ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権144~アンソニー・スミスのナショナリズム論

2015-04-19 06:52:25 | 人権
●スミスは、エスニックな核が必要と説く

 ゲルナーとアンダーソンは、ともに国民が形成された要因を、近代化に見た。彼らは、ナショナリズムを純粋に近代的な現象であると考え、近代以前の共同社会とネイションの間には明確な違いが存在すると主張した。他の代表的な論者の多くも、類似の主張をしている。こうした立場を、ナショナリズム論における近代主義という。
 これに対し、ナショナリズムは、原始時代からあると説く論者もおり、その立場を原初主義という。原初主義は、歴史の始めから現代まで世界に広く見られるエスニシズムと、近代的な現象であるナショナリズムの区別ができておらず、エスニックなものをナショナリズムの用語で語るために、議論が混乱している。
 私は、原初主義的なナショナリズム論に対しては、エスニシズムとナショナリズムを区別すべきと比較論を提示する。一方、近代主義的なナショナリズム論に対しては、前近代的なエスニシズムからの連続性を指摘し、ナショナリズムにおける近代性と前近代からの連続性を総合的にとらえるべきと考える。そして、このような観点から、ナショナリズムの近代性を説くだけでなく、ネイションの形成にはエスニックな核が必要だとするアンソニー・スミスの理論を高く評価する。
 スミスは、ゲルナーやアンダーソンらの近代主義的なナショナリズム論を批判し、ネイションの形成における伝統文化の役割を強調した。スミスは、著書『ネイションとエスニシティ』(1986年)で、近代のネイションの背景となっているエスニック・グループをエスニーと名づけて、ネイションと区別した。エスニーは、近代的なネイションが形成される過程で、そのネイションのもとになった集団である。ネイションは、一つのエスニーが周辺のエスニーを包摂することによって成立したものであり、近代以前からのエスニーの伝統を引き継いでいる。近代において国民形成が可能になったのは、エスニーに継承されてきた民族にまつわる象徴体系があったからだ、とスミスは主張する。近代化によって、商業や交易の方法の変化、行政・戦争・国家間関係の性格の変化、世俗的な知識階級・大衆文化・大衆教育の登場等が起こった。それによって、人間の集合的な単位や感情に重大な変化がもたらされたことをスミスも認める。だが、そうした変化は近代以前の社会的枠組みの中で起こったのであり、既存の枠組みが近代の新しい枠組みへの変動を条件づけた。民族の起源にまつわる神話や記憶、象徴等からなる「神話―象徴複合体」が、ネイションの近代性を制約したのだ、とスミスは主張する。ネイションの形成には、エスニックな核が必要だという主張である。
 私は、スミスの見解に基本的に賛同する。例えば、近代主義のゲルナーやアンダーソンは、ネイション形成における言語の重要性を説くが、人々が共通して身につけるようになった言語は、無から創造されたものではない。近代以前から受け継がれてきたエスニックな自然言語を、固有の語法に則って標準語化したものである。その言語には、出版資本主義や産業化以前から蓄積されてきたエスニックな文化が蓄積されている。また、個々のネイションの形成は、人類や民族の起源にまつわる物語が、もともと人々の間で共有されていたから可能になったものであり、全く歴史的な根を持たない思想は、人々に容易に受け入れられない。他にも、様々な理由を挙げることができる。そこに表れる思想・運動がエスニシズムであり、ナショナリズムはエスニシズムの特殊近代的な形態である。ナショナリズムには、近代性と近代以前からの連続性という二つの側面がある。その点を踏まえて、ナショナリズムを把握し、人権とナショナリズムの関係を考察する必要がある。

 次回に続く。

■本稿は、拙稿「人権ーーその起源と目標」の一部です。ナショナリズムに関する項目は、下記に掲載しています。第6章(2)を中心にお読みください。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm