●富田メモ政治利用に関する情報
日経8月3日号の記事の内容に入る前に、富田メモの政治利用に関する情報を二つ紹介する。
一つ目は、ドイツ在住のジャーナリスト・クライン孝子氏のブログから転載する。私のブログへの書き込みから得た情報である。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=200607
■2006/07/31 (月) 今一つ『富田メモ』について公明党がらみ説(4)
「今、親しい知人から『富田メモ』に関して次のようなレポートが届きましたので、ご紹介いたします。
<<富田元宮内庁長官のメモに関する特別情報があります。この内容については、目下の段階で誰からの報であるということについては、極めて難しい状況がありますので、お知らせできないのが残念ですが。
(1)このメモの存在については、現宮内庁の高官が知っていた。
この人は創価学会に関わっている人で、現内閣で公明党から出ている閣僚とは建設省の出身なので特別の間柄である。
公明党は分祀を主張しているが、福田の総裁選不出馬によって、何らかの手を打つべく相談し、このメモを利用することを考えたようである。
この公明党閣僚はつい先日中国を訪問して、靖国問題については何とかしますというような話をこっそりして来たようであり、靖国参拝反対を提唱している財界の動きから見て、日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振ったようである。(略)」
二つ目は、産経新聞8月4日号2面の記事。
■日経 4月に杉田社長訪中 唐氏との会談 報じず
「日本経済新聞社の杉田亮毅社長が4月13日に中国の唐家せん(ほそかわ註 王に旋)国務委員と会談していながら、その事実を同紙がまったく報道していないことが3日、分かった。唐国務委員は席上、日本のメディアが中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導くことを期待すると述べたという。
中国の新華社電によれば、会見は北京の釣魚台国賓館で行われた。唐国務委員は「中日関係は国交正常化以来、これまでにない困難に直面している」という認識を示したうえで、「われわれは『日本経済新聞』はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している」と発言。
これに対して杉田社長は「日中関係は、現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係改善のために積極的に努力したい」と表明したという。
唐国務委員は外交部長時代の平成13年、日中外相会談で当時の田中真紀子外相に「(小泉首相の)靖国参拝はやめなさいと”厳命”しました」と発言した人物。
産経新聞の取材に対して日経新聞社長室は会談の事実を認めたうえで、「公式のインタビューではなく、かつ発言には特段のニュース性がないと判断し、記事にしませんでした」とコメントしている。
外交評論家の田久保忠衛さんは「新聞社の社長が中国首脳と会った事実を紙面で1行も報道しないことなどあり得るか。しかも相手は靖国問題で中国側の司令塔といわれている唐家せん国務委員だ。記事にしていないという事実は、会談の内容が外に漏れてはならない性格のものだったと考えないわけにはいくまい」と強い疑問を投げかけている」
一つ目の情報にある「公明党閣僚」は、北側国土交通大臣以外いない。「日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振った」ということと、杉田社長の訪中には何か関係があるだろうか。創価学会=公明党が絡む可能性のある話なら、週刊新潮が事実究明を行なうだろう。
私の知る範囲では、「創価学会に関わっている」「現宮内庁高官」といえば、「隠れ学会員」という噂がある風岡典之氏である。風岡氏は、国土交通省次官から宮内庁次長になった。平成16年9月から現職にある北側国土交通大臣とは、国交省時代から関係が深い。
風岡氏が宮内庁次長となった人事については、平成17年4月12日付で、各マスコミに怪文書がばらまかれたという。ジャーナリストの山岡俊介氏によると、「その内容とは、風岡氏は“隠れ学会員”故に、本当はもっと適任者がいたにも拘わらず、その政治力で持って、学会の意思を体現して送り込まれて来たというもの」だったという。
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/04/post_e306.html
真偽の程はつまびらかでないが、点と点を結ぶと、いろいろな絵が見えてくるかもしれない。
●日経は連載を開始
さて、日本経済新聞は、日記・手帳の公開を求める声には応えずに、8月3日から「昭和天皇との10年 富田メモから」という連載を開始した。第1回である8月3日号の社会面(39面)に、今回の報道部分について詳しく書いている。
長文になるが、記事本文を引用する。内容の検討は、次回行う。
「宮内庁長官の重要な職務の一つは天皇の呼び出し(「お召し」)に応じて、必要事項を報告・説明する「言上」。通常、言上は天皇と長官の「一対一」の形式をとる。昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に言及したのが八八年四月二十八日の言上時だった。
