ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教142~ナチスの猛威とユダヤ人迫害

2019-01-06 08:53:20 | 心と宗教
●ナチスの猛威とユダヤ人迫害

 ドイツでは、第1次大戦の敗戦後、帝政が廃止され、共和制となった。当時最も進歩的といわれたワイマール憲法が制定された、民主的な政治が行われていた。しかし、ワイマール憲法は国家体制の規定に問題点を孕んでいた。連立政権で権力基盤の不安定な共和国政府は、有効な打開策を打ち出せなかった。大衆は、既成政党による政治への不信を募らせていた。そうした感情を吸収して急速に勢力を拡大したのが、ナチスである。
 ナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党の略称である。ナチスは、深刻な経済的・社会的混乱の中で、国民投票によって第1党に躍り出た。21年にアドルフ・ヒトラーが指導者となった。ヒトラーは、1933年に首相に指名されると、国会で全権委任法を可決させ、合法的に一党独裁体制を確立した。全体主義的な政策を行って、45%にも達していた失業率を着実に下げ、39年には失業者数を20分の1にまで減らした。
 ヒトラーは、第1次大戦の敗戦と経済破綻の原因がユダヤ人にあると主張した。ドイツ人は北欧アーリア人種の最高層をなすと主張する一方、ユダヤ人は劣等人種であり、社会を崩壊させ、優秀な人種の権威と主導権を強奪しようとする者だと決めつけた。著書『わが闘争』で、ヒトラーは、「ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である」と述べた。英米仏等の反ドイツ政策は、すべてユダヤ人によるものだという見方である。そして、極端なナショナリズムを掲げ、ユダヤ人の排斥とドイツ民族の生存圏の確立、大戦後の国際秩序であるヴェルサイユ体制の打破と再軍備等を唱えた。
 ユダヤ人への差別は、ナチスが初めて行ったものではない。ナチスのユダヤ人撲滅という思想は、キリスト教的西欧において、長い歴史のある思想に基づく。ドイツでも中世以来、ユダヤ人への差別・迫害が行われていた。ナチスは、そうした国民の伝統的な反ユダヤ感情を増幅させ、ユダヤ人に対する迫害を行った。
 ナチズムはアーリア人種の優秀性を強調したが、その思想は、ユダヤ民族の選民思想をゲルマン民族に置き換えたという性格を持っている。その点で、ユダヤ教のゲルマン化という要素が見られる。ナチスによるユダヤ人迫害は、政府によって組織的・計画的に行われ、またその規模において、前例がない。多くの優秀なユダヤ人が国外に亡命した。ナチス・ドイツにおいて、国籍を剥奪されたユダヤ人は、人間でありながら「人間的な権利」を失った。
 ヒトラーのもとでナチスは、国家社会主義とユダヤ人を敵視する排外的民族主義とが一体になった運動を推進した。ナチスは、ドイツ民族というエスニック・グループがオーストリア、チェコ・スロヴァキア、ポーランド等に広がって分散居住している状態を不満とし、軍事力を行使して一つのネイション(国家・国民・共同体)に包摂しようとした。そして特異な人種主義思想を以てユダヤ人を敵視した。当時最も良く人権を保障していたワイマール憲法のもとで、ユダヤ人の権利を蹂躙するナチスの暴虐が繰り広げられることになったのである。
 1939年(昭和14年)9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した。同月3日英仏はドイツに宣戦を布告し、ここに第2次世界大戦が勃発した。緒戦で圧倒的な強さを見せたドイツは、1940年5月10日電撃的な作戦を開始した。デンマーク、ノルウェーを占領し、オランダ、ベルギーに侵攻した。6月18日フランスのパリを占領した。ヒトラーは、その勢いで40年9月からロンドンへの空襲を開始した。さらに、ソ連に侵攻するなど猛烈な攻勢を見せた。
 第2次大戦開始後、ナチスによる人種差別的なユダヤ人迫害はさらに激しくなった。ナチスが領有したり占領したりした各地で、ユダヤ人への迫害が行われた。ルーマニア、ハンガリー、チェコ・スロヴァキア、オーストリア等においてである。最も迫害が苛烈だったのは、ポーランドである。ナチスは、ポーランド国内のユダヤ人多数を殺害し、さらにアウシュヴィッツなどに強制収容所を設けて、ヨーロッパ各地からユダヤ人を送り込んだ。そこでユダヤ人多数が犠牲になった。ナチスによってユダヤ人600万人が殺害されたということが定説になっている。いわゆるホロコースト説である。主にその犠牲になったのは、アシュケナジムである。
