ほそかわ・かずひこの BLOG

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インド5~ヒンドゥー教の実在観

2019-10-07 09:38:54 | 心と宗教
●統一的で明快な教義はない

 ヒンドゥー教には、教義を全体的に表す唯一絶対的な権威のある聖典がない。そのことは、ヒンドゥー教の全般に通用する明確な教義が存在しないことを意味してもいる。
 キリスト教には、教義を要約したものとして、神とイエスと聖霊の三位一体等を定めたニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条等の信条がある。プロテスタントでは、信仰告白という。イスラーム教では、信仰告白として「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはアッラーの使徒である」と唱える。この言葉が教義の最も簡潔な要約となっている。
 ヒンドゥー教には、このような教会または教団によって定められた信仰の指針は存在しない。ただし、このことはヒンドゥー教がまったく教義を持たないということではない。実際は、多種多様な教義が説かれている。基本的には多神教の教えだが、一神教的または汎神教的な傾向を示す教義もある。また、哲学的には、一元論的な傾向を示すのみならず、二元論・多元論もあり、また無神論や不可知論の立場もある。あらゆる思想や態度が並存している。そして、それらをすべて包摂しているのが、ヒンドゥー教なのである。
 ヒンドゥー教は、原始的な氏族的・部族的宗教の思想を排斥せず、ジャイナ教や仏教が現れれば、それらの教義を摂取し、イスラーム教が到来すれば、絶対的唯一神への信仰心を学習する。ヒンドゥー教は、そのようにして成長と変容を続けてきた。
 インド学者の森本達雄は、こうしたヒンドゥー教を、著書『ヒンドゥー教――インドの聖と俗』で、次のように表現している。「ヒンドゥー教には、偶像崇拝も偶像否定もある。功利思想もあれば無所有の思想もある。また人間虐待や動物犠牲もあれば、非暴力や自己犠牲もある。さらには奔放な性愛礼讃もあれば、息詰まるような禁欲主義もある。この意味では、ヒンドゥー教は宗教の百科全書、言い換えると、なんでもありの宗教である。そして、そのいずれもが、経典や教義をいかようにも解釈することによって正当化されてしまうのである」と。
 ヒンドゥー教は、このように途方もなく大きな包摂力を示す。しかし、単なる混沌(カオス)ではない。ヒンドゥー教の教義の中核には、次のような思想がある。すなわち、ブラフマンとアートマンは同一であるという梵我一如の真理を悟ることによって、輪廻転生の世界から解脱できるという思想である。
 次に、こうしたヒンドゥー教の教義を構成する実在観・世界観・人間観について述べる。

●実在観

◆梵我一如
 梵我一如とは、ブラフマン(梵)と呼ばれる宇宙の根本原理と、アートマン(我)と呼ばれる個人の本体は、究極において同一であるという考え方である。ヒンドゥー教徒は、この真理を悟れば、輪廻転生の世界から解脱することができると信じ、それを実践の目標とする。この思想は、複雑雑多な現象界の背後・根底に「唯一なるもの」を認め、万物はそれから分化し、それに依拠しているとする一元論的な発想に基づいている。

