●新たな可能性
平成18年8月2日の産経新聞「正論」にて、岡崎久彦氏(元駐タイ大使)が、次のように書いている。「私自身が確かめたわけではなく、ひとから聞いた話であるが」と断ってのことだが、富田メモにある昭和63年4月28日には、「徳川侍従長が、それまで職務上、固く沈黙を守っていられたのが、元侍従長として自由な立場で記者会見を行ったことがある由である。そこには富田氏も長官として同席し、メモを取っていた、という事実があるようである」と。
もしこうした記者会見があったのであれば、富田メモは、この際の徳川元侍従長の発言を書き留めたものとなろう。徳川の発言の中に一部、昭和天皇から25日の記者会見に関してうかがったことを側近の立場で伝えたことが含まれていたとも見られる。
4月28日に、徳川の記者会見は行なわれたのか。早急に確認が必要だろう。また行なわれたのであれば、記者の記録や記事を集め、富田メモとの比較・検討を行う必要もある。
●世紀の大誤報?
この4月28日の件を含む記事が、週刊新潮8月10日号に載った。「『昭和天皇』富田メモは『世紀の大誤報』かーー『徳川侍従長の発言』とそっくりだった!」という特集記事である。
ネット上では、富田メモは昭和天皇のご発言ではなく、徳川元侍従長の発言ではないかという見方が相当数の人たちから出されている。日経の記事は誤報だ、と断定する人もいる。
新潮の記事は、「問題は、このメモが書かれたとされる昭和63年4月28日である」として、当時の宮内庁記者に取材したことを書いている。
その記者によると、「8ヶ月後に崩御される陛下にとって、昭和63年4月29日は、最後の誕生日となりました。その4日前の4月25日に陛下は記者会見をされ、予定されていた時間のほぼ半分の15分くらいで会見を切り上げています。前年に手術をされ、この時もすでに体調が相当お悪かったのです。天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社は、陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングしてもらわねばなりませんでした」と言う。
徳川侍従長は、直前の4月13日に50年以上務めた侍従の職を退き、宮内庁の侍従職参与に新たに就任した。
新潮は、徳川氏に関して、元宮内庁職員の言葉を載せている。
「会見翌日の4月26日火曜日に侍従職参与となったのです。そして、1週間のうち、火曜と木曜に出勤することになった。口が堅いことで有名な方でしたので、ついたあだ名が火・木をもじって“寡黙の人”。そして、参与になって初めての木曜日が、問題の4月28日でした」
新潮の記者は、ここで次のように書く。「翌日の朝刊用に天皇の会見記事を入稿しなければならない記者たちのために、富田氏が陛下にお会いし、改めて伺った話を書きとめたのが、問題のメモだとされている。が、富田氏が体調の優れない天皇ではなく、その代わりに天皇のお側に50年余にわたって仕えた徳川氏の意見を聞いていたとしたらどうだろうか」
そして、再び元宮内庁職員の言葉を引く。
「陛下の会見の前後に長官と侍従長が話をすることは当然あります。お互い連絡を密にする必要がありますから。富田氏が昭和52年に宮内庁次長に就任してから、二人は10年以上の付き合い、すり合わせも心得ていたはずです」と。
産経に岡崎氏が書いていた4月28日に徳川の記者会見が行なわれたのかどうか、新潮の記事は触れていない。代わって、翌日の「天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社」の記者が、「陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングして」もらったという事実を伝えている。当時の各社の宮内庁記者を集めて座談をしてもらえば、会見の模様と内容が再現されるのではないか。
富田は、事前にとったメモをもとに記者会見に臨み、記者たちに情報を伝えたのかもしれない。その場合、メモの内容のまま伝えたのではない。そうすると、センセーションを起こしてしまう。メモを見ながら自分のとらえたことを記者たちに説明しただろう。
メモの内容は、誰の発言だったのか。昭和天皇なのか、徳川元侍従長なのか。それともその双方なのか。記者会見には、侍従職参与となったばかりの徳川も同席していたのか。徳川の方が説明の中心だったのだろうか。
あるいは、富田のメモは、その場での徳川の発言を書き留めたものだろうか。それとも、一部は直接、昭和天皇から会見前にうかがったことなのだろうか‥‥。
●再び徳川元侍従長の発言である可能性
富田メモは徳川侍従長の発言である可能性があることを、週刊新潮の記事は投げかけている。理由として、記事が挙げていることをピックアップして、以下に記す。
・「A級」という言葉
所功・京都産業大学教授の話:「そもそも昭和天皇が“A級(戦犯)”という言葉を遣われたとは考え難い」「他の確かな資料を見ても、昭和天皇は戦勝国の一方的な判決を容認しておられないから、“A級戦犯”という括り方をされるはずがないのです」
