ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教42~施し、音楽

2018-05-07 08:54:05 | 心と宗教
●そのほかのサクラメント

 洗礼と聖体/聖餐は、ローマ・カトリック教会、東方正教会、プロテスタントの主な教派に共通するサクラメントである。それら以外のものについては、カトリック教会を中心に簡単に書く。
 ローマ・カトリック教会では、洗礼を受けた後の自罪の赦しのために、告解がある。罪を司祭に個人的に口頭で告白し、償いを果たすことを条件に赦免を受ける。教会には告白室が設けられている。告白を聞いた神父は、信者に「再びかかる罪を犯すことのないように・・・」と諭し、その上で神の名によってその罪を赦す。神父は告白の秘密を守らねばならない。
 プロテスタントでは、聖書に根拠がないとして告解を否定する。牧師には、神の名によって信者の罪を赦す権利があるとは考えていない。個人の内面的な悔い改めを勧める。告解がないため、プロテスタントの多い米国では、その代替物として精神分析やカウンセリングが求められているという見方がある。精神分析医やカウンセラーが、神父に代わる役割をしているというわけである。
 サクラメントのうち、洗礼、聖体/聖餐、堅信、婚姻及びかつてカトリック教会で行われていた終油は、人生儀礼でもある。
 幼児洗礼は、誕生に伴う儀式である。誕生から数日ないし数十日の間に水による清めを受けることで、原罪の穢れから清められ、天国に行くことができるとされる。
初めての聖体は、7~8歳で行われ、聖別されたパン、すなわちキリストの命に預かり、共同体との交わりと一致を確認する。
 堅信は、分別のつく年齢になった者(7~8歳、日本では10歳)が聖霊の賜物を受ける儀式である。キリスト教信徒として一人前になったと認められる。
 婚姻は、結婚する男女が聖職者を証人として神前で互いに愛を誓い合う儀式である。
現在は病者の塗油として、繰り返し受けることができるようになっているが、伝統的には一生に一度の終油が行われていた。終油は、臨終の宣告であり、油を塗ることにより、臨終間際に最後の罪の許しを受けるという死に伴う儀式である。現在では、サクラメントとしてではなく、ミサによる葬儀が行われている。
 これらが人生儀礼でもあるということは、例えば神道におけるお宮参り、七五三、成人式、結婚式、葬式等と比較すると分かりやすいだろう。ローマ・カトリック教会では、もともと諸民族の素朴な儀礼だった風習を変形して取り入れ、キリスト教の教義によって重く意味づけているものと考えられる。

●施し

 イエスは、不幸な同胞への施しは、イエスに対する業に他ならないと説いている。それによって、施しはイエス・キリストに対する信仰表明とされている。キリスト教社会では、信仰に基づく慈善活動が活発だが、そのもとには、イエスの教えがある。
 イスラーム教の場合は、六信五行の五行の一つに喜捨(ザカート)がある。喜捨は、シャリーア(イスラーム法)の定める信徒の義務であり、貧しい者の救済・援助のために寄付を行う。義務化された施しなので、実質的な宗教税、救貧税である。これとは別にサダカと呼ばれる自発的な喜捨がある。
 これに比し、外面的な行為よりも、内面的な心のあり方を重視し、個人の自発性を尊重するキリスト教では施しを法的な義務としていない。

●儀礼に伴う音楽

 古来宗教は、救いや解脱を求める精神的な活動であるとともに、技術と芸術を総合する文化的な活動でもある。多くの宗教では、礼拝や修行のための建築物が発達し、その時代の高度な建築技術が用いられ、宗教的な意味を持つ事物・図形・絵画・彫像等が建物を装飾する。また聖職者や教職者は特別な衣服や装身具を身にまとい、象徴的な祭具を用いる。この点は、キリスト教も同様である。
 キリスト教において特徴的なことは、とりわけ音楽が高度に発達したことである。初期のキリスト教会の伝統を継承している東方正教会では、中心的な儀礼を奉神礼という。奉神礼では聖歌が歌われる。もとの歌詞はギリシャ語だが、初期から各地の教会では現地の言葉で儀礼が行われていたので、シリア語、エジプト語、ロシア語等に訳されて歌われている。
 ローマ・カトリック教会では、中心的な儀礼を典礼と呼び、典礼で歌う歌を聖歌と呼ぶ。歌詞はラテン語である。プロテスタントの教派では、中心的な儀礼を礼拝と呼ぶ。礼拝で歌われる歌は讃美歌と呼び、それぞれ自国語による歌が作られている。
 聖歌や讃美歌の歌詞は、聖書による。聖書の単なる奉読ではなく、言葉に旋律やリズムや和声をつけた歌を参拝者が一緒に歌ったり、または合唱団が歌うのを聴いたりすることによって、歌詞が信者の感情に深く作用する。特に西方キリスト教では、教会音楽が大きく発展した。6世紀末から7世紀初にかけての教皇グレゴリウス1世は、聖歌を集成し、自らも作曲したという。彼の名にちなんだグレゴリオ聖歌は、長く教会で歌い続けられている。中世・ルネッサンスの時代に、ミサや儀礼の音楽が発達し、複雑な構成の合唱曲が多く作られた。バロック時代以降は、機械工業によって作られた多種類の楽器を用いる大規模な器楽が歌唱に加わり、高度な構造を持つ宗教音楽が創作された。そうした楽曲の多くは、教会のミサや儀礼とは関係なく、商業的な演奏会で演奏されるようになっている。バッハのマタイ受難曲、ハイドンのオラトリオ「天地創造」、モーツァルトのレクイエム、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲、ブラームスのドイツ・レクイエム等は、キリスト教の宗教音楽でありながら、彼らによる世俗的な作品と同様に、今日世界各地で頻繁に演奏され、鑑賞されている。
 クラシック音楽と総称される近代西洋音楽は、合理的な音楽理論を発達させた。その理論が、19世紀以降に世界各地発達した音楽、すなわちジャズ、リズム・アンド・ブルース、ロック、ポップス、テクノ・ミュージック、歌謡曲等のもとになっている。現代社会は、あらゆる音楽にあふれているが、この音楽の豊穣の源泉には、キリスト教の教会音楽があると言えよう。

 次回に続く。
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