19日(日)、午前中に法事をひとつ勤めてから、東博「書の至宝」展を観てきました。体調を崩したりしていたのでなかなか時間がとれず、混雑を覚悟で最終日の入場となったわけです。「建物の外まで列が伸び、整理券を配っている」、などという前情報も聞いていたので不安でしたが、なんとか普通に(といっても混雑していて、落ち着いて眺めることはできませんでしたが)見学することができました。
それにしても、中国の書の歴史は凄いものです。以前、石川九楊『筆蝕の構造』などを手がかりに、〈書く〉という行為にはいかなる意味があるのか考えてみたことがあるのですが、人間の精神や思考、身体が、文字の出現とともにまったく異なったものに変容したのは確かです。〈書く〉行為を記録、〈書かれたもの〉を情報の保管と等価に扱ってしまうのは、いうまでもないことですが大きな間違いですね。〈説話の可能態〉に関する議論でも触れましたが、単純に〈書かれたもの〉の意味を読みとるだけでなく、書体や筆致からテクストの生成過程に至るまで、〈いかに書かれたのか〉という実践の面より多角的に考えてみる必要があるでしょう。原本が存在しない場合は、様々な抽象化と想定を繰り返さねばならない困難な作業ですが、そこにこそ、他者の心性に近付いてゆく醍醐味も存在します。ま、実際はいろいろな問題があって理想どおりにはいかないわけですが、だからこそこうした展示会は貴重な機会となります。
さて、実際の展示は殷代の甲骨文や周代の青銅器銘文に始まり、篆書・隷書・草書・行書・楷書など様々な書法の展開、日本における受容とかなの発生へと続きます。甲骨文と青銅器銘文に、史官と卜官との関係をあらためて考え、王陽明の闊達な行書に息を呑み、藤原行成の優美さに和み、池大雅の迫力に圧倒され……とにかく満腹状態でした。上記の問題意識からいうと、もう少し〈書く〉情況や環境が分かるようにしてくれた方が、私のような歴史学的関心を持つ人間には面白かったと思いますね。以前、稲本さんがブログで書かれていましたが、やはり現在の博物館展示の主流は〈鑑賞〉であり、歴史的コンテクストを剥奪された作品は〈標本〉に過ぎない気がします。
ところで、天武天皇15年(686)の国宝「金剛場陀羅尼経」。卒論などで扱って以来、実物を初めてみましたよ。最古の知識経ですが、やはりかなり完成度の高い筆致ですね。教化僧宝林とはいかなる人物であったか、想像が膨らみます(「教化僧」と冠してしまうところが中国っぽい)。隣には「法華義疏」があり黒山の人だかりができていましたが、それもそのはず、「聖徳太子筆」と堂々と掲示してありました。法隆寺献納宝物を管理する東博としては、やっぱり「伝」とは書けないんでしょうかね。
それにしても、中国の書の歴史は凄いものです。以前、石川九楊『筆蝕の構造』などを手がかりに、〈書く〉という行為にはいかなる意味があるのか考えてみたことがあるのですが、人間の精神や思考、身体が、文字の出現とともにまったく異なったものに変容したのは確かです。〈書く〉行為を記録、〈書かれたもの〉を情報の保管と等価に扱ってしまうのは、いうまでもないことですが大きな間違いですね。〈説話の可能態〉に関する議論でも触れましたが、単純に〈書かれたもの〉の意味を読みとるだけでなく、書体や筆致からテクストの生成過程に至るまで、〈いかに書かれたのか〉という実践の面より多角的に考えてみる必要があるでしょう。原本が存在しない場合は、様々な抽象化と想定を繰り返さねばならない困難な作業ですが、そこにこそ、他者の心性に近付いてゆく醍醐味も存在します。ま、実際はいろいろな問題があって理想どおりにはいかないわけですが、だからこそこうした展示会は貴重な機会となります。
さて、実際の展示は殷代の甲骨文や周代の青銅器銘文に始まり、篆書・隷書・草書・行書・楷書など様々な書法の展開、日本における受容とかなの発生へと続きます。甲骨文と青銅器銘文に、史官と卜官との関係をあらためて考え、王陽明の闊達な行書に息を呑み、藤原行成の優美さに和み、池大雅の迫力に圧倒され……とにかく満腹状態でした。上記の問題意識からいうと、もう少し〈書く〉情況や環境が分かるようにしてくれた方が、私のような歴史学的関心を持つ人間には面白かったと思いますね。以前、稲本さんがブログで書かれていましたが、やはり現在の博物館展示の主流は〈鑑賞〉であり、歴史的コンテクストを剥奪された作品は〈標本〉に過ぎない気がします。
ところで、天武天皇15年(686)の国宝「金剛場陀羅尼経」。卒論などで扱って以来、実物を初めてみましたよ。最古の知識経ですが、やはりかなり完成度の高い筆致ですね。教化僧宝林とはいかなる人物であったか、想像が膨らみます(「教化僧」と冠してしまうところが中国っぽい)。隣には「法華義疏」があり黒山の人だかりができていましたが、それもそのはず、「聖徳太子筆」と堂々と掲示してありました。法隆寺献納宝物を管理する東博としては、やっぱり「伝」とは書けないんでしょうかね。
〈書く〉〈写す〉〈保管する〉情況がわかるようにすべきなのでしょうが、独法化以来、博物館・美術館の目指す方向は、逆のベクトルを向いているようです。
「伝」の問題もそうですが、「国宝」もやめてもらいたいと思ってはいるのですが、ギャラリーの意識が変わらなければ、どうしようもないのでしょうかね。
まずはみなくち君、図録に明記はされていなかったのですが、やはり上海博物館が主催者に名を列ね、「共同開催」とも謳っているので、上海へゆく可能性は高いと思います。
それからいなもとさん、仰るとおりですね。近年の大規模な展示では、ギャラリーのマナーも著しく悪くなっている気がします。しかし、一般的に「価値の高い」館蔵品の少ない教育博物館などの方が、結果的に展示を工夫している(せざるをえない?)というのは皮肉な話です。
そういえば、新宿ルノアールでやりましたね、寂しい研究会を。〈書く〉ことの研究はあれから進んでいますか?楽毅論なぞは。
楽毅論は思いつきで考えていたので放り出してますが、思えば、杜家立成雑書要略の方に捺されていた「積善藤家」印が、易経へ導いてくれたのかもしれないねえ。
しかし、そっちは本当に計画的な研究運びだね。