ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教141~ドイツの統一、躍進、敗戦

2019-01-04 14:51:29 | 心と宗教
●ドイツの統一、躍進、敗戦
 
 ナポレオン戦争により神聖ローマ帝国が滅亡した後、ドイツでは、ナショナリズムが高揚し、統一への機運が高まった。統一をリードしたのはプロイセン王国だった。
 首相となったビスマルクは、工業化による経済成長、文化闘争と呼ばれるカトリック教徒への抑圧、社会主義者への弾圧と社会保障制度の拡充を合わせた政策などにより、国力増強と国民統合を図った。それをもとに、ビスマルクは鉄血政策による統一を進めた。
 プロイセンの強大化を恐れたフランスは、皇帝ナポレオン3世が1870年7月、プロイセンに宣戦を布告し、普仏戦争が開始された。しかし、プロイセン軍はこれを打ち破り、プロイセン王ヴィルヘルム1世はドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国の成立が宣言された。 ビスマルクは各国の力のバランスを作る巧妙な外交を展開し、ヨーロッパには第1次世界大戦まで小康状態が続いた。その間、ドイツは資本主義を発展させ、工業力を伸張していった。
 ヴィルヘルム1世の死後、ヴィルヘルム2世は、ビスマルクを排除し、単純に力で植民地を奪い取ろうとする3B政策を推進した。3B政策とは、ベルリン、ビザンティウム(イスタンブール)、バグダードを結ぶ鉄道を建設し、バルカン半島から小アジアを経てペルシャ湾に至る地域を経済的・軍事的にドイツの勢力圏にすることにあった。この政策は、アフリカの南北からインドまでを押さえようというイギリスの3C政策と対立した。
 ドイツは、オーストリア、イタリアと三国同盟を締結し、イギリスは、ロシア。フランスと三国協商を結んだ。
 こうして、19世紀末から20世紀の初頭における西欧の国際関係は、イギリス対ドイツの対立を主軸として進んでいく。英独にロシアやフランス等が絡む形で植民地争奪戦が行われ、それが高じて世界大戦へと大規模化していった。
 東方正教文明の担い手であるロシア帝国は、陸続きのバルカン半島に目をつけ、この地域の国際関係に介入した。ロシアは、スラヴ系民族の文化的一体性を強調し、その統合をめざす運動を推進した。これをパン・スラヴ主義という。これに対し、オーストリア=ハンガリー二重帝国はドイツの後ろ盾で、パン・ゲルマン主義を唱え、パン・スラヴ主義の拡大を抑えようとした。
 1908年、オーストリア=ハンガリー二重帝国は、突如としてボスニアとヘルツェゴビナを併合した。これをきっかけに、2次に及ぶバルカン戦争が起った。その結果、バルカン半島は大国、小国の利害がますます複雑に絡み合う地域となり、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。
 1914年6月28日、ボスニアの州都サラエボを訪れていたオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フェルディナンド夫妻が、セルビア人青年に暗殺された。オーストリアは、ドイツの支持を得て、セルビアに宣戦を布告した。ロシアはセルビアを支持して、これに応戦した。続いてドイツがロシアとフランスに宣戦し、さらにイギリスも参戦した。
 こうして14年7月、かつてない規模の戦争が勃発した。戦争はヨーロッパだけでなく、アジアを含む30カ国以上が参戦する最初の世界戦争となった。第1次世界大戦は、誰もの予想を裏切って長期化した。国民全体の協力体制を必要とする史上初の総力戦となり、女性や植民地の住民までもが動員された。社会主義者の多くも自国の戦争に賛同したので、各国で挙国一致体制が成立した。莫大な人員と物量が戦場に投入されることにより、犠牲者の数は飛躍的に増大した。機関銃、毒ガス、戦車、飛行機などの新兵器が開発され、戦い方が大きく変化した。しかし、果てしない消耗戦が続くと、各国の国民の間に厭戦気分が広がった。
 膠着状態に陥った戦争が転機を迎えたのは、1917年だった。ドイツが無制限潜水艦作戦を宣言すると、アメリカがドイツに宣戦した。世界最大の工業国の参戦によって、戦局は連合国側の優勢へと大きく傾いた。ロシアでは、同年11月レーニンが率いるボルシェヴィキがクーデタを起こし、世界初の共産主義革命が起こり、革命政権は翌18年3月単独でドイツと講和した。西部戦線で最後の攻勢に出たドイツは、戦局を打開できず、国内の政情は悪化した。4月キール軍港で起きた水兵の反乱をきっかけにドイツ革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位し、休戦条約が結ばれた。
 敗戦国ドイツは、不利な講和条約を結ばざるを得なかった。ドイツは海外の全植民地を失った。また軍備を制限され、ラインラントの一部は大戦後も連合軍によって占領された。さらに1320億マルクという巨額の賠償金を課せられた。
 ドイツは、経済破綻と天文学的なインフレに見舞われた。国民の多数が失業し、生活不安が広がった。賠償金の支払いは極めて困難な課題だった。賠償の一部である石炭の引き渡しが遅れると、フランス、ベルギーは実力行使に出て、1923年工業地帯のルール地方を軍事占領した。これによってドイツ国内では社会不安が起こり、ハイパーインフレーションが発生した。
 多額のアメリカ資本がドイツに投資され、ようやくドイツ経済は回復の兆しを見せ、国際社会への復帰も果たした。しかし、今度は世界恐慌が襲った。1929年、アメリカ初の大恐慌が起こった。アメリカ経済への依存を深めていた各国経済は、連鎖的に破綻した。その中で特に深刻な打撃を受けたのが、ドイツだった。アメリカ資本が引き上げると、すさまじいインフレが起こり、ドイツ国民の約半数が失業状態に陥った。深甚な打撃を受けたドイツは、底なしの経済危機に陥った。生活苦にあえぐ国民の間には、第1次大戦後、戦勝国が作ったヴェルサイユ体制への不満と連合国への恨みが鬱積していた。戦勝国による敗戦国への報復は、敗戦国による復讐を招く。キリスト教は、愛と赦しを説く。しかし、同じ教えを信奉する国々が、互いに憎み、争い、世界を闘争に引き込んでいった。

 次回に続く。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« キリスト教140~世俗化と... | トップ | 文政権の本質と韓国保守派の主張 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

心と宗教」カテゴリの最新記事