当日の富田メモは計四枚。一枚目の書き出しに「63.4.28 1117-1153(吹上)」とあり、富田氏が午前十一時十七分から同十一時五十三分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。
メモ四枚のうち一、二枚目はこの年の三月に腸の手術を受けた昭和天皇の三女、鷹司和子さんの退院の見通しなど、報告内容の個条書きとなっている。
次いでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。冒頭に「Pressとの会見」とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。
二十九日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、八八年は二十五日に実施。昭和天皇は翌年一月に崩御したため、最後の記者会見となった。
まず前年(八七年)の会見を振り返り「高松(宮)薨去(こうきょ)間もないときで心も重かった」「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」(この年の会見はメモを読み上げる形だった)などが書かれている。
続けて八八年の会見について「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現したー」「“嫌だ”と言ったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言 中国への言及に引っ掛けて言った積(つ)もりである」などとある。当時、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていたことがうかがえる。」
ここで名前が伏せられているのは、奥野国土庁長官である。
「当時の一部報道によると、宮内庁内部で打ち合わせた回答原案では、「つらい思い出」と表現する予定だったが、天皇が「嫌な」と言い換えていた。その真意については定かでなかった。
これを受けて四枚目のメモで「前にあったね」として、過去にも首相の靖国公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。」
「首相」とは中曽根康弘首相、「閣僚」とは藤尾文相であることも明らか。
「この話の流れの中で、メモ後半部分に「私は或る時に A級が合祀されーだから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などとする靖国不参拝の理由を述べた発言が記述されていた。
記者会見では事前に提出された質問の後、記者が自由に質問する「関連質問」があり、この年の会見で「戦争の最大の原因は」と問われた天皇は「人物の批判になるので述べることは避けたい」と答えている。四枚目のメモの末尾に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とあり、この事実と符合している。
この年五月二十日のメモにも「靖国のことは多く相当の者も知らぬ。長官が何らかの形でやって欲しい」とあるほか、八六年七月二十三日付の日記で「靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである」などの記述がある。これらの問題について昭和天皇が常に気に掛けていたことがうかがえる。このメモは天皇と富田氏の信頼の証しであるかもしれない。
富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、会った人たちの名がこまめに記されている。それによると、八八年四月二十八日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇、午後は皇太子(いまの天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切記載されていない。」
連載第2回となる8月4日号は、話題が変わっている。富田が宮内庁次長に就任した時点にさかのぼって、昭和天皇との10年を振り返るストーリーに入っている。そこで昭和63年4月28日のメモに関しては、一旦終了したものと理解できる。今後、連載の中で、再び言及するかもしれないが、とりあえず上に引用した第1回の記事について、日経の解釈や表現に問題はないか考察したい。
なお、ネット利用者が裏面を反転させて読み取ってくれたデータに、一部不正確な箇所があったことがわかった。日経の記事によると、三枚目にあたるページの項目2は、「メモで返答したのでつくしていたと思う」ではなく「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」となる。
また記事は、「=は富田氏の発言を示すメモの特徴」という。「=」は富田自身の発言を示す記号だとすれば、以下の部分でも同様となる。
「前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言。
=奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも。」
次回は内容の検討。
日経8月3日号の記事の内容に入る前に、富田メモの政治利用に関する情報を二つ紹介する。
