●重要な縦書き部分と4月28日の調査
最後に、重要な富田メモの検討点を一つ述べたい。『文藝春秋』の鼎談でも不明のままとなっている部分である。昭和63年4月28日のメモの4枚目には、欄外に縦で「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」と書かれている。半藤氏は「うーん、ここはよくわかりません」と言っている。私は、全体に関わる鍵がここにはあると思う。
日経の説明に従って、仮に「=」は富田自身の意見を示す記号だとしよう。メモの3枚目にある昭和62年4月の記者会見を振り返る部分では、「=」の記号で始まる文に、「申しておりました」と謙譲語を使っている。ところが、昭和63年4月28日の記者会見の記録らしき部分で、奥野・藤尾のところでは、「=奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いである。
相手が「申しておりました」と書いたのと同じであれば、ここも「思いますが~ 思います」と書くべきだろう。それゆえ、前者は天皇に対するご返事、後者は同等の者の発言へのコメントと区別できるのではないかと思う。
昭和63年4月28日には、昭和天皇の記者会見は行なわれていない。だから、「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」は、この日の天皇と記者のやりとりに関するものではない。誰かと記者のやりとりについて、書いたものである。この日、富田は夜、記者の取材を受けている。また、徳川元侍従長の記者会見があったとも伝えられる。その取材と会見は一緒のものか、別々に行なわれたのか、調査することが喫緊の要事となっている。
可能性の第一は、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴き、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという状況である。
4月28日の記者会見は1回なのか2回なのか、参加者、記者による記録等を精査しないと判断できないが、富田メモの欄外の縦書きは重要なのである。その2行を解読できないと、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言が、果たして昭和天皇のお言葉なのか、断定はできない。発言者が徳川元侍従長という可能性がある。
可能性の第二は、欄外の縦書きも、昭和天皇と富田の一対一の場面での文言を書き留めたものという場合である。これは、どういう状況が考えられるか。28日夜には記者会見があった。翌日の天皇誕生日の朝刊に記事を書く記者たちのためのブリーフィングらしい。その前に、富田は昭和天皇からご意思をお聞きして、書き留めておいた。こうした状況だとすると、「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」のは誰について言っているのか。昭和天皇のことではない。天皇が閣僚のことも知らず、そうですがを多く使うなどあり得ないし、富田がそのような無礼な感想を書くわけもない。となると、昭和天皇の記者に対するご感想となるだろう。
具体的には4月25日に行われた天皇記者会見の時の記者に対する昭和天皇のご感想ということが考えられる。その日の記者会見で、記者たちのご質問に「余り閣僚を知らず」「そうですがが多い」と、天皇が感じられるような場面はあったのか。
読売新聞がこの記者会見を報じた記事によると、記者たちのご質問は以下の通りである。
「昨年の手術から半年余りたちましたが、最近のご体調はいかがでしょうか」「手術が決定した時、どのようにお思いになりましたか」「皇后陛下のご体調はいかがですか」「生物学の研究も再開されましたが、『皇居の植物』の執筆などで苦心された点をお話し下さい」「先日、五十年以上にわたり陛下にお仕えした徳川義寛侍従長が退任しましたが」「陛下が即位式(昭和三年十一月)をされてから六十年になりますが、第二次世界大戦について、改めてお考えをお聞かせ下さい」「日本が戦争に進んだ最大の原因は何だと思われますか」「沖縄訪問について、お気持ちをお聞かせ下さい」
最後の三つは関連質問としてされた。それを含めて、ご質問は以上である。
どこにも閣僚の話は出ていない。「そうですが」というような伝聞に基づく質問も見られない。記事を見る限り、欄外の2行は、4月25日の天皇記者会見に関して書いたものと見ることはできない。録画・録音が残っていれば、「余り閣僚を知らず」「そうですがが多い」と天皇が感じられるようなご質問があったのか、確認できるだろう。
私は現在のところ、第二の可能性は、ほとんどありえないと思う。第一の可能性つまり、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴いていて、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという可能性が高いと思う。
そして、この場合、富田のコメントと思われる第二番目の「=」の部分、つまり「奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いで書いた部分は、天皇に対するご返事ではなく、同等の立場にある徳川元侍従長の発言に対するコメントと考えられる。そして、富田メモの最重要の部分である、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言も、徳川の発言を書き留めたものという可能性が浮かび上がってくるのである。
富田メモは昭和天皇のご発言だとする立花氏、また半藤氏、秦氏、保坂氏、また天皇発言説を取る人には、是非、この点を検討していただきたい。何度も言うが、4月28日の記者会見について、1回なのか2回なのか、参加者、記者による記録等を調査・検討することが、極めて重要である。その調査・検討なしに、断定的なことはまだ言えない段階なのである。(了)
最後に、重要な富田メモの検討点を一つ述べたい。『文藝春秋』の鼎談でも不明のままとなっている部分である。昭和63年4月28日のメモの4枚目には、欄外に縦で「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」と書かれている。半藤氏は「うーん、ここはよくわかりません」と言っている。私は、全体に関わる鍵がここにはあると思う。
