ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「北」の核の脅威に備えるべき時

2006-10-10 12:27:40 | 国際関係
 昨日、北朝鮮は地下核実験を行なったという発表をした。私はテレビの報道番組をいくつか見た。その中で街頭インタビューによる国民の声に、私は関心を持った。
 午後1時台のNHK、夜の民放の番組を見たのだが、マイクを向けられた多くの人たちが、「断じて許せない」「強い怒りを感じる」「約束を守らず勝手なことをしては困る」「何をするかわからない怖い国だ」等と言う。
 普段、この種の街頭インタビューでは、あいまいな言い回しで、感想とも自問自答とも相手に同意を求めているともつかないような答え方をする人が多い。アメリカ、フランス、韓国等の国民が自分の意見を明確に述べるのとは、顕著に異なる傾向がある。
 ところが、今回の北朝鮮核実験のインタビューは、違った。どの人も、はっきりした意見を述べる。私は、日本国民の意識が変わってきている表れではないかと思い、今後に期待を持った。

●憲法第9条を「世界遺産」に?

 『憲法九条を世界遺産に』という本がベストセラーになっている。お笑い芸人の太田光と宗教学者・中沢新一の共著である。
 「世界遺産に」とは奇抜な意見だが、こういう本が売れるのは、憲法第9条に深い幻想を抱いている日本人がまだまだ多いのだろう。そういう人々は、今回の北朝鮮の核実験を、どのように感じているのだろうか。

 第9条の本質は、日本国民自らが願った平和条項ではなく、勝者・米国によって押し付けられた主権制限条項であることにある。
 連合国は、日本が一方的に戦争を引き起こした国であり、日本を国際的な支配下に置くことが、平和を築く条件だと考えた。第9条は、日本が戦勝国による平和の障害とならないようにするための条項だった。その狙いは、日本・ドイツを敵国とした国連憲章第107条の敵国条項と同じものである。わが国は、国際連合に加盟しながら、その国連にとっての敵国という矛盾した地位に置かれてきた。国際連合という言葉は、連合国を言い換えたもので、欺瞞的な訳語である。

●「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できるか

 第9条は、憲法前文と一体のものである。前文には、日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されている。
 ここにおける「諸国民」とは、実質的には連合国である。当時未だ独立していないアジア諸国は入っていない。つまり戦勝国である連合国の「公正と信義に信頼して」、アメリカやソ連等に「安全と生存」をゆだねたことを意味する。
 当時、わが国は降伏し、占領下にあった。憲法の制定公布のときには主権を制限されており、憲法に謳われている国民の主権以上の権力が、日本を実質的に統治していた。連合国軍である。その統治下に、日本国民は「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と記させられた。

 しかし、憲法公布のわずか4年後、北朝鮮の侵攻によって朝鮮戦争が勃発し、「平和を愛する諸国民」は激しく戦うことになった。憲法前文に盛られた「崇高な理想」は、世界を共産化しようとするイデオロギーと、諸国の国益の対立・抗争によって、空文化してしまった。そして、共産主義の脅威を知ったマッカーサーは、自らの手で、防共のために日本再軍備を進めたのだった。
 第9条を固守しようという人たちは、こうした歴史的現実を見ようとしていない。人間は、一度思い込んだ観念を改めるには、よほど強い衝撃が必要である。まして、旧ソ連・北朝鮮の対日工作によって、組織的に第9条への幻想を植え付けられてきた人々は、一種の洗脳を受けたような心理状態になっている。
 「13歳の少女をも含む日本人を拉致した北朝鮮は、『平和を愛する諸国民』に入りますか」と聞かれても、「第9条を守って、話し合いで解決すべきだ」と言う人がまだまだいる。
 今回の北朝鮮の核実験は、こういう人々の心理をも揺さぶるマグニチュードを持つものだったかどうか、今後の世論の動向を観察していきたいと思う。

●現実の脅威に備えよ

 北朝鮮については、まだ核兵器を開発し終えたのか、製造までしているのか、小型化して日本までミサイルで飛ばす技術があるのかどうか、というレベルの話だが、中国はとうの昔に核兵器を大量に製造している。日本に向けて、少なくとも300発の核弾頭ミサイルを配備していると見られる。ボタン一つで自動的に日本全国の主要都市を壊滅できる破壊力を保有している。
 北朝鮮ばかり話題になるが、中国の脅威は、はるかに大きい。日中に紛争を生じた場合は、核攻撃を受けることを覚悟して、対応を急がねばならない。

 敗戦後、わが国では、長く永世中立国だったスイスが一つの理想のように言われてきた。スイスは2002年に国連に加盟した。一貫して武装中立で国民皆兵、国防を国民の義務としている。若者も老人も、男性も女性も、侵略や災害などに対して備えを怠らない。平時から戦時に備えて2年分位の食糧・燃料等の必要物資を蓄えている。国民の95%を収容できる核シェルターをつくり、核戦争が勃発しても、国民が生き残れるようにしている。

●『民間防衛』を読むべし

 スイス政府は『民間防衛』という本を国民に配布している。本書は戦争のみならず自然災害などあらゆる危険に備えるためのサバイバル教本となっている。日本国民の必読書と言ってよい。
 本書には、核兵器で攻撃された場合に関しても、具体的な対処が書かれている。国民はそれを共有の知識とし、また日常的に様々な訓練をしている。スイスのような国が核攻撃を受けることは極めて考えにくい。そういう国ですら、こうした備えをしている。それは、地球の国際社会は、世界規模の核戦争も起こりうる状態にあるからである。

 『民間防衛』は、国民に問うている。「われわれは生き抜くことを望むのかどうか。われわれの財産の基本たる自由と独立を守ることを望むのかどうか」と。
 「生き抜くことを望むのかどうか」という問いは重要だ。たとえ核兵器や毒ガスなどが使用された場合でも、首都や政府の機能が麻痺した場合でも、外国軍に占領される結果となった場合でも、どのような状況となっても、どこまでも生き抜こうという意志。それを、全国民に政府が求めている。
  
 北朝鮮の地下核実験発表は、東アジアに一段と厳しい状況を生み出した。日本人は、平和ボケ、保護ボケから正気に返り、現実的な脅威に備えるべき時にある。

参考資料
・国防に関しては、以下の拙稿をご参照下さい。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08.htm
06「国防は自然権であり堤防のようなもの」
07「国防を考えるなら憲法改正は必須」
08「スイスに学ぶ平和国家のあり方」
09「三島由紀夫の『文化防衛論』を評す」
10「『フランス敗れたり』に学ぶ~中国から日本を守るために」