事故は、現在のところ、最悪の事態を免れてはいる。
 大震災と大津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害が引き金となってはいるが、基本的に人災である。最悪の事態が起きる前に、日本は現在の核分裂に基づく原子力発電所を段階的に廃棄し、新エネルギーの開発によって、これを代替すべきである。
 原発については、様々な考え方があり、私自身もかつては原発容認派であり、寧ろ最近は「原発推進もやむをえず」との立場を取って来た。しかし、他の国はともかく、いつでもどこでも予測不可能な大震災の起きる可能性のある日本の国土にとっては、現在の原発はあまりに危険すぎる。
▲日本の原子力発電所を各国と対比した場合、相対的に安全であったのは事実であろう。
 しかし、マグニチュード8.5の地震には耐えられても、マグニチュード9とそれに付随して起きる大津波には耐えられなかったというのが現実である。どこにどの程度のマグニチュードの地震が起き、それがどの程度の震度となり、あるいはどの程度の津波被害をもたらすか等を、完全に予測する事は出来ない。
 安全基準は常にある程度の常識の範囲内で行なわざるを得ない。歴史的にマグニチュード9の地震が、過去になかったとすれば、それを想定しないのが経済合理性というものである。しかし、何百年に一度、千年に一度の想定外の大地震はいつでも起きる可能性があり、現実に今日の東北ではそれが起きてしまった訳である。
▲M9の地震や大津波に耐えうる原発を創る事は可能であろう。
 しかしそれでも、M9以上の地震や津波には耐えられないであろう。そうである以上、原子力発電所が日本にとってはあまりに危険であり、不向きな発電方法である事は確かである。
 地震や津波の想定とは、所詮、人間の都合で行なう事であり、もっとハッキリ言えば、企業は常にこれを採算性と照らし合わせて行なっている。安全性最優先ではないのである。地震の絶対ないテキサスや、フランスやドイツならば原発は作ってもよいかもしれない。それは各国それぞれが独自の判断で行なえばよい事だろう。
 日本に原発が向いていないからと言って、地震も津波も台風も来ない自然条件をもった国が原発を全廃すべきである、とは言えない。しかし、日本国に関して見れば、まさに想定外の地震災害が起き、それによって原発の安全神話は完全に崩れてしまったのである。
▲今日までのところ、原発事故に起因した被爆による死者ないし患者は、一人も出ていない事になっている。
 そうであり続ければ結構な話だが、今後、被ばくによる様々な被害者が続出して来ると思われる。
 死者が今のところ発生していないにしろ、かなりの放射線漏れがあり、防災対策員を中心にかなりの被爆者が発生している。これは明らかに電力会社が公言していた「安全」の約束が破られた事を意味している。これに対する社会的責任は誠に重大であると言わなければならない。
▲電力供給は、公共性の高い事業であり、電力会社は、自由競争を免除されて、独占的な立場を享受している。
 それは事業の安全と電力の安定供給の為に与えられた特権的な立場である。その特権的な立場にも関わらず、今回、東京電力は、電力の安定供給が出来ず、安全性を保つ事が出来なかった。その社会的責任は実に甚大である。
 また、原発災害の対策の為に、国家機関がどれほどの費用を負担しなければならなかったのか。 この費用負担に対しても東京電力は全面的に責任がある。企業のあり方そのものの変革が必要である。
▲そもそも原発に関しては、「絶対安全」が謳われ、「安全神話」が造られてきた。
 何故なら、万が一、本格的な原発事故が起きた場合、その被害があまりに膨大な為である。
 今回の福島原発の事故でも、本格的なメルトダウンが発生していれば、首都東京も含む、東日本のかなりの部分が危険地域となり、数百万人の被害者が発生していた可能性がある。また事故が巨大となれば、日本国民そのものの生存が危うくなる可能性もあった。更に事故が巨大になれば、日本国一国の問題ではなく、放射能汚染が地球のかなりの地域にまで拡がり、被害を拡大した可能性もある。それ故に、原発に関しては絶対安全神話が人為的に作られて来たのである。
▲今回、我々は、日本の、もしかすると人類の「最後の日」を垣間見た訳である。
 この恐怖感に我々は素直に反応すべきであると思う。
 そもそも、絶対安全でなければならない技術は使ってはならないというのが原則である。何故なら、人間の作るものに絶対安全は有り得ないからだ。人間の作るものに絶対安全はない。事故が起き、技術が破綻した場合でも、その被害が限られているから、我々は絶対安全でない技術を使い続けているのである。
 例えば旅客機は、「絶対安全」ではない。しばしば墜落事故を起こす事を我々は知っている。しかし、旅客機が墜落した場合の最大の被害は、乗客と乗員の全員死亡である。(それが原発の上に落ちない限りは…。)
 火力発電所が事故を起こしても、その最悪の結果は想定内である。環境の破壊もあるが、それも限られたものである。しかし、現行の原発の事故に関しては、最悪の事態は、地球環境事体の汚染であり、日本人そのものの生存すら危うくなる可能性がある。このような(絶対安全を前提としなければならないような)技術は、使ってはならないというのが、本来の技術哲学である。