日経の説明に従って、仮に「=」は富田自身の意見を示す記号だとしよう。メモの3枚目にある昭和62年4月の記者会見を振り返る部分では、「=」の記号で始まる文に、「申しておりました」と謙譲語を使っている。ところが、昭和63年4月28日の記者会見の記録らしき部分で、奥野・藤尾のところでは、「=奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いである。
相手が「申しておりました」と書いたのと同じであれば、ここも「思いますが~ 思います」と書くべきだろう。それゆえ、前者は天皇に対するご返事、後者は同等の者の発言へのコメントと区別できるのではないかと思う。
昭和63年4月28日には、昭和天皇の記者会見は行なわれていない。だから、「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」は、この日の天皇と記者のやりとりに関するものではない。誰かと記者のやりとりについて、書いたものである。この日、富田は夜、記者の取材を受けている。また、徳川元侍従長の記者会見があったとも伝えられる。その取材と会見は一緒のものか、別々に行なわれたのか、調査することが喫緊の要事となっている。
可能性の第一は、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴き、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという状況である。
4月28日の記者会見は1回なのか2回なのか、参加者、記者による記録等を精査しないと判断できないが、富田メモの欄外の縦書きは重要なのである。その2行を解読できないと、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言が、果たして昭和天皇のお言葉なのか、断定はできない。発言者が徳川元侍従長という可能性がある。
可能性の第二は、欄外の縦書きも、昭和天皇と富田の一対一の場面での文言を書き留めたものという場合である。これは、どういう状況が考えられるか。28日夜には記者会見があった。翌日の天皇誕生日の朝刊に記事を書く記者たちのためのブリーフィングらしい。その前に、富田は昭和天皇からご意思をお聞きして、書き留めておいた。こうした状況だとすると、「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」のは誰について言っているのか。昭和天皇のことではない。天皇が閣僚のことも知らず、そうですがを多く使うなどあり得ないし、富田がそのような無礼な感想を書くわけもない。となると、昭和天皇の記者に対するご感想となるだろう。
具体的には4月25日に行われた天皇記者会見の時の記者に対する昭和天皇のご感想ということが考えられる。その日の記者会見で、記者たちのご質問に「余り閣僚を知らず」「そうですがが多い」と、天皇が感じられるような場面はあったのか。
読売新聞がこの記者会見を報じた記事によると、記者たちのご質問は以下の通りである。
「昨年の手術から半年余りたちましたが、最近のご体調はいかがでしょうか」「手術が決定した時、どのようにお思いになりましたか」「皇后陛下のご体調はいかがですか」「生物学の研究も再開されましたが、『皇居の植物』の執筆などで苦心された点をお話し下さい」「先日、五十年以上にわたり陛下にお仕えした徳川義寛侍従長が退任しましたが」「陛下が即位式(昭和三年十一月)をされてから六十年になりますが、第二次世界大戦について、改めてお考えをお聞かせ下さい」「日本が戦争に進んだ最大の原因は何だと思われますか」「沖縄訪問について、お気持ちをお聞かせ下さい」
最後の三つは関連質問としてされた。それを含めて、ご質問は以上である。
どこにも閣僚の話は出ていない。「そうですが」というような伝聞に基づく質問も見られない。記事を見る限り、欄外の2行は、4月25日の天皇記者会見に関して書いたものと見ることはできない。録画・録音が残っていれば、「余り閣僚を知らず」「そうですがが多い」と天皇が感じられるようなご質問があったのか、確認できるだろう。
私は現在のところ、第二の可能性は、ほとんどありえないと思う。第一の可能性つまり、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴いていて、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという可能性が高いと思う。
そして、この場合、富田のコメントと思われる第二番目の「=」の部分、つまり「奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いで書いた部分は、天皇に対するご返事ではなく、同等の立場にある徳川元侍従長の発言に対するコメントと考えられる。そして、富田メモの最重要の部分である、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言も、徳川の発言を書き留めたものという可能性が浮かび上がってくるのである。
富田メモは昭和天皇のご発言だとする立花氏、また半藤氏、秦氏、保坂氏、また天皇発言説を取る人には、是非、この点を検討していただきたい。何度も言うが、4月28日の記者会見について、1回なのか2回なのか、参加者、記者による記録等を調査・検討することが、極めて重要である。その調査・検討なしに、断定的なことはまだ言えない段階なのである。(了)








私自身社会科学の方面は一般教養の域を出ませんが、ほそかわ先生の連載を読んで、ちょっとショックを受けました。自然科学だけでなく、この方面も粗雑な方なのだと知りました。メディアが偶像をつくっているのだと想います。
>ところが、自然科学の基礎の理解に弱いことを指摘した本が出て、大づかみにされているだけで、よくわかっておられないことが知られました。<
次のような本がありますね。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896915801/503-3046289-2224753?v=glance&n=465392
以下のページでも指摘されています。
http://stsnj.org/nj/essay2002/sonoda01.html
私は社会的な事象について、常識的に考えておかしいなと思うことを申し述べているにすぎませんけれども、貴女が
>メディアが偶像をつくっているのだと想います。<
とおっしゃることが当たっているように思います。