仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

続東北逍遥?:秋田「日帰り」

2008-07-13 12:03:51 | 生きる犬韜
7/11(金)は「みなし火曜日」。ゼミの卒論指導を終えてから急いで研究室へとって返し、大澤先生と談笑中のSさんを発見。彼女は二つ下の後輩だが、日本古代史のプレゼミをとっていながらゼミでは東洋史を選択、一部に大きな波紋を呼んだ経歴の持ち主。首席で卒業した優秀な学生で(初めて会ったのは学術奨励賞の授賞式だったか?)、それだけに「ウチのゼミにほしい」と思う教員が多かったのだろう。しばらく会っていなかったが、年賀状等のやりとりは続いており、東洋史の飲み会のために上智に来るというので、その前にちょっと話をしようかということになったのだ。現在は高校で歴史の教師をしているが、なかなかに貫禄たっぷりであった。きっと学校では厳しい先生なのだろう?

Sさんと別れてから、今度は急いで荷物をまとめて東京駅へ。昨年亡くなった義母の納骨のため、8時過ぎの最終のこまちで秋田へ向かわなければならないのである。駅弁を買い込んでからぎりぎりで乗り込むと、今回の『トランヴェール』は東北妖怪特集。遠野の河童淵が表紙で、監修は小松和彦、水木しげるなども書いている。ふと、昨年のゼミ旅行を思い出した。遠野周辺は、またゆっくり歩いてみたいところである。
hTcZで講義の質問への回答を打ち込んだり、読書をしながら過ごしていると、仙台を過ぎたあたりから何だか雲行きが怪しくなってきた。雷が頻繁にひらめき、雨も酷く降っているようすである。「これはもしや...」と心配していると、案の定、盛岡の手前で車内アナウンスが流された。どうやら、田沢湖線が冠水していて新幹線の運転ができないらしい。ぼくの乗ったこまちも雫石でストップ、1時間待たされた末に、バスへ乗り換えて秋田駅へ向かうこととなった。雫石を出発したのが0時半過ぎ、深夜のこのあたりは真っ暗闇で景色は何もみえず、頻繁にやってくるカーブとトンネルで山道なのだということくらいしか分からない。満員状態だったのでさほど眠れず、ようやく2時半過ぎに秋田駅へ到着。妻の実家へ着いたのは3時ちょっと前だった。うーむ、どうやら秋田の地に歓迎されていないらしい。いや、それでも辿り着けたのだから歓迎されていると考えるべきか。占いなどだと、このあたりの解釈の仕方が未来のありようを決めてゆくことになる。プラスに受けとめておいた方が、よい結果を導き出せるだろう。

翌日は午前中に能代へ移動し、お昼過ぎに風の松原の本澄寺へうかがって納骨を済ませた。風の松原は海辺にあるものすごい数の松林で、景観も清々しいことこのうえなく、木々の間・苔むした地面のうえを吹き渡ってくる風は心地よい。それを抜けたところに立派なお寺の建ち並ぶ寺町、広大な墓地があり、なかなかに風情がある。この地域の墓は、地下にカロートが掘られているのではなく、地上にタンク状に作り、そのうえに墓石を建てる構造となっている。納骨も関東のように骨壺を直接納める形式ではなく、参列者が少しずつ抓んでカロート内へ入れてゆき、最後にはすべてを注ぎ込む。つまり、先祖代々のお骨と完全に混ぜてしまう形である。ぼくの慣れ親しんだ関東のそれより、かなり生々しい。せっかく落ち着いた気持ちがまた波立ってしまう部分もあり、(義母の場合、事情があって1年近くが経過してしまったのだが)本来は早めに終えるべき行事だったのだなと強く感じた。

夕方には能代の地を後にし、秋田を経由して東京へ。義理の弟(義妹の夫)であるM君との旅だったが、彼もかなり疲れている様子。日曜日にも仕事があるらしい。ストレス発散の気持ちもあってゴルフを始めようとしているようだが、秋田の義父もゴルフをやる。ふたりでできるのが嬉しいとのこと、ぜひ親孝行してほしい。往路の車内でし残した仕事を片付けようとしたが、疲れでうとうとして進まなかった。0時半にはなんとか自宅へ到着、結果的に日帰りの旅となった。
月曜は日本史概説と首都大OUのダブルヘッダー、準備をがんばらねば。
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