ほそかわ・かずひこの BLOG

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人権250~国際人権規約における自由と権利への制限

2016-01-10 08:48:38 | 人権
●国際人権規約における自由と権利への制限

 私が重要だと思うのは、国際人権規約は、無制限の自由と権利を人権とするものではなく、公共の利益のためには、自由と権利を制限できることを定めていることである。
 国際人権規約は、前文に、「個人が、他人に対し及びその属する社会に対して義務を負うこと」及び「この規約において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有すること」を明記している。権利には義務が、自由には責任が伴う。国際人権規約は、諸国家が個人の自由と権利を無条件に保障するよう求めたものではない。また、このことは一般に政府の干渉から自由を守る権利とされる自由権であっても、権利を実効的に確保するためには政府の作為を必要とし、人権保障はすべて国の積極的な取り組み、投資を必要とすることと関係している。
 まず自由権規約(B規約)は、緊急事態の場合には、自由と権利を制限できることを規定している。すなわち、第4条1項に、次のように定める。「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。ただし、その措置は、当該締約国が国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならず、また、人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならない。」と。このように、国家の緊急事態には条約で保障する権利のいくつかについてその効力を一時的に停止することを、規約は認めている。これを国家のderogation の権利と言う。derogationは効力停止あるいは条約上の義務からの離脱を意味する。
 ただし、生命権は、緊急時であっても効力を停止できない権利non-derogable rightとされている。自由権規約は、第6条1項に次のように定める。「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない」と。自由権規約委員会は、この条文に定める生命権を、「人間の至高の権利(the supreme right of the human being)」であり、「すべての人権の基礎である」と評価している。確かに人は生命を奪われるとすべての権利を失う。したがって、生命に対する権利は、最も基礎的な権利である。また、1996年(平成8年)、国際司法裁判所は、自由権規約に基づく人権保護は戦時にも停止することはなく、特に第6条に明記された生命に対する権利は免脱できない権利であり、敵対行為中であっても恣意的に生命が奪われてはならないとの考え方を示した。
 ここで欠かしてはならないのは、人々の生命を守るためには、生命の危険を冒して国防や治安、災害救助や国際てきな平和維持活動を行う必要があることである。国家の存亡、社会の安全、民族の繁栄、国際の平和のためには、生命を賭けても人々の生命を守るための人員と組織が不可欠である。国家にあっては国軍であり、国連にあってはPKO・PKFである。この論理は、自然の法則に反したことではない。自然界では種の存続のため、多数の個体が生まれ、その一部が種の生命を次世代に継承していく。人類だけが例外とはなり得ない。生命の尊重は、諸個体の生命より、集団で共有する生命の尊重を重視するものでなくてはならない。
 次に、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要な場合にも、自由と権利を制限できることを規定している。すなわち、第12条では、1項で「合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する」、2項で「すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる」とし、これらの権利はいかなる制限も受けないとしながら、3項に次のように定める。「ただし、その制限が、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、かつ、この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は、この限りでない。」と。
 次に、宗教または信念を表明する自由を制限できることを規定している。すなわち、第18条3項に、次のように定める。「宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。」と。
 次に、表現の自由についての権利については、特別の義務と責任を伴うとし、一定の制限を課すことができるとしている。まず第19条2項に「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」として、権利を保障する。そのうえで、同条3項で「2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。」とする。「ただし」として、「その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。」として、条件を限定している。「(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」の二つである。
 集会の自由は第21条、結社の自由は第22条に定められるが、これらに関してもほぼ同様の制約がある。
 今日多くの国の憲法は、国民の自由と権利の制約要件として、公共の利益、公共の秩序、国の安全、社会道徳、青少年の保護等を定めている。それらの国々の憲法の規定は、国際人権規約の規定と矛盾しない。だが、人権を至上の価値とする論者は、国際人権規約の権利の制限に関する規定には触れない。国際人権規約をよく理解していないと有効な反論はできない。国際化時代の人間の常識として、国際人権規約はもっと読まれるべきものと思う。
 自由と権利への制限は、戦争、差別、敵対、暴力を避けるためという目的によっても、国際的に認められている。世界人権宣言は、第30条に、「宣言」が定める権利及び自由を破壊することを目的とする活動に従事したり、破壊を目的とする行為をしたりする権利を認めないとしている。国際人権規約は、第20条1項に「戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する」、2項に「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」と定めている。戦争には侵攻戦争と防衛戦争があり、人権を守るための戦争もあり得るから、戦争の「宣伝」と差別、敵意又は暴力の扇動となるような「憎悪の唱導」を同じ条に並べるのは不適当と思うが、自由と権利への制限の例として記す。
 ところで、共産中国は、A規約に1997年に署名、2001年に批准し、B規約に1998年に署名した。人権問題は「国家主権の範囲内の問題(国内専権事項)」と言ってきた中国の態度の変化を示すものとして注目された。ただし、中国は国際人権規約に参加した後も、ほとんど人権状況が改善されていない。国際人権規約では、中国政府に少数民族への虐待や生体からの臓器取り出し等をやめさせることができない。その程度の拘束力なのである。その限界を重大な問題点として指摘しておきたい。

 次回に続く。
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