ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教143~ユングはナチスをどう見たか

2019-01-08 08:10:39 | 心と宗教
ユングはナチスをどう見たか

 ニーチェは、来るべき2世紀をニヒリズム到来の時代といったが、西欧には19世紀末から確かに大きな精神的変化が表れた。
 フロイトの弟子の一人で非ユダヤ人である深層心理学者カール・グスタフ・ユングは、第1次世界大戦から西欧は明らかに正常ではなくなったという。この大戦は「流行病的狂気にほかならない」と、ユングは1916年に書いた。こうした集団的狂気の突発は、長い西欧精神史の結果として現われたものである。キリスト教による祖先崇拝・自然崇拝の否定、「呪術の追放」による無意識の抑圧、合理主義の徹底による理性的自我意識の増強などの長い過程の結果である。
 1956年に出した『現在と未来』において、ユングは次のように述べている。
 「人間の生得そなわっている機能のどれかが、意識や意図による活動から閉め出されて損なわれると、全般的な障害が生じるものである。したがって、理性の女神の勝利とともに、現代人に一般的なノイローゼが、すなわち今日の世界の分裂に見合った人格の分裂が始まったのも、ごく自然のなりゆきにすぎない」
 「文明こそが無数の心の障害や困難の源になるわけだが、それは人間が本能の基盤からますます疎遠になって根無しとなり、自分について意識的に認知できる部分、すなわち意識だけを自分だと思い込み、無意識を閉め出してしまうことになるからである」
 「本能的自然からの分離は、文明人を必然的に意識と無意識との、精神と自然との、知識と信仰との葛藤にひきずりこまずにはいない。ここに至って彼の存在は二つに分裂し、意識が本能の存在をもはやないがしろにしたり、抑圧したりできなくなった瞬間に、その分裂は病理学的な様相を呈するのである」
 こうした人格の分裂をきたした典型が、ニーチェだろう。ニーチェこそ、臨床医ユングが診断した近代西欧人の病理を、最も早く表わした先触れだった。ユングは、ニーチェの思想が、20世紀のドイツで現実になったことを目撃した。
 1945年刊行の『現代史によせて』所収の『破局の後で』において、ユングはいう。
 「第1次世界大戦よりもはるか以前から、ヨーロッパの精神的な変化の最初の兆候は現われていた。中世の世界像は崩れ去り、この世界の秩序を統べていた形而上の権威は消えてしまい、やがて今度は人間の姿で浮かび出た。ニーチェが予言したのは、ほかでもなく神の死であり、その後裔たる超人の出現であり、あの死に至る綱渡り、愚者なのである。‥‥一国民全体が、そればかりか何百万という他国の人間までが、絶滅戦争という血なまぐさい狂気に引きずり込まれた。‥‥ドイツ人にいたっては、催眠術にかかった羊さながら、精神異常の指導者に追い立てられてみずからのと場へと赴いた」。
 ここにいう「超人」「精神異常の指導者」とは、言うまでもない。ヒトラーのことにほかならない。
 既にユングは、1918年にもこう書いていた。「キリスト教的世界観の絶対的な権威がうすれるに従って、『金髪の野獣』が地下の牢獄から首をもたげ、いつでもあばれ出てやろうと機をうかがうようになる」(『無意識について』)。
 「金髪の野獣」とはニーチェの用語だが、ユングによれば、西欧人のうちなる未開人を指す。
 西欧人の獣性は、非西欧社会の侵略において獰猛に発揮されたが、今度は、西欧その地、特にドイツにおいて、劇的に発現した。第1次大戦の敗戦国ドイツは、同じ白人種の間でひどい扱いを受け、極度に自尊心を傷つけられ、また経済危機による生活困難に陥った。追い込まれたドイツ人は復讐を誓い、他国への敵愾心を燃やした。その結果が、ナチズムの登場となる。ユングはこれを「民族の孤立と求心的秩序による集団化」といっている。そこまでドイツを追い込んだ西欧諸国にも、責任がある。ナチスの牙が直接向けられたのは、ユダヤ人だった。ヒトラーは、ニーチェの思想を通俗化して、利用した。差別と迫害、優位と攻撃、支配と美化等が、ニーチェの言葉で粉飾された。
 ユングは、ドイツにおける集団心理について、当時の社会学・心理学の研究も踏まえて、次のように書いている。
 「群集本能の激発は無意識の補償的な動きの兆候だった。このような動きが出てきたのは、民衆の意識状態が人間存在の自然法則にそぐわなくなったからである。工業化のおかげで人口の大部分は根なしの浮動層となって、大都市に集中した。この新しい存在様式――群集心理で動き、市場や賃金の変動に左右されるという存在様式が、不確かで保障のない、暗示に弱い個人を生み出したのである」(「現代史によせて」『ユングの文明論』思索社所収)
 同じ現象をフロイトの弟子の一人であるエーリッヒ・フロムは、有名な『自由からの逃走』において詳細に分析している。ユングもフロムの所論は承知しているが、集合的無意識の理論に基づいて考察しているところに、深さがある。
