ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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靖国問題は国家根幹の問題1

2006-07-22 14:10:54 | 靖国問題
 今回の富田メモの報道の仕方は、センセーショナルだった。20日の日本経済新聞は、一面トップで大々的に報じた。まるで歴史的な大事件を伝えるかのごとき扱いである。秦郁彦氏・半藤一利氏などの著名な学者や作家が、このメモを信頼性の高いものとするコメントを載せた。
 しかし、富田メモには、いくつもの疑義が出されている。疑問は広範囲にわたっている。昭和天皇のご発言として報道したマスメディアは、疑義に答える責任がある。また、歴史や皇室の専門家には、今後、徹底的に検証して、事の真相を明らかにして欲しいと思う。

 私が今回改めて思ったのは、靖国問題は、日本の国のあり方の根幹にかかわる問題だということである。
 靖国参拝について議論になるのは、憲法の規定であり、いわゆる「A級戦犯」の合祀である。これらは、戦後の日本が独立主権国家としての要件を完全には回復できていないがための議論である。このたびの昭和天皇のご発言に基づくとされるメモは、そのことを改めて浮かび上がらせた。
 戦後は終わっておらず、昭和は終わっていないのである。

 まず憲法についてだが、現行憲法は、わが国が占領下で主権を失っていたときにつくられた。GHQが秘密裏に作成した原案をもとにしたもので、占領基本法・属国憲法としての性格をもっている。その憲法を改め、日本人自身の手で新しい憲法をつくるという課題を、戦後の日本人は実行してこなかった。
 現行憲法には、政教分離を定めた条項があるが、他の条項と同じく、日本人が自由に議論できる環境で規定したものではない。そのため、我が国の伝統や文化にそぐわない内容となっている。
 ところが、この条項を、国家と宗教の厳密な分離を定めたものと解釈する意見が有力になり、首相の靖国参拝が憲法問題として議論されるようになった。
 もとは、憲法に問題がある。わが国は、この憲法を放置したまま今日に至っている。

 次に、いわゆる「A級戦犯」とは、戦争を起こして、国民や他国民を苦しめた極悪犯罪人という意味ではない。東京裁判において、「A級」の「戦争犯罪人」として判決を受けた日本人のことである。
 容疑者の選定はずさんであり、軍人は陸軍軍人ばかりであり、海軍軍人はいない。石原莞爾のような重要人物が入っていない。昭和3年以降の歴代首相を全部選んでいるわけでもない。規準があいまいなのである。
 東京裁判は、国際法に根拠を持たないもので、戦勝国によるリンチ、見せしめのための儀式にすぎなかった。東京裁判は、マッカーサーに与えられた権限によって開廷されたが、当事者のマッカーサーは裁判後、東京裁判は誤りだったとトルーマン大統領に語ったと伝えられる。
 独立回復後、わが国は東京裁判を検証し、その不当性を明らかにすることを行なっていない。そのため、日本人自身による主体的な歴史観の回復ができていない。

 以上述べたことは、現在の日本に当てはまるのはもちろん、昭和天皇が靖国神社へのご親拝をされなくなった時期においても同じ状態だった。
 そうした状態のままで、昭和44年から49年まで、国会で靖国神社の国家護持が議論された。その後、昭和50年(1975)8月15日に三木武夫首相が「私人」としての参拝を表明した。
 三木の私人表明まで、靖国参拝と現行憲法・東京裁判の間にある問題は、明確には浮かび上がっていなかった。天皇も歴代首相も、当然のこととして靖国に参拝していた。

 同年11月21日、昭和天皇が靖国神社の秋の例大祭に参拝された。その前日、参議院内閣委員会で日本社会党がこれを問題にした。追及を受けた吉国一郎内閣法制局長官は、天皇のご親拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えた。この答弁によって、天皇のご親拝が憲法問題になってしまった。同項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。
 この条項の解釈の問題が解決しないと、天皇のご親拝は政治問題となる事態となった。それ以来、ご親拝は途絶えている。天皇がご親拝されなくなった決定的な原因が、この点にあることは明らかである。
 今回の富田メモがたとえいかなる性格のものであったとしても、これは変わらない。

 憲法問題に触れずに、いわゆる「Å級戦犯」の合祀に焦点を絞った報道は、全体を見失っていると思う。あるいは国民に全体像を見せずに、一定の方向に国民の意識を操作しようという意図があるのではないか、と私は見ている。

 次回に続く。

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