ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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キリスト教255~宗教の改革と進化が求められている

2019-09-23 08:47:07 | 心と宗教
 最終回。

●宗教の改革と進化が求められている

 21世紀には、科学と宗教が融合する新しい時代が実現すると予想される。また、そうした時代の実現を加速するために、人類の精神的進化を追及するプロジェクトの推進が求められている。
 ここにおいて、既成の宗教には大きな改革が求められる。われわれの目を自然の世界に転じれば、そこでは様々な生命体が共存共栄の妙理を表している。人智の限界を知って、謙虚に地球上で人類が互いに調和し、また動植物とも共存共栄できる理法を探求することが、人類の進むべき道である。宗教にあっても科学・政治・経済・教育等にあっても、指導者はその道を見出し、その道に則るための努力に献身するのでなければならない。特にセム系一神教は、これまでの固い殻を破って脱皮しなければならない時期にある。なかでもキリスト教には、この脱皮を先導すべき役割がある、と私は考える。そして、宗教における変化は、科学・政治・経済・教育等にも大きな変化を促すだろう。キリスト教には、世界最大の宗教として、率先してこうした変化を推進することが期待される。
 現代は科学が発達した時代である。従来の宗教では人々の心は満たされない。従来の宗教は、天動説の時代に現われた宗教である。今では、地球が太陽の周りを回っていることは、小学生でも知っている。パソコンやスマートフォンや宇宙ステーション等がないどころか、電気や電燈すらなかった時代の宗教では、到底、現代人の心を導けない。
 伝統的宗教の衰退は、宗教そのものの消滅を意味しない。むしろ既成観念の束縛から解放された人々は、古代的な宗教から抜け出て、精神的に成長し、さらに高い水準へと向上しようとしている。また、より高い精神性・霊性を目指す人々が増えている。
 「近代化=合理化」が一定程度進み、個人の意識が発達し、世界や歴史や宇宙に関する知識が拡大したところで、なお合理化し得ない人間の心の深層から、新しい精神文化が興隆しつつある。新しい精神文化は、既成宗教を脱した霊性を発揮し、個人的(パーソナル)ではなく超個人的(トランスパーソナル)なものとなる。それに応じた政治・経済・社会への改革がされていくだろう。
 いまや科学が高度に発達した時代にふさわしい、科学的な裏付けのある宗教の出現が求められている。また、宗教には、人類が核戦争と地球環境破壊の危機を乗り超えるように精神的に導く力が期待されている。21世紀に現れるべき新しい宗教に求められる特長とは、次のようなものとなるだろう。

◆実証性 実証を以て人々の苦悩を救う救済力を有すること
◆合理性 現代科学の知見と矛盾しない合理性を有すること
◆総合性 政治・経済・医学・教育等のすべてに通じる総合性を有すること
◆調和性 人と人、人と自然が調和する物心調和・共存共栄の原理に基づくこと
◆創造性 人類普遍的な新しい精神文化を生み出す創造力を有すること

 これからは、こうした特長を持った新しい精神科学的な宗教を中心とした、新しい精神文化の興隆によって、近代文明の矛盾・限界を解決する道が開かれるだろう。
 人類は、この地球において、真の神を再発見し、宇宙・自然・生命・精神を貫く法則と宇宙本源の力にそった文明を創造し、新しい生き方を始めなければならない。そのために、今日、科学と宗教の両面に通じる精神的指導原理の出現が期待されている。世界平和の実現と地球環境の回復のために、そしてなにより人類の心の成長と向上のために、近代化・合理化を包越する新しい精神文化の興隆が待望されているのである。

●結びに~キリスト教は終末的完成ではなく発展的解消へ向かう

 本稿の「はじめに」に書いたように、本稿は、キリスト教の概要を記し、その歴史と現在を考察し、この21世紀にキリスト教は終末的完成に至るのか、それとも発展的解消を遂げるのか、その将来を予測することを目的とするものである。
 人類は、21世紀において飛躍的な発展を遂げるべき段階に近づいている。間近に迫ったその段階までの歴史を人類の前史と呼ぶならば、キリスト教は人類の前史を導いてきた世界の諸宗教のうち最大のものである。
 イエスが誕生したとされる西暦紀元前後頃から現在までの約2000年間、キリスト教では、だいたい500年目ごとに新しい動きが現れた。紀元30年頃のイエスの死から最初の約500年間に、主流となる教義が形成され、それと異なる思想を持つアリウス派、ネストリウス派、単性論派などは異端とされた。その後、約500年経つと、西方のローマ・カトリック教会と東方の正教会が分れて、それぞれ独自の道を歩み始めた。またその約500年後、西方キリスト教では、プロテスタンティズムが登場した。さらにその約500年後となる20世紀には、教会合同運動が起こり、またローマ・カトリック教会では過去の誤りを認めたり、他宗教とも対話したりする動きが現れた。
21世紀の今日、キリスト教は、人類が核戦争と地球環境破壊による自滅の危機を生み出した責任の一端を負っている。核兵器はキリスト教徒による世界大戦の中で開発された。キリスト教の自然を征服・支配する思想が環境の悪化をもたらした。この責任をどのように果たしていくのか。それが、現代のキリスト教の最も大きな課題である。
 キリスト教は、終末論を説く宗教である。世の終わりにキリスト教が世界に広まり、イエス・キリストが再臨し、最後の審判が行われる際、イエスが創建した教会が完成すると説く。これを「終末的完成」という。
 果たして、イエス自身が実際に再臨するのか、それともイエスの再臨は壮大な誤報または誤解だったのか、人類はその問いの答えを2000年近く待っている。キリスト教は、その教えのように終末的完成に至り、世界史を救済と審判によって終結させるのか、それともより高い次元のものに融合して発展的に解消し、それによって新しい世界が始まることに協力するのか。21世紀においてキリスト教は、終末的完成か発展的解消かーーこの大きな岐路に立っている。
 私は、イエス自身の再臨を信じる者ではない。彼自身の役割は、2000年前に終了している。また、キリスト教には終末的完成に至る力はないと判断している。キリスト教を始めとする仏教、イスラーム教等の伝統的宗教は、紀元前から古代・中世にかけて現れた宗教であり、科学が発達し、人々の意識が向上するにつれて、その役割を終える、と私は考える。そしてキリスト教は、他の既成の宗教とともに、より高次元の新たな精神的な指導原理のもとで発展的に解消していくことになるだろう、と考える。(了)

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 細川一彦著『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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