ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

徳川元侍従長はウソつきか4

2006-09-02 11:45:23 | 靖国問題
●上奏は、行なわれたのか

 徳川は、靖国神社は事前に名簿を提出せずに、合祀後の11月に遅れて出してきた、その時に文句を言ったが、押し切られたと言っている。
 彼によれば、例大祭の前には名簿は提出されていないのだから、彼は元A級戦犯の合祀の予定を知らなかったことになるし、当然、天皇に上奏はされていない。天皇のご意思を踏まえて、靖国神社に合祀を取りやめるように言うわけもない。靖国神社は、事前には合祀の予定を伝えずに勝手に合祀し、後になって言ってきたことになる。私は、こうした徳川の主張には、ウソがあるのではないかと疑っている。

 ウソをつくのは、相手を悪者にしようとする場合と、自分の側のなにかを隠そうとする場合がある。これらが両方含まれている場合もある。
 靖国神社は、上奏簿を事前に提出したという。10月7日に、池田権宮司らが宮内庁を訪れ、宮内庁侍従職と掌典職に上奏簿を届けた。このことは、記録で確認されている。その時会った宮内庁の担当官は誰か。その際には、どういう話があったのか。これでは上奏できないとその場で、担当官は靖国神社側に答えたのか。これらについて、関係者には証言をお願いしたいと思う。

 7日に、宮内庁の担当者が上奏簿を受け取ったのであれば、そこから先は宮内庁内部の問題となる。
 上奏簿は事前に提出された後の展開については、いくつかの可能性があると思う。

①10月7日に応対に出た掌典職及び侍従職の者は、上奏簿を受理した場で回答。上奏簿は侍従職の部署内で止まり、侍従長にはあがらなかった。
②侍従長以外の者が、侍従長に伝えずに、天皇に上奏した。
③侍従職が上奏簿を徳川侍従長に届けた。侍従長は、天皇に上奏せずに、自分の考えで対応した。
④侍従長は天皇に上奏したが、元A級戦犯の合祀については申し上げなかった。自分の考えで靖国神社に対応した。
⑤侍従長は天皇に上奏し、元A級戦犯の合祀について申し上げた。ご意思を賜って、靖国神社にご意思を伝えるように対応した。

 ①の場合は、合祀後まで、徳川は上奏簿が来ていることを知らなかったことになる。しかし、もしそうだったとしても、合祀後に始めて合祀を知った徳川が、松平宮司に文句を言った際、松平から10月7日に名簿を提出していると反論されるだろう。宮内庁内部での職務怠慢か自己判断である。そうだとすれば、徳川は、そのように著書で語ればよいのである。ところが、徳川は、10月には提出がなく、11月に遅れて出てきたと言っている。だから、私は、①はあり得ないと思う。

 次に②の場合、侍従長以外の者が、侍従長を通さずに天皇に上奏をするということがありうるのかどうかわからないが、仮にそういうことが行なわれたとしても、天皇は侍従長に確認をされるだろうから、勝手なことをしたことがわかってしまう。だから、私は②もあり得ないと思う。

 残るのは、③から⑤である。③と④は、天皇に上奏したかどうかが違う。自分の考えで対応したことは同じである。私は、これらが望ましいとは思わないが、天皇の御心を煩わすことなく、自分の努力で靖国神社に合祀を思いとどまらせようとすることも、臣下の一つの忠義のあり方かもしれない。

●元侍従長はウソを語ったのか

 事前に宮内庁に出された名簿を、徳川は出ていないと言う。徳川の言い分なら、徳川は元A級戦犯の合祀の予定を知らなかったことになるし、当然、天皇に上奏するわけもない。天皇のご意思を、靖国神社に伝えるはずもない。また、事後ではあったが、天皇にご報告したら、こうだったとも言っていない。
 とにかく靖国神社が事前に伝えずに、勝手に合祀し、後から名簿を提出してきたのだという意味のことを語っている。

 これはおかしい、と私は思う。仮に靖国神社を一方的に悪者にすることが目的だとしよう。その目的のためであれば、事前に提出はあったが、問題があると思ったので、③なり④なりの仕方で対応した。しかし、靖国神社側の意思が固く、押し切られたという書き方もできるだろう。
 たとえば、徳川が、著書で次のように言うのなら、わかる。 「靖国神社から上奏簿が事前に提出されたが、元A級戦犯が記載されており、これでは天皇のご承認は得られませんよ、取り消しを検討してくださいと言った。しかし、考え直してもらえなかった」と。
 その方が、一般人には説得力があるだろう。徳川が書いているのは、こういうことでは、まったくない。

 ③④に比べ、⑤は側近として最も望ましいあり方だろう。きちんと天皇に上奏し、ご意思を確認した上で、靖国神社に天皇のご意思が伝わるように対応する場合である。
 もし昭和天皇が、事前に元A級戦犯の合祀を知らされていたら、どうだったか。仮にもともと合祀に異論をお持ちであったとすれば、天皇はそれを侍従長に語り、侍従長はすみやかに靖国神社に「ご内意」として伝えただろう。そして、例大祭の前日17日までの間に、徳川と松平の間で話し合いがされただろう。
 例えば、徳川は「松岡洋右さんのように軍人でもなく病死した人も合祀するのはおかしい」などと問いただしたが、押し切られた。「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、松平は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言って押し返された、という具合である。
 こういうやりとりが、すべて事前に、17日の合祀より前に行なわれたこととして、徳川は本に書いただろう。そして、すべて慣例どおりに上奏し、ご内意を伝えて説得したのに、それでも松平宮司は、強行に合祀をしたのだと批判しただろう。

 ところが、徳川が著書で語っているのは、こうした対応でもないのである。何度も引くが、徳川が語っているのは、「靖国神社の合祀者名簿はいつもは10月に神社が出してきたものを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和53(1978)年は遅れて11月に出して来た。『A級戦犯の14人を合祀した』と言う。私は『一般にもわかって問題になるのではないか』と文句を言ったが、先方は『遺族にしか知らせない』『外には公にしませんから』と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう」ということなのである。

 私の疑問は、膨らむ。徳川の姿勢には、問題があるのではないか。

 次回に続く。

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2 コメント

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Unknown (一人暮らしの明菜)
2006-09-02 15:21:22
いつも楽しく拝見してます。

初コメントします。

9月より転勤で大坂に住みます。

心斎橋の百貨店勤務です。

この機会に私もブログに挑戦しよっかな。

これからもよろしくです。
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re:Unknown (ほそかわ)
2006-09-02 16:38:00
ブログは気軽に開けますよ。是非やってみてください。

大阪では、9月17日にちょっとしたセミナーで、講演をします。「日本の伝統と皇位継承のあり方」です。ご関心があったら、ご案内します。

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