 ナチスの党員及びドイツの国民のほとんどは、キリスト教徒だった。ローマ教皇庁は、ナチスに協力し、ナチス・ドイツによる第3帝国の発展を支えた。ピウス12世は、ナチスのユダヤ人迫害を非難する声明を出すことがなかった。教皇庁の黙認のなかで、ナチスによるユダヤ人虐殺は、大戦前から行われ、大戦中はさらに激化していった。ドイツ人のカトリック教徒で、ユダヤ人迫害を行った者が多数いた。教皇庁が迫害をしてはならないと信徒に教え諭すことはないのだから、ナチス政権の命令に従うことに良心の呵責は起きなかったと言っても過言ではないだろう。
 もっともドイツのカトリック教徒全員がナチスに無批判だったわけではない。ユダヤ人を救助したカトリック聖職者もおり、彼らの必死の救助活動のおかげで助かったユダヤ人もいたと伝えられる。ただし、救助救助活動をしたのは下級聖職者で、又その活動は個人的な物だった。上級聖職者は沈黙を守り続けた。それは、教皇の態度に従ったものである。
 プロテスタントのなかで、ルター派はナチスに協力・同調した。そうした中で、カール・バルトは、ヒトラーへの忠誠宣誓の署名を拒否し、ナチスの政策に従うドイツ福音主義教会に対抗して結成された告白教会の理論的指導者となり、バルメン宣言を起草した。その宣言が、ドイツ教会闘争の神学的な支えとなった。ドイツのキリスト教徒は、ほとんどがヒトラーに服従し、ナチスの尖兵ともなった。その中で、バルトの勇気ある行動は、少数とはいえ、良心的なキリスト教徒の反ナチス運動を鼓舞するものとなった。
 一時はヨーロッパからロシアまでを征服するかに見えたナチス・ドイツの勢いは、長く続かなかった。1941年12月、日本が真珠湾攻撃を行うと、米国が大戦に参戦し、ヨーロッパでも豊富な物量を生かした作戦を行った。ソ連もドイツの侵攻を食い止め、反転攻勢を行った。連合国はドイツへの攻勢を強力に進めた。
 1945年2月クリミア半島のヤルタで、ルーズベルト、チャーチル、スターリンによる首脳会談が行われ、スターリンはヤルタでの密約を背景に、ドイツに進軍した。追い詰められたヒトラーは自殺した。ドイツは正統な政府のない状態で、5月に無条件降伏した。
 ユダヤ人について捕足すると、は、ヨーロッパの各国によって、ユダヤ人への対応が違う。エマヌエル・トッドが著書『移民の運命』で明らかにしているように、ユダヤ人に対し、フランスは同化を要求し、イギリスは容認し、ドイツは拒否した。こうした国における対応の違いは、キリスト教の教派の違いより、家族型に基づく価値観の違いの影響が大きい。フランスの中央部は平等主義核家族で自由と平等を価値観とする。イギリスは絶対核家族で自由と不平等を価値観とする。ドイツやフランス周辺部は直系家族で権威と不平等を価値観とする。また、家族型の違いによって、人間の本質的な平等を信じる普遍主義と、本質的な違いを信じる差異主義が現れる。フランスは人間の平等を信じる普遍主義であり、イギリス・ドイツは諸民族の本質的な差異を信じる差異主義である。差異主義には、イギリスの自由主義的な差異主義と、ドイツの権威主義的な差異主義がある。その違いが、ユダヤ人の容認と拒否の違いとなって表われている。
 ドイツは、直系家族が主であり、その家族型の特徴である権威・不平等の価値によって差異主義を表す。ドイツの差異主義は権威主義的である。ドイツの権威主義的な差異主義は、移民を集団として排除しようとする。また。ドイツの社会の通婚制度は、族外婚である。外婚制の直系家族社会は、異質なものを激しく排撃する傾向を持つ。ドイツでは啓蒙主義の時代からユダヤ人の同化が進んでいたのだが、粗暴な差異主義が潜在しており、それがナチスの人種差別主義として猛威を振るうことになったと見られる。
 キリスト教に限らず、宗教は家族型とそれに基づく価値観まで変えることは、簡単にはできない。むしろ、家族型的な価値観が宗教の教義を変容させることが多い。

 次回に続く。
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