・「参拝」という言葉
神社本庁関係者の話:「一般的には、陛下が神社に行かれることを“行幸”と言い、‥‥靖国神社は‥‥あくまで“行啓”なのです。また、陛下ご自身が謙譲語である“参拝”という言葉を遣うのはおかしいし、陛下の“行く”というお言葉を富田氏が“行啓”でなく、“参拝”と表現するのもおかしいですね」
・徳川は「A級戦犯」合祀に反対だった
記事が引く徳川の本からの引用:「靖国神社の合祀者名簿はいつもは10月に神社が出してきたものを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和53(1978)年は遅れて11月に出してきた。「A級戦犯の14人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう」
記事は、この引用の後に「徳川氏は、A級戦犯合祀に「文句を言った」のである。彼が明快に合祀反対派であったことがわかる」とコメントしている。
・徳川は筑波宮司を評価、松平宮司に批判的、松岡の合祀に批判的
(拙稿でこれまで引用してきたことと重複するので省略)
・徳川と松平・筑波との関係
元宮内省職員の話:「松平宮司の父親は宮内府の長でしたから、侍従職にあった徳川さんは、父親の存在をよく知っていた。ですから、親の心子知らずという表現は理解できます、“筑波がよくやった”という言い方も、筑波宮司は旧皇族でしたから徳川さんはよく知っていたと思いますので、これもわかります」
八木秀次・高崎経済大学教授:「(略)親の心子知らず、などと非常に強い言い方は天皇にはそぐわず、むしろ松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくありません」
次回は、公開の経緯など。
平成18年8月2日の産経新聞「正論」にて、岡崎久彦氏(元駐タイ大使)が、次のように書いている。「私自身が確かめたわけではなく、ひとから聞いた話であるが」と断ってのことだが、富田メモにある昭和63年4月28日には、「徳川侍従長が、それまで職務上、固く沈黙を守っていられたのが、元侍従長として自由な立場で記者会見を行ったことがある由である。そこには富田氏も長官として同席し、メモを取っていた、という事実があるようである」と。
もしこうした記者会見があったのであれば、富田メモは、この際の徳川元侍従長の発言を書き留めたものとなろう。徳川の発言の中に一部、昭和天皇から25日の記者会見に関してうかがったことを側近の立場で伝えたことが含まれていたとも見られる。
4月28日に、徳川の記者会見は行なわれたのか。早急に確認が必要だろう。また行なわれたのであれば、記者の記録や記事を集め、富田メモとの比較・検討を行う必要もある。
●世紀の大誤報?
この4月28日の件を含む記事が、週刊新潮8月10日号に載った。「『昭和天皇』富田メモは『世紀の大誤報』かーー『徳川侍従長の発言』とそっくりだった!」という特集記事である。
ネット上では、富田メモは昭和天皇のご発言ではなく、徳川元侍従長の発言ではないかという見方が相当数の人たちから出されている。日経の記事は誤報だ、と断定する人もいる。
新潮の記事は、「問題は、このメモが書かれたとされる昭和63年4月28日である」として、当時の宮内庁記者に取材したことを書いている。
その記者によると、「8ヶ月後に崩御される陛下にとって、昭和63年4月29日は、最後の誕生日となりました。その4日前の4月25日に陛下は記者会見をされ、予定されていた時間のほぼ半分の15分くらいで会見を切り上げています。前年に手術をされ、この時もすでに体調が相当お悪かったのです。天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社は、陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングしてもらわねばなりませんでした」と言う。
徳川侍従長は、直前の4月13日に50年以上務めた侍従の職を退き、宮内庁の侍従職参与に新たに就任した。
新潮は、徳川氏に関して、元宮内庁職員の言葉を載せている。
「会見翌日の4月26日火曜日に侍従職参与となったのです。そして、1週間のうち、火曜と木曜に出勤することになった。口が堅いことで有名な方でしたので、ついたあだ名が火・木をもじって“寡黙の人”。そして、参与になって初めての木曜日が、問題の4月28日でした」
新潮の記者は、ここで次のように書く。「翌日の朝刊用に天皇の会見記事を入稿しなければならない記者たちのために、富田氏が陛下にお会いし、改めて伺った話を書きとめたのが、問題のメモだとされている。が、富田氏が体調の優れない天皇ではなく、その代わりに天皇のお側に50年余にわたって仕えた徳川氏の意見を聞いていたとしたらどうだろうか」
そして、再び元宮内庁職員の言葉を引く。
「陛下の会見の前後に長官と侍従長が話をすることは当然あります。お互い連絡を密にする必要がありますから。富田氏が昭和52年に宮内庁次長に就任してから、二人は10年以上の付き合い、すり合わせも心得ていたはずです」と。
