仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

環境/文化研究会(仮)10月例会:亀をめぐる心性

2006-11-04 20:30:02 | ※ 環境/文化研究会 (仮)
31日(火)は環境/文化研究会(仮)の10月例会。学園祭前日、準備と前夜祭で騒然とするJ大学(この仮称、もはや意味はないですねえ)で行われました。報告は民俗学の藤井弘章さん。藤井さんとは10年近く前、ケガレ研究会の夏期合宿で知り合いました。当時は、「おお、マンボウやウミガメの民俗なんて研究しているひとがいるのか」と驚愕したものです。その後、『環境と心性の文化史』へも執筆をお願いし、國學院へ来られてから何年ぶりかで再会。環境/文化研自体の発足にも、藤井さんとの繋がりが大きな要因となっています。卜占の研究を通じ、ぼくの意識が亀に向きだしてからは、藤井さんのお仕事をより身近に感じるようになりました。他の参加者は、石津輝真・市田雅崇・亀谷弘明・榊佳子・土居浩・東城義則・中村生雄・三品泰子の各氏、またはるばる関西から牧野厚史さんにもご出席いただきました。

さて、藤井さんのご報告は、「ウミガメ供養習俗の発生と伝播と地域差?動物供養の一類型?」。研究史を整理された後、列島全域にわたる丹念な調査結果をもとに、ウミガメの生態的動向と習俗分布との関係を地域別に追究されました。そこからあぶり出されてきたのは、東北・日本海側、関東・東海、紀伊半島、瀬戸内・豊後水道、南九州など、それぞれの地域で固有の成立過程と多様な性格があること、現状の習俗が近現代(古くても18世紀)の特別な事情に発生の契機を持っており、古代以来の〈伝統〉へは安易に遡及できないことなど。網羅的なデータによって初めて明らかになる点も多く、「論をこう持ってゆきたい」という研究者的欲望には極めてストイックで、いろいろ目を開かされる思いがしました。
質疑応答についてはよしのぼり君のブログで詳しく触れられていますが、他の海洋動物習俗との関連性、供養の方法やその霊魂観などに議論が集中しました。中村さんが指摘されたクジラやジュゴンをめぐる習俗との関係、どのような動物信仰と繋がっているかによって、亀をめぐる表象が相違するということは重要な論点でしょう(これぞ構造民俗学って感じですね)。土居さんが注目されたように、東北などにみられる〈剥製として祀る〉という方法は、形態保存の欲望を駆り立てる亀に独特のものかも知れません。浦島伝承との関わりについての牧野さんの質問に対する藤井さんの回答、「近代の教科書的知識として浦島の昔話が普及したことが問題では」も面白かったですね。
個人的には、豊漁を祈願して遺体を海に帰す〈送り〉と仏教的な〈供養〉との区別、多様性を築きあげてゆく具体的過程、あるものならばそのシステムについて関心が湧きました(monodoiさんのブログに関連記事あり)。また、6月例会以降問題になっている動物/植物の境界という観点からすれば、亀自体が仏として信仰されている可能性(〈亀地蔵〉が亀を地蔵化したものかどうかは不明ですが、菩薩化した事例は確実にあるようです)。樹木の場合は神霊として祀られる事例、修行者の実践を通して仏像として顕現する事例はありますが、樹木そのものが仏化されるケースはないように思います(動物/植物の問題というより、やはり亀固有の問題かも知れませんが)。また、例会では言い忘れましたが、「霊亀」という呼び方の多さには、やはり元号も含めた古代的な知識、「玉霊」などと呼称する亀卜の影響が現れているようにも感じられます。これも伝統的知識の広がりというより、国学以降の問題を考えた方がいいかも知れません。

写真は、9月にいった薬師温泉でみた藍の亀文様(丸に一ツ亀?)。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 墓と戯れる女:その名は… | TOP | 伴大納言絵巻展:「…してみま... »
最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | ※ 環境/文化研究会 (仮)