▲人類は、スリーマイルアイランドの事故とチェルノブイリの事故と福島第一原発の事故を経験した。
 各国の判断は、各国国民に任せるとしても、少なくともこの地震列島に住む我々が、これ以上、原発に電力供給を依存し続けていく事は許されないだろう。それは又、我々の子孫に対する責任であると同時に、他の国々に対する責任でもある。国土を核汚染して取り返しのつかないような災害をもたらす事を、日本国を愛する全ての人々は許してはならない。
▲日本に全く地震が無く、津波も台風も無く、ウラン鉱石が豊富であるならば、日本が原発に依存する事にも、ある程度の合理性は存在する。
 しかし日本の地理的条件は全くそうではない。
また、原発に対する代案がなければ原発廃絶を訴える事は、あまりに無責任な主張であろう。しかし現在、バイオマス、常温核融合、その他の再生可能な自然エネルギー、又、従来の火力発電や水力発電の効率化や節電などの新テクノロジーが既に目白押しであり、国内の発電量の約3割から4割(原発の発電量)をこれらの新しい電力源で代替させる事は、十分に可能である。それどころか、国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化は、日本が世界に輸出する新テクノロジーとして、有望な成長産業である。
 原発推進者自身が認めるように現在の核分裂型の原子炉は、本格的なクリーンで安全なエネルギー源が誕生するまでの過渡期の発電形態に過ぎない。
▲現在、最も革新的なものとしては常温核融合の可能性も大きく拡がっており、それ以外にも、様々なコスト的にも成立可能な代替エネルギーが開発されている。
 これらの普及を阻んでいるのは、寧ろ、現在既に存在しているエネルギー利権である。例えば、植物から取れる安価なアルコール燃料が普及すれば、ガソリンの売上が減少するので、石油会社はこれを阻もうとする。原子力発電にとって代わる安全で安価な常温核融合発電がもし可能であったとしても、既存の電力会社の利益構造がそのような新テクノロジーの発展を阻む事になる。
 要は、如何に合理的で、市場性のある新エネルギーでも、既存の利権構造に阻まれれば、社会に普及する事が出来ないという問題である。今や、このような社会の安全と進歩を阻む旧利権体制を一掃して、国民に安全で安価なエネルギーを供給する体制を打ち立てなければならない。
▲しかし、これには大きな困難が伴う。
 独占的な9電力体制によって守られている電力会社は、巨大な利権機構であり、官僚組織である。
 まして原子力発電は、「めちゃめちゃに儲かる」商売なのである。彼らは政治家と学者とマスコミに対して、巨大な支配力を行使している。
 独占事業をやっている電力会社が本来、マスコミでPRをする必要は全くない筈だが、彼らはPRに厖大な費用を費やしている。原発を中心に電力会社に対する批判を封じ込める為である。今回の福島原発の事故に際しても、テレビ等の解説に登場した学者のほとんど全ては、原発擁護・推進派であり、電力会社の息のかかった御用学者である。
▲更に、この悲劇を増幅しているもう1つの事実がある。
 それは、反原発を唱える人々の主力が、リベラル左派の反体制派であった事である。日本の国益を重視し、日本の文化伝統を愛する立場からの反原発論者は極めて少数派であった。
 その結果、マスコミの中で展開される図式としては、「体制派=原発推進派」VS「反体制派=原発反対派」という不毛の対立図式しか存在しなかった。そこで一般に、国益や伝統を重視する人々の間では、原発に対する批判がタブー視されてきた傾向がある。一言論人として、そのような無言のプレッシャーは私自身も常に感じて来たところである。
▲ハッキリ言えば、保守的な言論人であって、脱原発の立場を明確に打ち出すのは、極めて難しい状況にあった。
 多くの雑誌やマスコミが、電力会社の広告料に依存している以上、ましてこの不況下で、マスコミの広告料が減少傾向にある中、電力会社の主張に相反するような言論を展開する事は、特に保守派の言論人にとっては、致命傷になる可能性がある。多くの言論人はこの事を無言の内、了解しており、このタブーにだけは触れないように、巧みに振舞ってきたと言えるだろう。
 このような国家と民族の未来を破壊する旧利権構造は最早、完全に過去のものとしなければならない。私自身の反省を込めて、そう訴える。
▲話がやや、個人的なレベルに逸脱してしまった感があるが、国家の通貨発行権を軸とした新公共投資の大きな柱として、新エネルギー開発を大胆に推し進めるべき時である。
 日本国民は、智恵と工夫の民族であり、一端、新しい課題が与えられれば、これを技術的に克服する事は決して難しくはない。日本人本来の創造性を信じて、新たな一歩を前に踏み出すべき時である。私自身は勿論、技術者ではないが、原発にとってかわる様々な新テクノロジーについては、常に関心をもって、これを見守っている。
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 以上が、藤井(厳)氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」である。次回から、氏の提言に関する私見を述べたい。
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