ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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宗教6~社会を統合する力

2018-03-07 08:52:20 | 心と宗教
●社会を統合する力

 宗教は、多くの社会的機能を持つ。特に重要なのは、社会を統合する力である。宗教は、その力を発揮することで、共同体の精神的な中核となってきた。
 氏族的・部族的な社会で執行されていた祭儀は、共同体を挙げて行うものであり、政治・軍事の指導者である首長が中心となって執り行った。そうした社会において、神話的信仰に基づく原初的な宗教は、集団生活の再重要部分を構成していた。
 氏族的・部族的な社会が発展すると、氏族・部族の連合に基づく国家が形成された。そして、氏族・部族より大きな規模の集団として民族が形成されていった。国家は、政治・軍事・祭儀の共同体であり、国家の首長である王が中心となって祭儀を執り行った。そうした王を祭祀王という。諸氏族・諸部族の神話が編集された民族的な神話が生み出された。
 神話は、象徴的な思考に基づく物語である。その象徴的な思考から、概念的思考が発生した。そして、原初的な宗教が発展して、首長のもとに祭儀を司る専門職が置かれ、儀式や慣習が制度化された。そこに発達した民族宗教は、その民族の国家を統合するものであり、国家の精神的な中核となっていたと考えられる。
 ある国家が周辺の国家や氏族・部族を征服・支配して勢力を拡大する過程で、支配集団の宗教が被支配集団に強制されることが、しばしば起った。被支配集団の神殿・祭壇・聖地等が破壊されたり、祭祀王・シャーマン・神官・僧侶等が殺害されたりして、集団固有の宗教が奪われる。逆に、被支配民族が高度な宗教を発達させていた場合には、その宗教が支配民族に浸透し、これに帰依せしめることもしばしば起こった。
 一定の地域で諸民族・諸国家が興亡盛衰を繰り返しながらも、他の地域とは異なる文化を維持・継承している場合、その社会は文明と呼ぶべき社会である。文明とは、ある程度高度に発達した文化を持つ社会であり、時間的・空間的に複数の国家を一つの単位としてとらえるものである。
 軍事的には優れているが文化的には劣っている民族は、征服・支配した社会の文化を摂取し、それに同化していくことが多い。それによって支配民族は替わっても、文化が継承されることで文明が持続した。シナ文明の場合は、遊牧民族の侵入により、支配民族の交替が頻繁に起こったが、漢字や儒教等の文化を保持する文明として持続した。
 文明が保持する文化の中核には、宗教がある。軍事的な征服や政治的な支配によって勢力を拡大した国家においても、支配集団は、単なる力による支配のみでは、社会の秩序を維持していくことが困難である。そこに異なる文化を含む社会を統合し、支配―被支配関係を孕む集団に規範を与えるものとしての宗教の重要性がある。
 古代のメソポタミア文明、エジプト文明、エーゲ文明、ペルシャ文明、ギリシャ=ローマ文明等では、主に支配集団が信奉し、制度的に発達した多神教が存在したと見られる。インド、シナ、日本では、それぞれの原初的な宗教から高度宗教が発達し、今日まで続いている。すなわち、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道である。これらは、高度に発達した多神教であり、それぞれの地域で発生・発達した文明の宗教的中核となっている。そうした文明が、インド文明、シナ文明、日本文明である。これらの文明は、古代から存続する文明であり、現代世界においても主要文明に数えられる。また、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道は、現代まで続く民族宗教となっている。そして、それらの宗教は、その社会を統合する力として働いている。このことは、直接宗教による政治が行われていることを意味しない。その社会の伝統となって、家族・地域・国家を精神的に統合し、さらに諸国家に広がる広域的な社会を文化的に統合する力として働いているということである。同じことは、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教等においても言うことができる。

 次回に続く。