ユングは、無意識には個人的無意識とは別に集合的無意識があると考えた。そして、当時のドイツ人の集団心理の中に、集合的無意識の作用を見て取った。ユングは、人類や民族の集合的無意識は元型的イメージとして現れるという理論を説いた。
 ユングは、第1次大戦後のドイツ人の集団心理の中に、集合的無意識の作用を見て取った。ユングは、ウェーバーのいう「呪術の追放」によって抑圧されていたゲルマン民族の無意識が、大きく働いていると考察したのである。
 キリスト教に改宗する前、ゲルマン民族は独自の神話を持ち、その神々の中心にはヴォータンという神がいた。ヴォータンは、遊牧民族であり、民族大移動で各地を征服したゲルマン民族の心性を反映した暴力と闘争に特徴がある。ユングは、1936年に次のように言った。「ヴォータンこそドイツの魂の基本的特性であり、非合理的な心的『要素』である」(「ヴォータン」『ユングの文明論』思索社所収)
 ユングによると、ヴォータンは、ゲルマン民族の集合的無意識から現われる元型の一つといえる。ヴォータンの元型は、無意識にあって影響を及ぼし、集団心理を生み出すとユングは考えた。
 「休むことを知らない彷徨の神ヴォータンは、平安を掻き乱す者として、ここかしこで争いを引き起こし、あるいは魔術を弄してきたが、キリスト教によって悪魔とされ、その後はただ従者を率いた幻の狩人として、嵐の夜などに鬼火となって仄輝くばかりとなったが、それもいまは、地方の失われていく伝統のなかで生きているのみである」。ところが、「中世をはるか彼方にしたと思われていたれっきとした文化国家で、熱狂と陶酔の太古の神が、すなわち、歴史のなかにとっくの昔に安置されていたはずのヴォータンが、死火山のよみがえるようにふたたび目覚め、活動をはじめようとは、これは珍事というもおろかな、スリリングな事件ではある」(同上)
 ユングは、このヴォータンの元型の働きが、ヒトラーとナチズムに現われたと見たのだ。ユングはいう。「ヒットラーは文字通り全ドイツを立ち上がらせ、民族大移動のスペクタクルをその場に繰り広げて見せたのである。放浪する者、ヴォータンが目覚めたのだ」と。
 ユングはまた、ヒトラーについての分析を行っている。集合的無意識の中から現われる元型的なイメージの一つに「影」というものがある。
 「影」とは、ユング心理学における元型の一つであり、人格の劣等な部分を意味する。人は、自分の中にある劣等な部分を他者に投影し、その他者に軽蔑や怨恨や憎悪や敵意を向ける。この劣等に見える他者の姿とは、実は自分自身の一面なのであるが、自分では気づかない。
 ユングは、この影という概念を使いながら、臨床医としての所見を述べる。
 「ヒトラーは影、すなわち誰しもの人格が持つ劣等部分を、人並み外れたスケールで体現している」「彼はあらゆる人間的劣等の巨大な権化にほかならない」
 ユングが同時期の1945年に書いた『破局の後で』から略述しよう。ユングによると、ヒトラーは、「ヒステリー患者」である。ヒステリーの病理学的な兆候は「自分の性格に対する完全な盲目、自己色情的な自画自賛や自己の美化、同胞への蔑視とテロ、みずからの影の他への投影、嘘による現実の歪曲、格好だけの見栄っ張り、はったりやいかさま等々」であり、「ヒットラーをもっと詳細に見立てるならば、空想虚言といえるだろう。つまり自分の嘘を自分で信じ込むという特殊な能力で知られるヒステリーの一形態である」。ヒットラーは「ドイツ人全般のヒステリーの似姿」である、とユングは考察した。
 ヒトラーという「超人」的な指導者は、数世紀の間、抑圧されていたゲルマン民族の無意識のエネルギーが、闘争的・破壊的な形で表れたものである。ユングにとって、ナチズムは、近代西欧史あるいは西欧精神史そのものの「運命的帰結」を示しているのである。
 私は、それが西方キリスト教の運命的帰結とも言い得ると考えている。ナチスが台頭し、猛威を振るった時代に、西方キリスト教はナチスを抑えることができず、また第2次世界大戦を防ぐこともできなかった。むしろ、ナチスの反ユダヤ主義はキリスト教の反ユダヤ主義を最大化したものであり、第2次大戦はヨーロッパではキリスト教国同士のたたじゃいだった。世界大戦の時代に、キリスト教は存在意義を根底から問われることになった。
 しかし、第1次世界大戦にはじまるヨーロッパ及び世界の危機の時代にあって、西方キリスト教の中で何の取り組みもなかったわけではない。次の項目では、個々の思想家における取り組みを見ていこう。

関連掲示
・ユングの心理学については、拙稿「人類の集合的無意識を探究~ユング」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11e.htm
・ユングの文明論については、拙稿「心の近代化と新しい精神文化の興隆~ウェーバー・ユング・トランスパーソナルの先へ」をご参照ください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09b.htm

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