◆ブラフマン
 ブラフマンは、もとは祈祷の文句を意味する語で、聖典ヴェーダの言葉である讃歌・歌詞・祭詞・呪文等を意味した。そこから聖典の言葉に内在する不思議な霊力、神秘力をも意味し、その力を備えている者としてバラモンとバラモン階級全体を表す言葉ともなった。さらに宇宙の根本的な創造力の名称になり、遂に、宇宙の根本原理を意味する言葉となった。
 ブラフマンは、「拡大する」「膨張する」という意味の動詞語幹ブルフ(bṛh)の派生語である。「拡大するもの」「膨張するもの」を意味し、またその拡大・膨張の源となる力を意味する。そうした言葉が聖典の言葉を指すようになったのは、ヴェーダの言葉には特別の力があると考えたからである。そこから、ブラフマンは聖典の言葉に内在する不思議な霊力、神秘力をも意味するようになった。
 ブラフマンは、サッティヤすなわち真実であるともされる。これは、「必ずその通りに物事を実現する力」を持つということである。そこからさらに、ヴェーダの言葉は、世界をその言葉通りに創造する神秘的な力を持つという思想へ発展したと考えられる。
 祭儀を執行する祭官は、この神秘力を備えているとみなされ、ブラフマンを有する者としてバラモンと呼ばれた。また、バラモンが他の階級に勝るのは、この神秘力を有しているからだと考えられた。
 ヴェーダの宗教において、バラモンが行う祭儀は神々をも動かすと信じられ、ブラフマンとしての神秘力は神々を従わせる力と信じられた。『アタルヴァ・ヴェーダ』及びブラーフマナ文献において、ブラフマンは宇宙の根本的な創造力の一つの名称になった。そして、遂にブラフマンは、宇宙の根本原理を意味するものへと極まったのである。
 こうしてヴェーダの言葉、またその言葉に内在する力を意味したブラフマンは、万有を生み出す力にして、万有に偏在するもの、また万有そのものと同一視される根本原理へと、地位を高めた。
 原理としてのブラフマンは、抽象的・非人格的な実在だったが、やがて擬人化・神格化され、男性の最高神ブラフマー(梵天)と仰がれるようになった。「天」は、漢語では神を意味する。漢語で「神」は、英語のGodとも日本語のカミとも違って、「霊」を意味する。それゆえ、シナ人がインドの神々を訳す時には、「神」ではなく「天」と訳した。梵天は、梵という名の神を意味する。梵天ブラフマーは、ヒンドゥー教においては、ヴィシュヌやシヴァと同一視されるようになった。
 ブラフマンの概念には、祈りは必ず実現するという古代社会にしばしば見られる信仰がうかがわれる。インドでは早くから言語の霊力をヴァ―チュの名のもとに神格化した。ヴェーダの言葉ブラフマンを司る神として、祈祷神ブラフマナスパティが立てられた。『リグ・ヴェーダ』に「祈祷神は鍛冶工のごとくにこの一切を煽ぎ鍛えた」という意味の一節がある。聖典の言葉及び言葉に内在する神秘力を司る祈祷神が宇宙創造神になったわけである。このことは、言葉が神になった例であり、ブラフマンは一種の言語神と見ることができる。
 インド哲学研究者の宮元啓一は、著書『インド哲学 七つの難問』で、次のような考察をしている。「従来、宇宙の根本原理であるブラフマンはいわばたんなる物であると理解されていたが、そうではなく、宇宙の根本原理は、ことば、つまりロゴスなのである」と。
 ロゴスは言葉や論理、理法、理性等を意味するギリシャ哲学の概念である。キリスト教には、ギリシャ哲学の影響で、神は言葉(ロゴス)により万物を創造したとする思想がある。ヨハネ書は、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1章1節、新共同訳、以下同じ)、「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(書1章3節)とし、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1章14節)と書いている。ヨハネはイエスの出現を、永遠のロゴス(言葉)である神が人間となってこの世界に入った(受肉)と理解した。ここにはイエスは受肉したロゴス(言葉)であるという考え方が見られる。これはキリスト教の唯一神とロゴスとイエスの関係を表したものである。ヴェーダの宗教は唯一神教ではなく、キリスト教とは神の概念が異なる。だが、ブラフマンにおいて神と言葉を同一と見なす思想は、ギリシャ哲学及びキリスト教に類似した点がある。
 古代の日本でも、祈りの言葉に神秘力を認めた。言葉に宿る不思議な霊威を言霊(ことだま)と呼び、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。この思想は、ブラフマンやロゴスの思想に通じるものがある。日本では言霊は祝詞や和歌の働きに留まったが、インドやギリシャ、西洋では哲学的な思考が展開され、言葉の神秘力が宇宙の根本原理や神的な理性へと高められたのである。

 次回に続く。

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