ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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現代の眺望と人類の課題91

2009-01-04 10:15:11 | 歴史
●レーガンは自由主義者のようで究極的ケインズ主義者?

 カーター政権の時代、毎年の財政赤字は、402億ドルから789億ドルに膨らんだ。レーガンは、選挙戦で1983年(昭和58年)までに予算を均衡させると公言した。しかし、82年度には1279億ドルという記録的な財政赤字となり、83年度には2889億ドルに急増した。その後も、2000億ドル前後の赤字が毎年続いた。
 レーガンは自由主義的な経済政策を行い、イギリスのマーガレット・サッチャーが断行した保守主義革命に似た改革をアメリカで推進したと、大方に理解されている。そして、課税及び「大きな政府」の反対者として評価されている。しかし、税金については、最初に減税は行ったものの、ガソリン税、社会保障税を増額し、またアメリカ史上最大の単一税増税も行った。また行政部門の官僚は約10万人増員され、政府はむしろ「大きな政府」になった。
 こうしたレーガンの経済政策に対し、経済の専門家たちから、レーガンは「ケインズ学説信奉者」になったという批判が上がった。84年(59年)、著書「ゼロサム社会」等で知られる経済学者レスター・サローは、レーガンを「究極的ケインズ学説論者」と呼び、「もしケインズ学派の進歩的な民主党大統領が2000億ドルもの赤字を作れば、保守主義者たちが何と言うか、考えても見よ」と、ニューズウイーク誌に書いたほどである。
 プラザ合意とは、こうした財政赤字、ドルの価値低落を、日本及び西欧諸国の協力によって改善しようとしたものだった。とりわけわが国は、その経済力によってアメリカ経済を支えることになった。アメリカの軍事力と日本の経済力が合体して、ソ連・東欧の共産主義政権を倒壊させることができた。それは、大きな成果である。しかし、同時にそれは、アメリカの新たな経済的競争相手である日本を、アメリカの経済的支配下に組み込む、一石二鳥の荒業だったのである。
 このプラザ合意を取り仕切ったのは、財務長官ジェームズ・ベイカーであり、筋書きを書いたのは、ピーター・ピーターソンだといわれる。ともにCFRの会員である。

●反共主義者レーガンのちぐはぐな政策

 ところで、ソ連との軍拡に打ち勝って冷戦を終結させたことにより、レーガンと言えば、アメリカを代表する反共主義者というイメージが定着している。確かにそうなのだが、そのイメージとは相容れない奇妙な政策も行っている。
 カーター政権が台湾との関係を絶ったとき、レーガンは「親密な友人かつ同盟者に対する完全な裏切り」と非難した。しかし、自分が大統領になると、台湾との関係修復には努力しなかった。逆に中共政府との共同コミュニケで、台湾に武器輸出をする長期政策を実行しないことを発表し、大陸側に高度な航空軍事技術を売り込んだ。
 カーターは、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、ソ連への穀物輸出を禁止した。しかし、レーガンは、再びソ連への小麦販売を承認した。またレーガンは、アフガニスタンの反ソゲリラ組織ムジャヒディンに武器を提供していたが、ゴルバチョフとの交渉が進むと、ムジャヒディンへの支援を削減した。
 レーガンのこうしたちがはぐな政策は、頑固な理想主義のようでいて、現実主義的な政策である。イデオロギーより利益を優先した政策である。レーガンの後ろ盾にはロックフェラー家があると書いたが、こうした政策には、巨大国際金融資本の意思が反映しているのだろう。

 この点に関し、レーガン政権時代で注目したいことがある。ピーター・グレイスを委員長とする特別委員会の税金使途調査である。グレイス委員会は、税金の使途を調査し、個人の連邦所得税は全額、連銀への利子の支払いに当てられていることを明らかにした。委員会の調査結果が発表されると、連銀は毎年印刷する紙幣量の公表を取りやめた。レーガンは、それ以上問題解明を続けようとは、しなかった。その後もアメリカでは、どれだけの金額を国が連銀から借り、それにどれだけの利子がつくのか、わかっていない。
 レーガンの反共反ソ路線は、ネオコンと呼ばれる新保守主義者を生んだ。ネオコンの源流は、反スターリン主義的なユダヤ系の左翼知識人である。彼らの一部が第二次世界大戦後、民主党に入党し、最左派グループとなった。彼らは、レーガン大統領がソ連に対抗して軍拡を進め、共産主義を力で克服しようとしたことに共感し、共和党に移った。反スターリン主義が反共産主義に徹底された。ネオコンは、やがてブッシュ子政権において、政権中枢に躍り出ることになる。

 次回に続く。

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