一つ目は、ドイツ在住のジャーナリスト・クライン孝子氏のブログから転載する。私のブログへの書き込みから得た情報である。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=200607
■2006/07/31 (月) 今一つ『富田メモ』について公明党がらみ説(4)
「今、親しい知人から『富田メモ』に関して次のようなレポートが届きましたので、ご紹介いたします。
<<富田元宮内庁長官のメモに関する特別情報があります。この内容については、目下の段階で誰からの報であるということについては、極めて難しい状況がありますので、お知らせできないのが残念ですが。
(1)このメモの存在については、現宮内庁の高官が知っていた。
この人は創価学会に関わっている人で、現内閣で公明党から出ている閣僚とは建設省の出身なので特別の間柄である。
公明党は分祀を主張しているが、福田の総裁選不出馬によって、何らかの手を打つべく相談し、このメモを利用することを考えたようである。
この公明党閣僚はつい先日中国を訪問して、靖国問題については何とかしますというような話をこっそりして来たようであり、靖国参拝反対を提唱している財界の動きから見て、日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振ったようである。(略)」
二つ目は、産経新聞8月4日号2面の記事。
■日経 4月に杉田社長訪中 唐氏との会談 報じず
「日本経済新聞社の杉田亮毅社長が4月13日に中国の唐家せん(ほそかわ註 王に旋)国務委員と会談していながら、その事実を同紙がまったく報道していないことが3日、分かった。唐国務委員は席上、日本のメディアが中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導くことを期待すると述べたという。
中国の新華社電によれば、会見は北京の釣魚台国賓館で行われた。唐国務委員は「中日関係は国交正常化以来、これまでにない困難に直面している」という認識を示したうえで、「われわれは『日本経済新聞』はじめ日本のメディアが現在の中日関係と中国の対日政策を日本国民が正しく認識するよう導き、中日関係の改善と発展のために積極的かつ建設的役割を果たすよう期待している」と発言。
これに対して杉田社長は「日中関係は、現在、重要な時期にあり、日本経済新聞は両国民の理解増進、日中関係改善のために積極的に努力したい」と表明したという。
唐国務委員は外交部長時代の平成13年、日中外相会談で当時の田中真紀子外相に「(小泉首相の)靖国参拝はやめなさいと”厳命”しました」と発言した人物。
産経新聞の取材に対して日経新聞社長室は会談の事実を認めたうえで、「公式のインタビューではなく、かつ発言には特段のニュース性がないと判断し、記事にしませんでした」とコメントしている。
外交評論家の田久保忠衛さんは「新聞社の社長が中国首脳と会った事実を紙面で1行も報道しないことなどあり得るか。しかも相手は靖国問題で中国側の司令塔といわれている唐家せん国務委員だ。記事にしていないという事実は、会談の内容が外に漏れてはならない性格のものだったと考えないわけにはいくまい」と強い疑問を投げかけている」
一つ目の情報にある「公明党閣僚」は、北側国土交通大臣以外いない。「日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振った」ということと、杉田社長の訪中には何か関係があるだろうか。創価学会=公明党が絡む可能性のある話なら、週刊新潮が事実究明を行なうだろう。
私の知る範囲では、「創価学会に関わっている」「現宮内庁高官」といえば、「隠れ学会員」という噂がある風岡典之氏である。風岡氏は、国土交通省次官から宮内庁次長になった。平成16年9月から現職にある北側国土交通大臣とは、国交省時代から関係が深い。
風岡氏が宮内庁次長となった人事については、平成17年4月12日付で、各マスコミに怪文書がばらまかれたという。ジャーナリストの山岡俊介氏によると、「その内容とは、風岡氏は“隠れ学会員”故に、本当はもっと適任者がいたにも拘わらず、その政治力で持って、学会の意思を体現して送り込まれて来たというもの」だったという。
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2005/04/post_e306.html
真偽の程はつまびらかでないが、点と点を結ぶと、いろいろな絵が見えてくるかもしれない。
●日経は連載を開始
さて、日本経済新聞は、日記・手帳の公開を求める声には応えずに、8月3日から「昭和天皇との10年 富田メモから」という連載を開始した。第1回である8月3日号の社会面(39面)に、今回の報道部分について詳しく書いている。
長文になるが、記事本文を引用する。内容の検討は、次回行う。
「宮内庁長官の重要な職務の一つは天皇の呼び出し(「お召し」)に応じて、必要事項を報告・説明する「言上」。通常、言上は天皇と長官の「一対一」の形式をとる。昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に言及したのが八八年四月二十八日の言上時だった。
当日の富田メモは計四枚。一枚目の書き出しに「63.4.28 1117-1153(吹上)」とあり、富田氏が午前十一時十七分から同十一時五十三分までの間、吹上御所で昭和天皇と会ったことが記されている。スケジュールを書き留めた別の手帳にも同日午前に言上と丸で囲んだ表記がある。
