ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教55~ギリシャ哲学の摂取による教義の整備へ

2018-06-03 08:42:39 | 心と宗教
●ギリシャ哲学の摂取による教義の整備へ

 ここで1世紀後半に話を戻す。当時各地のディアスポラ・ユダヤ人の日常語は、国際語化したギリシャ語だった。ユダヤ教では、儀式がギリシャ語で行われ、教養あるユダヤ人はギリシャ哲学の書物を読んでいた。その影響でヘレニズム化したユダヤ教が広がっていた。紀元前2世紀に、アレクサンドリアでギリシャ人と接触したユダヤ人が、聖書に示された啓示と伝統を理性と経験によって合理的に解釈しようとするユダヤ哲学を始めた。
 古代の代表的なユダヤ人哲学者は、紀元前後のピロンである。ピロンは、プラトンの影響を受け、神を永遠不変で純粋な物質的知性とし、叡智界におけるイデアのような存在と考えた。また、神と世界をつなぐロゴスを神より劣った第2の神または神の子と考え、当時の聖書である旧約聖書をプラトン主義的に解釈した。これによってユダヤ思想とギリシャ思想の調和を図った。こうしたユダヤ教におけるギリシャ哲学の摂取が、キリスト教に影響を与えた。
 1世紀後半からキリスト教に影響を与えたのが、当時振興したグノーシス主義だった。グノーシスは、ギリシャ語で知識・認識を意味する。グノーシス主義は、救いをもたらす神の認識を求める宗教思想運動である。世界の構成を精神と物質、霊と肉の二元論で捉える点に特徴がある。キリスト教においても、グノーシス主義によってキリスト教を解釈するものが現れた。彼らは、物質や肉体は不完全であり、キリストは霊と精神の世界を知った者としてその知を地上の肉の世界に啓示したと理解し、人間が肉の世界から浄化され、自分が神であることを認識することで救われると説いた。原始キリスト教団は、グノーシス主義的な一派を異端として排斥した。
 キリスト教のグノーシス主義派は、ロゴスが受肉してロゴスの真理を人々に啓示したものがキリストであると説いた。共観福音書の後に書かれた『ヨハネによる福音書』は、ギリシャ哲学の影響が見られ、グノーシス主義派の思想と似たところがある。同書は、「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1章1節)、「言は肉となった」(1章4節)、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1章14節)と書いている。ヨハネは「神の子」イエスの出現を、永遠のロゴス(言葉)である神が人間となってこの世界に入った(受肉)と理解した。
 ヨハネは、当時流行した仮現論に反対した。仮現論は、キリストは神が仮の姿をとって現れた姿であって本当の人間ではないとするものであり、グノーシス主義を背景にして生まれた説だった。ヨハネは、仮現論に反対し、イエスは「神の子メシア」(20章31節)とした。
 グノーシス主義派は異端とされたが、『ヨハネによる福音書』の思想は、正統の教義の要素となった。それによって、キリスト教にギリシャ哲学が摂取され、教義の整備が進められた。

●ギリシャ教父の取り組み

 イエスの死後、使徒の時代には、終末が近いと信じ、イエスの再臨を待望する信仰がされていた。しかし、終末はすぐ訪れず、イエスは再臨しなかった。そのため、終末論的な信仰から、安定的・継続的な信仰へと移行していった。安定的・継続的な信仰は、より一層教義の整備を必要とした。そこに発達したのが、教父神学である。
 2世紀後半に、キリスト教の正統的信仰を守るために信条がまとめられた。最初にローマ信条がつくられ、それがわずかに増訂されて使徒信条がつくられた。この信条には、イエスを神の独り子にして「主」とすること、聖霊による処女懐胎、死と復活といった要素が入っている。
 2世紀末ごろから、教義の整備のため、ギリシャ哲学をさらに摂取して、キリスト教とギリシャ哲学を総合する試みが行われた。その試みを行い、ギリシャ語で著述を行った神学者たちをギリシャ教父という。彼らの中心となったのは、エジプトのアレクサンドリアを中心とするアレクサンドリア学派だった。
 アレクサンドリア学派のクレメンスは、3世紀前半にギリシャ哲学、特にプラトンを擁護し、プラトンは不完全ではあるが、神の本質について真理を語っていると説いた。また、クレメンスの弟子、オリゲネスは、最初のキリスト教教義学の書とされる『諸原理について』、及び古代で最も説得力のあるキリスト教擁護論とされる『ケルソス駁論』を書いた。また、万人救済論を説いた。オリゲネスは東方正教会の性格を決定したといわれる。同教会の神学は、キリスト教とギリシャ哲学の総合、特に福音と新プラトン主義の総合に特徴がある。
 プラトンの思想がキリスト教神学に取り入れられたのは、プラトンの思想を独自に発展させた新プラトン主義によるところが大きい。プラトンの思想は、様々なイデア、魂の輪廻転生、神々の天界を説く点において、キリスト教の教義と本来、相いれないものがある。しかし、3世紀半ばから後半に活躍したプロティノスは、プロティノスは、プラトンの哲学をキリスト教が摂取しやすいものへと発展させた。彼が実質的に新プラトン主義の創始者となった。
 プロティノスは、万物の根源は一者(ト・ヘーン)であるとした。一者は万物の彼方にあり、一切の価値を超えたものである。それが流出して精神(ヌース)が生まれる。精神は真実在の世界にあって、一者を観照し、その光に満たされて霊魂(プシュケー)を生む。霊魂のうち世界霊は、影の世界としての感性界を創り出す。一方、人間の霊は感性界の美しさに魅惑されて、真実在の世界から降下し、肉体に宿った。しかし、人間は感性界にとらわれずに、真実在の世界に帰るように努めねばならないとして、一者への還帰を説いた。
 新プラトン主義の目的は、自己を脱して、一者と合一することである。一者はプラトンの善のイデアに由来し、善なるもの(タガトン)とも呼ばれる。プラトンが、個々の魂の帰郷を説いたのに対し、新プラトン主義は万物の流出と還帰の構造の中で、一者との合一を説いた。一者は、これを一神教的な人格神に置き換えることも可能である。こうして新プラトン主義は、ギリシャ哲学の成果を宗教的な思想にまとめあげ、キリスト教に提供した。キリスト教は、新プラトン主義の人間観、世界観、実在観を自らの枠組みの中に取り入れることで、プラトン哲学を利用することができた。プラトン及び新プラトン主義は、後にアウグスティヌスを通じて、キリスト教の教義形成に大きな影響を与えることになる。
 キリスト教神学のアレクサンドリア学派は、新プラトン主義を摂取した。4世紀にその学派で活躍したアタナシオスは、三位一体の教義の確立に大きく寄与した。彼については、次の正統と異端の項目に書く。
 ギリシャ教父は、近代的な大学の研究者のような存在ではない。信仰指導や教会運営の実務に携わりながら教理・教学の研究をし、異議ある者と論争をしながら、教義の整備を進めていった。彼らは、ユダヤ民族の宗教に由来するヘブライズムのキリスト教思想を、ギリシャ哲学で理論化し、神学を発達させた。ギリシャ文化は多神教の文化であり、ユダヤ文化の唯一神教の文化とは異なる。後者の無から万物を創造したという超越神の観念は、ギリシャ文化の思想とは全く異なるものである。だが、ギリシャ哲学は、ヘブライズムとヘレニズムを総合し得る理論を発達させており、キリスト教はそれを活用した。

 次回に続く。

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