仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

『遠野物語』の狼譚

2010-01-18 04:08:32 | 生きる犬韜
16日(土)で『古代文学』の論文を脱稿し、続いて30日〆切を厳命されている『上代文学』の論文にとりかかった(研究棟の1階下に委員の方がいらっしゃるので、始終プレッシャーをかけられている…?)。ま、報告レジュメの段階である程度仕上がってはいるので、無駄な部分を削除し、未完成の部分を補足し、全体を繋げて文章化すればよい。卒論の口頭試問や期末の採点もあるので多少は遅れるかも知れないが、何とか間に合うだろう。17日(日)は授業準備に明け暮れたが、先ほどf-MAKI氏から、一昨年早稲田で行った僧伝シンポの論集の原稿依頼が届いた。〆切は4月末日になった。3月末は苦しいよと泣きついたのだが、25日には御柱シンポがあるので情況はほとんど変わらない。どこかで時間を作って早めに書き進めよう。…と書いたところで、御柱の報告要旨が今月末までだったのを思い出した。何も考えていない。こちらもどうにかしなければ。

しかし、筆の速い人は本当に続々と本を出す。畏敬する三浦佑之さんもそのおひとりだが、新年早々左の新刊『遠野物語へようこそ』を送っていただいた。こうしてカバーをよくみると、遠野からの手紙という体裁になっているんですね。洒落ている。そのものズバリ、『遠野物語』のよき入門書で、まるで旅行のガイドブックのような趣である。巻末には「遠野への行き方」も付いている。高校生にも分かる内容となっているが、彼らがこの本を手に遠野を散策している姿を想像するのは楽しい。
授業準備の傍ら繙いてみたが、やはり動物を講じている関係上、オオカミの記述に興味を惹かれた。飯豊村の人間に子供を殺された狼が村を襲うようになったため、村人たちは狼狩りを行うが、そこで力自慢の若い衆「鉄」と雌狼との死闘が繰り広げられる。講義でも話したのだが、この物語で注意したいのは、まず鉄が雌狼を撃退する方法である。なんと、衣で刳るんだ腕を狼の口のなかに突っ込んでしまう。こうした撃退法は文書によく出てくるのだが、ここで想起されるのが、『MASTERキートン』4巻収録の「長く暑い日」というエピソードだ。主人公のキートンが追ってくる軍用犬を退治するため、犬を川へ誘い込んでから布で保護した腕をわざと噛ませ、口のなかへ手を突っ込んで舌を掴んでしまう。こうすると犬は口を外すことができなくなるので、そのまま水のなかへ浸けて窒息させてしまうというわけだ。浦沢直樹がどのようにあの物語を作ったのか、もしかするとどこぞの軍のサバイバル教本にあるのかも知れないが、狼に対する民俗的知識と共通しているのが面白い。それからもうひとつ注目したいのが、狼の巣穴がある場所が「萱山」と表記されていること。先日の立教シンポでも話が出たが、中世後期の物語世界で動物たちが活躍し始めるのは、小峯和明さんの指摘どおりいわゆる「大開発時代」と関わりがある。近世には草肥確保のため、農村周辺の里山はほとんど草山・芝山となり高木はほとんどなくなってしまう。元禄年間頃から狼と人間との争闘を語る資料が増えてくることは柳田国男が臭わせているが、その背景には、彼らの住処を喪失させてゆく稲作中心主義の環境改変があるに相違ない。その意味でこの『遠野物語』の狼譚は、争闘の契機に萱山の問題が出てくる点、非常に興味深いのである。また、狼害の記録を探していて気付いたのだが、狼の被害の残酷さを伝える物語的な資料には、どうも襲われる子供の年齢を「七歳」「十三歳」と表記しているものが多いように思う。まだちゃんと統計をとったわけではないので不正確だが、ヨーロッパと同様に作為的なものを感じる。
狼は、狩猟採集社会と稲作中心主義との関係を考えるうえで重要な対象である。彼らが絶滅に追い込まれてゆく過程と、「負債」の観念が希薄化してゆく過程とは必ずリンクしている。まだ文章を書ける段階ではないが、今後もいろいろ調べてゆきたい。
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