ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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河村発言~支持集会と東京大虐殺

2012-03-15 08:43:49 | 南京事件
 去る3月6日「新しい歴史教科書をつくる会」の主催で、「『河村発言』支持・『南京虐殺』の虚構を撃つ緊急国民集会」が、東京・文京シビックセンターで開催された。私は参加できなかったが、複数の参加者の報告によると、400人以上が参加した。
 名古屋市会議員・藤沢忠将氏他2名が基調報告で河村市長が発言に至った経過を報告し、「30万人の大虐殺が真実でないなら、日本人として率直な意見表明が必要。様々な意見、立場があり、率直な話し合いをしたいというのが真意だ」と、河村市長から預かったメッセージを読み上げた。
 引き続き リレートークに移り、評論家・潮匡人氏、稲田朋美衆議院議員、ジャーナリストの西村幸祐氏ら約20人が次々に登壇して発言した。最後に参加者は河村市長を支持する決議文を採択した。今後は、署名活動などを通じて事件の真実を究明する国民運動を展開していくという。
 当日、電報で河村発言に支持を表明した国会議員は、下記の通り。

 平沼赳夫(衆院議員・たち日) 安倍晋三(衆院議員・自民) 有村治子(参院議員・自民) 山谷えり子(参院議員・自民) 大江康弘(参院議員) 高市早苗(衆院議員・自民) 向山好一(衆院議員・民主) 笠浩史(衆院議員・民主) 鷲尾英一郎(衆院議員・民主)

 南京での「大虐殺」はあリ得ない。「大虐殺」を証す事実はどこにもない。目撃者がいない。フィルムもない。写真1枚ない。これに比し、東京大空襲には多数のフォルムがあり、写真がある。遺骨があり、遺品がある。東京では「大虐殺」が間違いなく行われた。このことを忘れてはならない。
 昭和20年(1945)3月10日、午前0時8分。約300機のB29が東京に飛来し、焼夷弾の雨を降らした。この「東京大空襲」によって、無辜の一般市民、老若男女8万人以上が、火の海の中で亡くなった。米軍による組織的・計画的な非戦闘員への攻撃であり、無差別大量殺戮だった。「東京大空襲」は「東京大虐殺」とこそ呼ばねばならない事件である。
 東京への空襲は、昭和20年3月10日だけではなかった。東京には約100回の空襲が行われた。木造建築の弱点を突き、人口密集地域を狙った執拗な攻撃が続けられた。東京だけではなく、全国66の主要都市に空襲が行われた。約40万人がその攻撃によって亡くなった。戦争だからそうなったのではない。戦時国際法違反である無抵抗の一般市民への攻撃によって、日本人が虐殺されたのである。そして、こうした空襲による「大虐殺」の作戦の延長上に行われたのが、広島・長崎への原爆投下である。
 東京裁判の終結期となる昭和23年、米国で科学者、聖職者、ジャーナリスト等から広島・長崎への原爆投下に対する批判が高まった。原爆による無差別大量殺戮は、史上前例のない非人道的なもので、死亡者は当時20万人以上となっていた(広島で14万人以上、長崎で7万人以上)。良心的なアメリカ人にとっては、自国の戦争犯罪は絶えがたいものだった。民主主義の国、アメリカでは世論による政府批判は、政権をゆるがす。米国政府は原爆投下を正当化し、罪悪感をぬぐうために、原爆に匹敵するような日本による20万人規模の「大虐殺」を必要とした。そこで、「南京大虐殺」として誇張され、ねつ造されたのが、南京事件だったのではないか、と私は考えている。
 「人道に対する罪」は、ニュルンベルグ国際軍事裁判で、初めて出されたものだった。それが東京裁判にも適用された。だが、これは事後法であり、近代法の原則に反するものだった。その後、両裁判の反省を踏まえて、今日の国際法では、「人道に対する罪」は、文民たる住民に対して行われる広範または組織的な攻撃と定義されている。仮にこの定義をもって、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下を評価するならば、作戦を指示命令した指導者は、「人道に対する罪」によって断罪されねばならない。
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