メモ四枚のうち一、二枚目はこの年の三月に腸の手術を受けた昭和天皇の三女、鷹司和子さんの退院の見通しなど、報告内容の個条書きとなっている。
次いでこの日、最大の話題の天皇誕生日前の記者会見に話が移る。冒頭に「Pressとの会見」とある三枚目のメモには会見についての天皇の感想が生の言葉でつづられており、それが靖国神社のA級戦犯合祀に言及するきっかけとなった。
二十九日の誕生日前の宮内記者会との会見は数日前に行われるのが通例で、八八年は二十五日に実施。昭和天皇は翌年一月に崩御したため、最後の記者会見となった。
まず前年(八七年)の会見を振り返り「高松(宮)薨去(こうきょ)間もないときで心も重かった」「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」(この年の会見はメモを読み上げる形だった)などが書かれている。
続けて八八年の会見について「戦争の感想を問われ、嫌な気持ちを表現したー」「“嫌だ”と言ったのは(当時の閣僚の名)の靖国発言 中国への言及に引っ掛けて言った積(つ)もりである」などとある。当時、閣僚の発言に中国が反発したことがあり、これを気にかけていたことがうかがえる。」
ここで名前が伏せられているのは、奥野国土庁長官である。
「当時の一部報道によると、宮内庁内部で打ち合わせた回答原案では、「つらい思い出」と表現する予定だったが、天皇が「嫌な」と言い換えていた。その真意については定かでなかった。
これを受けて四枚目のメモで「前にあったね」として、過去にも首相の靖国公式参拝や数年前の閣僚の戦争に関する発言に触れている。」
「首相」とは中曽根康弘首相、「閣僚」とは藤尾文相であることも明らか。
「この話の流れの中で、メモ後半部分に「私は或る時に A級が合祀されーだから私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などとする靖国不参拝の理由を述べた発言が記述されていた。
記者会見では事前に提出された質問の後、記者が自由に質問する「関連質問」があり、この年の会見で「戦争の最大の原因は」と問われた天皇は「人物の批判になるので述べることは避けたい」と答えている。四枚目のメモの末尾に「関連質問 関係者もおり批判になるの意」とあり、この事実と符合している。
この年五月二十日のメモにも「靖国のことは多く相当の者も知らぬ。長官が何らかの形でやって欲しい」とあるほか、八六年七月二十三日付の日記で「靖国のこと、教科書問題などでお召し言上しきりである」などの記述がある。これらの問題について昭和天皇が常に気に掛けていたことがうかがえる。このメモは天皇と富田氏の信頼の証しであるかもしれない。
富田氏のスケジュール手帳には一日ごとに、会った人たちの名がこまめに記されている。それによると、八八年四月二十八日に富田氏が会ったのは午前中に外務次官と昭和天皇、午後は皇太子(いまの天皇陛下)、夜は新聞記者の取材を受けている。それ以外の名は一切記載されていない。」
連載第2回となる8月4日号は、話題が変わっている。富田が宮内庁次長に就任した時点にさかのぼって、昭和天皇との10年を振り返るストーリーに入っている。そこで昭和63年4月28日のメモに関しては、一旦終了したものと理解できる。今後、連載の中で、再び言及するかもしれないが、とりあえず上に引用した第1回の記事について、日経の解釈や表現に問題はないか考察したい。
なお、ネット利用者が裏面を反転させて読み取ってくれたデータに、一部不正確な箇所があったことがわかった。日経の記事によると、三枚目にあたるページの項目2は、「メモで返答したのでつくしていたと思う」ではなく「メモで返答したのでごつごつしていたと思う」となる。
また記事は、「=は富田氏の発言を示すメモの特徴」という。「=」は富田自身の発言を示す記号だとすれば、以下の部分でも同様となる。
「前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言。
=奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも。」
次回は内容の検討。








3日から日経が富田メモの連載を再開しましたが、それによると4月28日のメモは4枚あったとなっていますが、写真で見る限り3枚しか写っていません。
“Pressとの会見”と書かれたメモの写真を掲載しないで、1枚目とされるメモの写真と予定が途中で切れ、一部隠した手帳の写真を掲載するのか。
逆に不信感が増してきました。
日経社長が唐家セン氏とひそかに(?)会っていたということは、疑惑を増大させる要因ですね。説明責任を果たすどころか、なんだか分かったような分からないような連載を始めるとは…。
内容検討編も、期待しております!
>内容の検討は、次回行う。
>上に引用した第1回の記事について、日経の解釈や表現に問題はないか考察したい。
次回での検討、大変楽しみにしております。
クライン孝子氏の情報では、また真相を探る範囲が
広がりそうですね。
このあたりのことの追求はかなり困難なように思い
ますが、新潮などの情報量はどんなものでしょうか。
日経が公の検証を拒否しているような状況なので、
どうもすっきりしませんね。
どうも有難うございます。
なぞの多い問題ですね。
皆さんのご考察を参考にさせていただいています。
引き続きよろしくお願いします。