ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教158~ロシアの近代化=西欧化で増大する矛盾

2019-02-09 09:22:10 | 心と宗教
●近代化=西欧化と増大する矛盾

 1812年ロシアは、ナポレオン軍の侵攻を受けた。一時はモスクワを占領されるほどの苦戦に耐え、厳冬の到来を前にナポレオン軍を退却させた。この勝利によって、ロシアは軍事大国として国際政治に登場した。また、この戦争を通じて、皇帝アレクサンドル1世は西欧発の国民国家の強力性を知り、西欧文化の導入による上からの近代化を始めた。アレクサンドル1世は、西方キリスト教的な神秘主義に傾倒した。皇帝がロシア正教会に無関心であることが、正教会の問題の深刻化と問題への取り組みの遅延を招いた。
 アレクサンドル1世が1825年に没した後、アレクサンドル2世は、1861年に農奴解放令を出すなど社会改革を進めて、資本主義の急速な発達を図った。だが、社会の矛盾は増大し、土着的な思想のナロードニキと西欧的な思想の社会主義者は、ロマノフ朝の絶対専制(ツァーリズム)に反発して、行動が過激化していった。
 皇帝はまたロシア語を中心に「正教・専制・国民性」というスローガンにより、国民の文化的な均一化を図る政策を行った。これは、国民国家を形成するための上からのナショナリズムの政策である。そのスローガンの第一に「正教」が揚げられた。国教による民心の統一を図ったのである。
彼の統治期にロシア正教会の抱える矛盾が顕在化し、それへの問題意識が広く共有され、教会の改革が模索された。だが、改革への試みは、1881年に皇帝が革命勢力への弾圧に反発するナロードニキに暗殺されたことなどによって、ほとんど前進しなかった。
 当時のロシアは、欧米を中核部とする近代世界システムの半周辺部に位置した。日本も同様である。ロシアの近代化は、日本の文明開化とは違って、上層階級が西欧化する一方で、下層階級は昔ながらのロシア的な生活をしていた。インテリゲンチャと呼ばれる知識層は、欧化と土着の二極の間で苦悩した。キリスト教に対しては、西欧思想の影響を受けた無神論者が現れる一方、熱烈なロシア正教の信仰によってロシアを再興しようとする者も現れた。そうした思想状況を文学において表現した代表的な作家が、ドストエフスキーである。

●ドストエフキー~ロシア正教の精神を描いた文豪

 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、19世紀後半のロシアを代表する小説家で思想家である。1821年に生まれ、81年に没した。
 若い時から作家として優れた才能を示したドストエフスキーは、社会の問題に鋭い関心を持っていた。49年、空想的社会主義者ミハイル・ペトラシェフスキーの秘密組織に参加したことで逮捕され、死刑の宣告を受けた。しかし、銃殺の直前に皇帝の特赦によって、九死に一命を得た。シベリアへ送られて4年間服役し、その後、6年間軍隊生活を送った。この間、ロシアの社会と文化が抱える問題を考察し、また種々の階層・職業・立場・個性の人間と交わりながら、自らの思想と信仰を深めた。退役後、文学活動を再開し、『罪と罰』『白痴』、『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』などの長編、短編、雑誌記事を書いた。
 19世紀のロシアでは、欧化と土着の矛盾が深刻になっていた。ピョートル1世以来の近代化=西欧化政策によって西欧文化が流入し、知識階級(インテリゲンツイア)は科学的合理主義の影響を受け、ロシアの伝統文化に否定的となり、一部の者は社会主義によって暴力的な変革を目指した。彼らに対して、ロシアの伝統に目を向け、ロシアの大地と民衆に目指した改革を模索する知識人もいた。しかし、ロシアの伝統を代表するロシア正教会は、皇帝の政治的道具と化しており、西方キリスト教の要素が混入し、精神的荒廃が生じていた。
 こうした時代の思想状況において、ドストエフスキーは、若き日の体験を通じて、西欧の合理主義思想を批判し、ロシア正教への理解を深め、信仰による魂の救済を訴えた。だが、彼の心のうちには、素朴に神を信じるロシアの民衆に感動する深く純真な宗教心とともに、知識人としての懐疑的な批判精神も働いていた。キリスト教の神による救済への疑問は拭い去れず、社会変革のための革命運動への思いも消え去ることがなかった。それは、当時のロシア社会の混沌を反映したものである。その矛盾の大きさと葛藤の激しさが、長編小説という形式の中に表現されている。神学的・哲学的著作では、不可能な表現の仕方と言える。
 ドストエフスキーの創作の源泉は、第一に聖書、次いでロシア正教、人間への洞察、ロシア民族への思いに求められよう。
 ドストエフスキーは、聖書を熟読し、その内容を沈思した。それが、作品の最も根底にある。新約聖書におけるイエスの言葉と生涯、キリストと死者の復活、終末と新しい世界、旧約聖書におけるユダヤ民族の歴史、ヨブ記等が、小説の様々な物語やエピソードのもとになっている。
 次に、ロシア正教である。ドストエフスキーは、古代パレスティナからビザンティン文明を経てロシアに伝えられ、ロシアで継承されてきた正教を、イエスの教えをそのまま伝える教えと捉え、西方キリスト教には批判的だった。また、ロシア正教の精神を保っているのは、荒野修道院の修道僧たちだと認識し、彼らとの人格的な交わりを通して正教の理解を深めた。
 次に、人間への洞察である。ドストエフスキーは、その生涯で、知識人、聖職者、革命家、農夫、流刑者、娼婦等、さまざまな階層・職業・立場・個性の人間に出合い、観察した。また、自己の中にある肉と霊、善と悪の両面を見つめ、人間に内在する神性と魔性について洞察した。
最後に、ロシア民族への思いである。ドストエフスキーは、ロシア人であり、ロシアの民衆を愛し、民衆に潜む可能性を信じていた。そして、ロシア民族が将来、人類に対して果たすべき使命を信じていた。一種のメシアニズムである。ロシア正教はキリスト教がロシアに土着したものであり、それを通じてユダヤ教の選民思想がロシア化しているという側面を持つ。
 ドストエフスキーは、恍惚てんかんと呼ばれる側頭葉てんかんを患っていた。発作は頻繁に起こった。ドストエフスキーは、発作の直前の体験を語っている。数秒間の間、意識は鮮明でありながら、全宇宙との調和を感じ、激しい歓喜に満たされる。その至福の数秒とその後の10年の時間を取り替えても惜しくない思うほどだという。この恍惚(エクスタシー)は、宗教的な法悦に通じるものだろう。こうした特異な体験もまた、彼の思想と精神に大きな影響を与えている。

 次回に続く。

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