仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

まだ年は越せない

2010-12-22 23:48:02 | 生きる犬韜
18日(土)、古事記学会での報告が終わった。一応、今年度最後の研究発表である。
今年は実にシンポジウム5回、講演もしくは研究報告を5回、論文を12本書いた。異常なペースで、こんなことはもう2度とない(やらない)だろうが、確かに消耗もしたけれども充実もしていた。幾つかの素晴らしい出会いがあったし、自分のやってきたこと、やろうとしていることに一定の評価が得られたのも大きい。20~30代前半までは、シンポなどで報告を行っても批判されたり非難されたり、生産的な議論にならないことが多く、その分心身ともに疲弊したものだった。そういうことがなくなっただけでも、心情的には極めて〈楽〉に、そしてあまりぶれのない状態で、目的とする方向へ歩んでゆけるというものだ。

さて、古事記学会へは今まで一度も伺ったことがなく、ぼく自身、独自の見識を持ちうるほどに『古事記』を勉強していないので、これはかなりの酷評を受けるに違いなかろうと覚悟していた。しかし、蓋を開けてみると、ご依頼をいただいた工藤浩さん、いつもお世話になっている三浦佑之さん、密かに畏怖の念を抱いている呉哲男さんらに大変な評価をいただき、かえって恐縮してしまった。工藤さんからは亀卜の問題について、三浦さんからはオシラサマの起源譚の考察について、呉さんからは王権・国家以前の情況についてより深く考察するよう、それぞれ宿題をいただいた。二次会は、早稲田の高松寿夫さんに高田馬場のショット・バーへ連れていっていただき、三浦さんや呉さんと遅くまで意見交換をすることができた。呉さんの希有な人生経験についてもお話を伺い、たくさんの「プレゼント」をいただいて帰宅した。これから、借りをお返ししてゆかねばならない。
まずはこの神話と環境に関する話、某社から単行本となって出る予定だが、ホットなうちに書いてしまった方がよいだろう。ドメスティケーションの起源を語る神話・伝説の探索、江戸期山人言説の集積と将来漢籍との比較などから、厳密を期してゆくことにしようか。とにかく最近は、地域も列島から、時代も古代から離れて考えることが多い。自分の掲げるテーマを追究してゆくことが、「日本古代史」という枠組みのなかでは、明らかに難しくなってきたのだ。

20(月)~22日(水)は、通常の校務を粛々と進めた。まず日・月を使って、輪講「環境と人間」小テストの採点。ひとつひとつコメントを書き込んだので、案外時間がかかってしまった。原典講読の終了後は、4年生との面談。ゼミのYさんとは、内定企業から、「自分の倫理観や責任感について、知人の社会人へインタビューして100点満点で採点してもらえ」との(ものすごい)課題が出ているとのことで、結局3時間ほど話をした。まあ後半は世間話や身の上話になっていたのだが、彼らの入学時から、プレゼミ、ゼミ、卒論に至るまでの過程をさまざまに思い出した。Yさんは、1年生の頃はかなりとんがっている印象があったのだが、2年生でのプレゼミ指導等を経て、かなりナイーヴな感性の持ち主なのだなと印象が変わってきた。しかし、入学時から持ち続けた仏教美術への関心を、しっかりと卒論へ昇華させる芯の強さ、頑固さも持ち合わせている。ぼくらは大学という限定された場でしか、まさに教員/学生という関係のなかでしか彼らを捉えることができないが、それでも4年間みていると、その人となりがある程度は分かってくる。最初は怖がっていた学生たちも、そのうち気軽に声をかけてくれるようになる。しかし、もうその頃には卒業ということになり、卒業生の大半は、その後ほとんど研究室に顔をみせることはない。元気でやってくれていれば、それでいいのだが…。それにしても、卒論作成の作業は、本当にその人の人間性が表れてくる。必要以上の慎重さや緻密なデータ整理、それとは対照的なひらめき・思いつきの重視、自宅や図書館にこもって徹底的に自己を追い詰めるタイプ、頻繁に研究室を訪れて相談をし、その会話のなかで何かを掴んでゆくタイプ。学生たちは、就職活動と卒論執筆を経験すると確実に成長する。逆にいうと、いい加減に終えてしまったのではまったく伸びない。彼らが困難を克服してゆく様子を眺めているのは、心配ではあるもののそれなりの喜びがある。
水曜は、初年次教育検討小委員会や学科会議、修論演習の合間に、1年生プレゼミ希望者Sさんの面接を行った。彼女は自主ゼミのリーダー的存在でもあり、Sophia History Clubを仲間たちと立ち上げた強者である。歴史への関心もマイナーな方向へ向いており、歴史学自体を踏み外してゆきそうなので、大きく期待しているところだ。この日の夜は、修士1年生の打ち上げに付き合った。大学院にもなると、自分のゼミに出ている以外の院生たちと交流する機会はあまりないが、個性豊かな面々と話をすることができた。自宅最寄駅の武蔵境周辺について、スピリチュアルな情報も得たので、今度調べてみたい。

ということで、ようやく冬休みに入りはしたが、23日(木)にはまだ授業があって、生涯学習の講義のため横浜へゆかねばならない。今年中に脱稿せねばならない原稿、休み明けに出さねばならない論文も山積している。そして1月は、卒論・修論の採点をしているうち、あっという間に学期は終了してしまい、激動の入試シーズンに突入してゆく。今年度は、1~3月のシンポや講演の予定はないものの、書き下ろし単行本の原稿をできるだけ早くに仕上げねばならない。とにかく、もうしばらくがんばってゆこう。

※ 写真は、兵法の論文を載せていただいた『藤氏家伝を読む』。ようやく刊行となりました。分野として括るのが難しい(いうなれば政治文化史か)、新しい領域へ踏み出した論文でもあるので、けっこう気に入っています。世の中の評価はどうか分かりませんが…。
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2 Comments

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Unknown (Y)
2010-12-26 01:42:15
課題にご協力いただいてありがとうございました。
想像以上に良い評価をいただけて、とてもうれしかったです。
とんがっていたころの自分を思い出して、あのころくらい強気で向う見ずに生きてもいいのかなと思いました。

卒論にしてもそうですが、毎回先生とのお話でたくさん得ることがあって、自分でも思ってもいなかったことを発見することがよくあります。
先生との対談(?)はすごく刺激的で、帰り道はよく先生と話したことを反芻していろんなことに思いを巡らせています。
物事を考えるきっかけを与えてくれる先生を私はすごく尊敬していますし(たぶん信じてもらえませんが)感謝しています。
学生として過ごせる時間は残り少ないですが、これからもたくさん先生から学びたいと思います。
長くなってしまいましたが、これからもよろしくお願いします。
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恐れ多いことです (ほうじょう)
2010-12-26 07:41:58
Yさん、コメントありがとうございます。

嬉しいですね。しかし、ぼくに学べることがあるとしたら、他山の石としてでしょう。Yさんがいちばん嫌いだという嘘もけっこうつきますし、あまり尊敬できるところはありません。反面教師として、自分を磨く材料にしてください。

それにしてももう卒業。4月からは理不尽に感じることも多いでしょうし、キリキリ胃が痛む日も続くかも知れません。心のどこかに不真面目な部分を持って、少し自分を甘やかすところもあった方が、いろいろ長続きしますよ。お互いがんばりましょう。
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