産経に岡崎氏が書いていた4月28日に徳川の記者会見が行なわれたのかどうか、新潮の記事は触れていない。代わって、翌日の「天皇誕生日に会見記事を出す予定だった各社」の記者が、「陛下の真意や、お言葉の背景について、富田長官ら幹部にブリーフィングして」もらったという事実を伝えている。当時の各社の宮内庁記者を集めて座談をしてもらえば、会見の模様と内容が再現されるのではないか。
富田は、事前にとったメモをもとに記者会見に臨み、記者たちに情報を伝えたのかもしれない。その場合、メモの内容のまま伝えたのではない。そうすると、センセーションを起こしてしまう。メモを見ながら自分のとらえたことを記者たちに説明しただろう。
メモの内容は、誰の発言だったのか。昭和天皇なのか、徳川元侍従長なのか。それともその双方なのか。記者会見には、侍従職参与となったばかりの徳川も同席していたのか。徳川の方が説明の中心だったのだろうか。
あるいは、富田のメモは、その場での徳川の発言を書き留めたものだろうか。それとも、一部は直接、昭和天皇から会見前にうかがったことなのだろうか‥‥。
●再び徳川元侍従長の発言である可能性
富田メモは徳川侍従長の発言である可能性があることを、週刊新潮の記事は投げかけている。理由として、記事が挙げていることをピックアップして、以下に記す。
・「A級」という言葉
所功・京都産業大学教授の話:「そもそも昭和天皇が“A級(戦犯)”という言葉を遣われたとは考え難い」「他の確かな資料を見ても、昭和天皇は戦勝国の一方的な判決を容認しておられないから、“A級戦犯”という括り方をされるはずがないのです」
・「参拝」という言葉
神社本庁関係者の話:「一般的には、陛下が神社に行かれることを“行幸”と言い、‥‥靖国神社は‥‥あくまで“行啓”なのです。また、陛下ご自身が謙譲語である“参拝”という言葉を遣うのはおかしいし、陛下の“行く”というお言葉を富田氏が“行啓”でなく、“参拝”と表現するのもおかしいですね」
・徳川は「A級戦犯」合祀に反対だった
記事が引く徳川の本からの引用:「靖国神社の合祀者名簿はいつもは10月に神社が出してきたものを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和53(1978)年は遅れて11月に出してきた。「A級戦犯の14人を合祀した」と言う。私は「一般にもわかって問題になるのではないか」と文句を言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」「外には公にしませんから」と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう」
記事は、この引用の後に「徳川氏は、A級戦犯合祀に「文句を言った」のである。彼が明快に合祀反対派であったことがわかる」とコメントしている。
・徳川は筑波宮司を評価、松平宮司に批判的、松岡の合祀に批判的
(拙稿でこれまで引用してきたことと重複するので省略)
・徳川と松平・筑波との関係
元宮内省職員の話:「松平宮司の父親は宮内府の長でしたから、侍従職にあった徳川さんは、父親の存在をよく知っていた。ですから、親の心子知らずという表現は理解できます、“筑波がよくやった”という言い方も、筑波宮司は旧皇族でしたから徳川さんはよく知っていたと思いますので、これもわかります」
八木秀次・高崎経済大学教授:「(略)親の心子知らず、などと非常に強い言い方は天皇にはそぐわず、むしろ松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくありません」
次回は、公開の経緯など。








それと神社本庁関係者の指摘する「参拝」という言葉。マスコミや宮内庁職員などが天皇陛下の参拝を表現するならば「行幸」とか「御親拝」という言葉を当然のように使いますが、天皇陛下ご自身が述べる場合、「参拝」と表現しても不自然ではありません。靖国に祀られる国の英霊、つまり「神」に対して慰霊のお気持ちを持って行かれるので、自らへりくだって「参拝」と表現はしても、「行く」などとは言わないでしょう。陛下にとって靖国は特別の場所であるはずだからです。
一番無理のあるコメントが八木秀次氏。「松平が徳川家の家来みたいなものだったと考えると、徳川侍従長の方がそういう言い方をしてもおかしくありません」 という考え方はとても無理がある。松平宮司の父親は式部長官や宮内大臣を歴任した、徳川侍従長にとっては大先輩にあたる方。その息子を家来同然にみなすというのは考えづらいでしょうね。
どうも、松平宮司が昭和天皇にどう思われていたのかということについて、もっと突っ込んで考える必要があると思いますね。両者の考え方にかなり大きな違いがあったと。いろいろな証言から、松平宮司と皇室との関係はかなり険悪であったことは事実のようですし。
#1 週刊新潮が大嫌い!
⇒創価学会員?
#2 富田メモはトニカク昭和天皇のお言葉!
⇒日経の社員?
#3 A級合祀はすべて靖国神社の責任!
