ほそかわ・かずひこの BLOG

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インド49~如来蔵の思想

2020-02-04 09:38:49 | 心と宗教
◆如来蔵または仏性の思想

・如来蔵
 大乗仏教の中期に、すべての人間のうちには仏陀(如来)になり得る可能性があると説く如来蔵または仏性の思想が現れた。
 如来蔵は、サンスクリット語のタターガタ・ガルバの漢訳である。原語は「如来の胎児」を意味する。
 如来蔵思想は、『如来蔵経』に始まる。この経典は、衆生を「その胎に如来を宿すもの」と呼んだ。それは、心は本来清浄なものだとする自性清浄心(しょうじょうしん)と、それが一時的に煩悩が付着して汚れているとする客塵煩悩染(ぼんのうぜん)という考え方による。
この思想は、『勝鬘経』、『涅槃経』等に受け継がれて発展した。『勝鬘経』は、在家信仰を鼓吹する立場から如来蔵法身を説いた。『涅槃経』は『大乗涅槃経』ともいい、釈迦の入滅について語りながら仏陀の永遠の生命を説き、それとの関係で如来蔵思想を表した。
 こうした展開を受けて、如来蔵思想は、4~5世紀にインドで成立した究竟一乗宝性論(宝性論)で組織化して説かれた。宝性論は、如来蔵を三つの意味に解釈する。すなわち、(1)如来の法身が衆生に遍満すること、(2)衆生は如来と同じく真如を本性とすること、(3)衆生は将来、如来となる因を持つことである。如来蔵は、あらゆる穢れに染まらない清浄なものだが、煩悩によって覆い隠されている。煩悩を滅することができれば、誰もが悟りを得られるとする。
 如来の法身はそれ自体で存する実体、真如の本性は永遠不変の本質と理解することができるから、釈迦のもともとの教えとは、大きく異なっている。だが、釈迦の説にとどまれば、衆生が如来になり得る可能性は基礎づけられない。そこに如来蔵思想が発生し、発達した理由がある。
 如来蔵思想は、唯識説の阿頼耶識思想と最初は対立したが、やがて融合するようになった。唯識説では、悟りに到達すれば、迷いを生み出す阿頼耶識が大円鏡智すなわち完全なる仏の智慧に転換すると説く。それには、この転換が起こり得る可能性がもともと衆生に内在していなければならない。その可能性を確保するのが如来蔵思想という関係になる。
 如来の胎児は、どこに宿っているのか。阿頼耶識自体が胎児なのか、それとも阿頼耶識は母胎でそこに宿るのか。私見を述べると、唯識説はアートマン(我)を否定し、阿頼耶識が輪廻転生の主体だとするが、唯識説が融合した如来蔵思想は、『ウパニシャッド』の梵我一如説と同じ構造を持っている。
 如来を梵(ブラフマン)、如来の胎児を我(アートマン)と対比してみよう。仏教は無我説を説くから、如来の胎児を我(アートマン)とは呼ばないが、如来の胎児は、迷いの我ではない真如の我、真の自己ととらえることが可能である。真如の我、真の自己とは、われわれが通常考えているような我、自己ではない。如来(梵、ブラフマン)と同じ本性を持つ如来蔵(我、アートマン)は、煩悩によって覆い隠されてしまい、自ら見失っている本来の自己であるということができる。
 如来蔵思想は、インドにおける密教の成立に大いに寄与した。密教は、仏教のヒンドゥー化が最高度に進んだものである。その思想は、仏教の概念を用いて、『ウパニシャッド』の梵我一如説を説いているといっても過言ではない。
 如来蔵思想は、シナ・日本の仏教に深い影響を与えた。『法華経』の一乗思想と融合し、多くの宗派の基本思想となっている。

 次回に続く。

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