ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド10~ヒンドゥー教の河川崇拝・聖牛崇拝

2019-10-18 09:29:22 | 移民
・河川崇拝
 ヒンドゥー教に特徴的なものの一つに、河川崇拝がある。とりわけガンガー(ガンディース川)は、最も聖なる川とされ、「母なる川」として河川崇拝の中心となっている。ガンガーは、沐浴する者の罪を清める川として有名である。その川の水は、神シヴァの身体を伝って流れ出て来た聖水とされ、また、川そのものが女神ガンガーと仰がれている。
 ガンガーは、神話においては天国にある川であり、「天国のガンガー」と呼ばれる。その川が地上に降下し、さらに地底にある下界パーターラに流れ落ちていくと信じられている。
 ガンガーでは、対岸に日の出を拝みながら沐浴できる場所が聖地となっている。日の出を拝みながら行う沐浴は、太陽神と川の女神の信仰が重合したものである。こうした信仰は農耕に根差したものである。農耕には日光と水が必要であることから、太陽と河川への信仰が発達した。『リグ・ヴェーダ』では特に重要でなかった太陽神の一つ、ヴィシュヌがシヴァと並ぶ二大神となったように、ガンガーも農耕と結びつくことで有力な女神となったと見られる。

・聖牛崇拝
 ヒンドゥー教で別に特徴的なものとして、聖牛崇拝がある。動物に対する崇拝は世界各地にあるが、インドにおけるほど広く深く社会に普及している例は、他にない。神話にはしばしば牛が登場する。聖別されているのは主として瘤牛であり、特に牝牛が崇拝されている。水牛は崇拝の対象ではなく、次々と姿を変える悪魔マヒシャの化身の一つとされている。
 牛はアーリヤ人にとって貴重な財宝であり、その実用的価値から牛の神聖視が生じたものと見られる。牡牛は、遊牧生活のアーリヤ人にとって移動・運搬の強力な手段であり、定住後は農耕に欠かせぬ労働力となった。ヒンドゥー教では、シヴァはナンディンという牡牛を乗り物とする。また牝牛は、牛乳やバター、ヨーグルトといった蛋白質の供給源であり、その牛糞は燃料や厩肥として貴重な資源となる。これに浄めの尿を加えた牝牛の五つの産出物をパンチャガヴヤ、すなわち五宝という。
 ヒンドゥー教はカースト制から脱却しないと世界宗教にはなり得ないと先に書いたが、牛の神聖視もまたヒンドゥー教が世界化し得ない理由の一つと私は考えている。

・日本神道との違い
 ヒンドゥー教と日本の神道は、代表的な多神教である。ともに人間神、自然神、宇宙神等の神々を仰ぐ。
 ヒンドゥー教における主要な神々のうち、ヴィシュヌはもともと太陽神であり、シヴァは暴風神が変容したものである。これらの神々の関係は、日本神道における天照大神と素戔嗚尊の関係と類似点がある。天照大神は太陽神であり、素戔嗚尊には暴風神という性格があるからである。日本神話では、これらの神々は姉と弟とされる。ヴィシュヌとシヴァには、そういう関係はない。
 古事記の神話で、素戔嗚尊は、天照大神が治める高天原で乱暴狼藉を働く。その暴れ方は、暴風を連想させる。素戔嗚尊はその罪を負って、高天原から降りて出雲の国に着く。そこで八岐大蛇を退治して、人々に平和と繁栄をもたらす。シヴァには、破壊と恩恵の両面があるが、素戔嗚尊にも破壊と恩恵という両面がある。天照大神は皇室の祖先とされ、素戔嗚尊は出雲族の一系統の祖先とされる。そして、それぞれの子孫が今日まで続いていると信じられている。インドには、こうした神と人の生命の連続性は見られない。
 ここで注目したいのは、ヒンドゥー教と神道の人間神における違いである。神道には氏族・部族に由来する祖先神が多い。神々の中心とされる天照大神は、太陽を象徴した自然神でありながら、皇室の祖先神とされる。その天照大神を祀る伊勢神宮が、神道の中心的な神社となっている。古代から皇室に仕えてきた藤原氏の祖先は、天児屋根命とされ、春日大社の祭神とされている。伊勢神宮に次ぐ出雲大社は、創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担っている。その他、全国各地に、氏神を祀る神社がある。
 これに比べて、ヒンドゥー教では、ヴェーダの時代において既に、神々と人間の関係は、祖先と子孫という関係ではなくなっている。ヴェーダの主要な神々であるインドラ、ヴァルナ、ミトラ等は自然神であり、特定の氏族・部族の祖先神ではない。インドでは輪廻転生説が形成され、先祖の霊は死後、別の生命体に生まれ変わり、転生を繰り返すと考えるようになった。そうなれば、神道のように祖先の霊を氏神として祀る意味がなくなる。インドにも祖先崇拝はあるが、家庭で父祖の霊を供養するにすぎず、神道のように古代から連綿と続く祖先神として祀るのではない。
 日本では、皇室の祖先神・天照大神が今日まで、神々の中心として国民の尊崇を集めている。だが、インドでは、『リグ・ヴェーダ』の主要な神々であるインドラ、ヴァルナ、ミトラ等は、ヴィシュヌやシヴァに取って代わられている。ヴェーダの神々が没落し、新たな神々が興隆して、ヒンドゥー教が発達した。インド学者は、前者の神々は人気がなくなり、後者の神々の人気が高まったというが、なぜそうした神々の主役の交代が起ったのは、よくわかっていない。神道では、古事記・日本書紀に現れる神々が古代から今日まで一貫して崇拝の対象となっていることと対照的である。日本では、古代から皇室を中心とした社会の秩序が維持され、それに伴って、皇祖神を中心として組織化された神々の体系が維持されてきた。インドでは、バラモン階級が古代からずっと権威を保ち続けてはいるが、彼らが祀る主要な神々が別の一群と交代してしまっている。これは、日本には、古代から今日まで一貫して続く皇室があり、インドには日本の皇室のような中核になる家系がないことによっている。インドでは、神話の時代において、既にアーリヤ人の王家が存続した形跡がなく、二大叙事詩に歌われる王家は物語の中の存在でしかない。

 次回に続く。

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