⇒厚生省の役人?
#4 分祀して天皇陛下の御親拝を!
⇒遺族会の古賀誠派?
もしかして、本人は日経に務める創価学会員で、オヤジが厚生省、お祖母ちゃんが遺族会だったりしてね。
元学会員のオレには、そういうニオイがする。
日経の社長が4月に中国に行って唐カセンと会って、靖国問題で中国に協力しろと言われて、なにやら約束してきたらしいね。
政界・財界・報道界の媚中派が暗躍してる。
創価学会が背後でつながっているという情報が出ている。2チャンネルのガセネタじゃないよ。
クライン孝子さんのブログから転載。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=200607
■2006/07/31 (月) 今一つ『富田メモ』について公明党がらみ説(4)
今、親しい知人から『富田メモ』に関して次のようなレポートが届きましたので、ご紹介いたします。
<<富田元宮内庁長官のメモに関する特別情報があります。この内容については、目下の段階で誰からの報であるということについては、極めて難しい状況がありますので、お知らせできないのが残念ですが。
(1)このメモの存在については、現宮内庁の高官が知っていた。
この人は創価学会に関わっている人で、現内閣で公明党から出ている閣僚とは建設省の出身なので特別の間柄である。
公明党は分祀を主張しているが、福田の総裁選不出馬によって、何らかの手を打つべく相談し、このメモを利用することを考えたようである。
この公明党閣僚はつい先日中国を訪問して、靖国問題については何とかしますというような話をこっそりして来たようであり、靖国参拝反対を提唱している財界の動きから見て、日経のスクープとすれば効果もあり且つ2人の策動を表に出すことがなく、大きな影響を与えられると思策し、日経にその役を振ったようである。
(略)
特にこのメモの内容が、あの日記の日付の時に陛下が語ったのかどうかについては、大きな疑問がある。
当時宮内庁記者をしていた有名な記者は、あの日記の日当日のことについて、7月23日朝の10チャンネルのテレビの番組で次のように語っていた。
当日も宮内庁長官の記者会見があったが、富田長官からは何の話もなく、陛下にお目にかかったことにも言及せず、実際としてあの時の陛下のご容態からして、そんな話が出来るような状況ではなかったと思う。
(この話は、あの日のメモになっているが、もっと以前に話されたことや侍従長から聞いたことを、富田氏が思い出して書いたものとも言えるので、言葉遣いからみても陛下の御言葉そのものとは信じ難い。
>>
「閣僚」って、北側国土交通大臣しかいないよね。
創価学会のニオイがすると、週刊新潮の記者は走るよ。徹底的に書きまくるだろうね。
ええと。コメントの内容をよく読んでいただけるとわかるかと思うんですが、ほそかわさんに絡んだのではなくて、週刊新潮の記事に異論を提示したものです。
日経の富田メモスクープが経営戦略の一環とするならば、週刊新潮の記事もまた経営戦略の一環。うのみにしちゃうと恥をかくことにもなりかねません。富田メモに対し検証が必要であるのと同様、それに対して対立軸となりうる報道をした週刊新潮の記事に対しても検証が必要であるのは言うまでもないことです。
私はそもそも日経に掲載されたから正しいだろうなどという考えは持っていませんよ。スクープしたのが新潮であろうと産経であろうと同じことです。
問題になっているのは富田メモの信憑性、富田長官と会話したのは昭和天皇その人なのかというのが検証の焦点ですよね。それについては私なりに検証した上で納得してのことですし、新潮記事が提示した疑問点についてはほとんど説明可能ですからね。
どう考えても合理的な解釈や説明のつかない疑問点があれば、私も富田メモは疑わしいと感じるでしょうが、今のところそれにあたるような疑問点が見当たりません。一番もっともらしいと言えるのは徳川侍従長発言説ですが、これだと昭和天皇の発言とするよりも説明が困難です。「回顧録と内容が似ている」という印象ぐらいしか根拠がないからですね。
いずれにしても、実物を詳細に分析できているわけではないので、どの考え方が確からしいかを近似的に考察する以外にできることがありません。しかし考察すればするほど4.28の富田メモは昭和天皇の発言であるという考えは今のところ揺るぎませんね。
そんなに書きたいことあれば、自分のブログに書けばいいじゃん。それでトラバ張って、ブーコメつければいいんだよ。
天皇さまのお心のわからないやつが、富田メモは昭和天皇の発言という画策にのせられるのさ。
ぴーちく氏に対して人格攻撃ばかりで全く反論の体をなしてないじゃん。
もう一回小学校からやり直したら?
クロミ的には、脳みそ腐ってるとかそういう言い方は、自分のレベルの低さを示していると思う。
それに小学校はみんな出てると思うので、学歴攻撃は意味ないと思う。