ほそかわ・かずひこの BLOG

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インド27~ヒンドゥー教の歴史

2019-12-10 14:30:36 | 心と宗教
 今回から、第2部「ヴェーダの宗教、仏教、ヒンドゥー教の歴史」に入る。

●ヒンドゥー教形成の歴史

 第1部では、インド文明のダルマの主要部分となるヒンドゥー教の概要を書いた。この第2部では、ヒンドゥー教のもとになったヴェーダの宗教や大きな影響を与え合った仏教等について述べたうえで、ヒンドゥー教の発達過程をたどり、その後、近現代における展開と現状を書く。

●インド文明の領域

 インド亜大陸は、ヨーロッパよりも広い面積を持ち、多くの民族と言語、文化が存在する地域である。本稿でインド文明と呼んでいるのは、インド亜大陸で古代から今日まで続く文明である。インド文明は、インダス文明の滅亡後、アーリヤ人の文化と先住民族の文化とが融合しながら発達してきた。インド文明は、その周囲に西アジア及び東南アジアの諸文化を伴っている。
 世界史でインドの歴史を書く時は、現在のインド共和国の領土の範囲だけでなく、インド文明の地域の一部であるパキスタン、バングラデシュ、またその周辺のネパール、スリランカ、さらに時代によってはアフガニスタン、ミャンマー等の地域を含めて、南アジアの歴史として書くことが多い。インド文明が生んだヒンドゥー教、仏教が伝播した東南アジアのインドシナ半島やインドネシアへと、その範囲を広げて書く場合もある。
 インド亜大陸の地理について書いておくと、北西部は、インダス川上流にカシミール地方、その下方にパンジャーブ地方、下流にシンド地方が広がる。北東部は、ガンガー中流にヒンドスタン地方、下流にベンガル地方がある。ガンガーの支流であるブラマプトラ川の流域はアッサム地方と呼ばれる。亜大陸の中央部には、デカン高原がある。これを中心に南北に分けると、北インドは概ねアーリヤ人中心の社会、南インドは非アーリヤ系諸民族の社会となっている。

●インダス文明

 インド文明の発生以前には、インダス文明が存在した。

◆特徴
 インダス文明は、古代のインド亜大陸において、インド北西部のインダス川流域で発達した文明である。空間的には、現在パキスタンのある地域から北西インドにかけて、東西約1600キロ、南北約1400キロの範囲で興亡した。この範囲は、世界の四大文明――他はメソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明――の中で最も広いものである。また時間的には、紀元前3000年紀の前半ないし半ば頃から、紀元前1800年以降にわたり、千数百年間続いた。
 インダス文明の存在は、19世紀半ばまで他の地域には知られていなかった。当時、インドの直接支配に乗り出したイギリス人が、ハラッパーの遺跡を発見したのが、始めである。その後、半世紀以上経った1920年代になって、ハラッパーとモエンジョ・ダーロの発掘が開始された。
 インダス文明は、整然とした計画に基づく都市文明だった。都市遺跡は焼き煉瓦を積み上げた建物や道路からなり、下水渠、沐浴場、穀物の貯蔵所等の公共施設が確認されている。米、アワ、麦等を栽培する農耕文化を基盤とし、彩文土器とともに青銅器を使用する青銅器文化の段階に入っていた。
 遺跡から出土する印章には、インダス文字が書かれている。言語的には、ドラヴィダ語族の諸言語によく似た特徴を示すといわれる。だが、未だ文字の解読がなされていない。そのため、後代の社会との関係は明らかになっていない。
 メソポタミア文字を記したテラコッタや凍石の印章等が出土しており、メソポタミア文明との関係が伺われる。一方、インダス文明の印章が古代のメソポタミアやエラムの地層から出土している。こうした事実は、インダス文明とメソポタミア文明との間で、海上交通による交易が行なわれていたことを示している。

◆担い手
 インダス文明を担ったのは、ドラヴィダ人ないしドラヴィダ人につながる民族という見方が有力である。ただし、遺跡から発見された人骨は、数種類の形質人類学的特徴が混じり合った性質を持ち、現存する特定の一種族の特徴を示してはいない。

◆宗教
 インダス文明の遺跡や遺物には、後代のヒンドゥー教の習俗を思わせるものがある。神像、大地母神などの女神崇拝、ヨーガ行者、リンガ崇拝、牛などの動物崇拝、祭儀での水の使用、火葬、卍などである。
 インダス文明は、多くの神像を持っていた。このことは、ヒンドゥー教における神像崇拝が、アーリヤ人侵入以前からのものであることを示している。
 発見された神像の中に、多数の大地母神の像がある。これは、農耕儀礼において、大地母神を祈願の対象とし、類似したもの同士は互いに影響し合うという発想による類感呪術を行ったものと見られる。大地母神崇拝は、ヒンドゥー教における女神崇拝につながっている。
 ハラッパーから出土した印章には、結跏趺坐したヨーガ行者らしき絵があり、シヴァを連想させる。また、シヴァの象徴であるリンガへの崇拝のもとと思われる直立した男性器を表す絵もある。
 インダス文明では、動物崇拝が行われていた。中でも牡牛ではあるが牛の神聖視が見られることは、ヒンドゥー教の聖牛崇拝の淵源と考えられる。
 遺跡には、ヒンドゥー教の神殿の沐浴場を想起させる四角形の貯水池のような構築物がある。これは、水が祭儀で特別の意味を以て用いられていたことを示唆している。
インダス文明では、火葬が行われていた。遺体を川の土手で火葬にし、遺灰を川に投じたようである。この点も、ヒンドゥー教の習俗と一致する。
 ヒンドゥー教だけでなく、ジャイナ教、仏教でも幸福の印として用いられる卍が、インダス文明の印章の中に描かれている。
 インダス文明には、ヒンドゥー教で広く見られる神殿、祭壇、祭具と思われるものは、発見されていない。また目立った武器や利器が出ていないので、比較的闘争の少ない社会だったと考えられている。
 インド文明において、ヒンドゥー教の特徴となる要素が確立されるのは、インダス文明の滅亡後、アーリヤ人の侵入と定着、ヴェーダの文化と非アーリヤ文化との混淆・融合を経た後である。だが、インダス文明には、ヒンドゥー教の習俗を思わせる文化要素が多くあるということは、インダス文明とインド文明は別のものではなく、インダス文明はインド文明の原型であり、基盤であると考えられる。そして、滅亡した文明の精神文化が、新しい文明の下地となって、表面に浮かび上がってきたのだろうと考えられる。

◆滅亡の原因
 インダス文明の滅亡は、紀元前1800年頃と見られる。アーリヤ人の侵入は前1500年頃からとされるから、年代が一致しない。概ね300年程の開きがある。
 インダス文明が滅亡した原因について、未だ定説はない。地球規模の気候変動、環境破壊による乾燥化、地下水位の低下、塩害、土地の隆起による川の氾濫と流域の変化及びそれによる土地の生産力の減衰などが考えられている。

 次回に続く。

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