仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

最近のマンガ単行本

2010-12-25 11:39:25 | 書物の文韜
世の中はクリスマスである。ぼくには信仰上は関わりはないが、心情的には敬意を表しておきたい。

ところで、今年ももうすぐ終わりなので、このところ言及していなかったサブカルネタをまとめておこう。上に並べたのは最近買ったマンガ、雑誌の類である。マンガといえば某賞?に選ばれ、売り切れ続出の『進撃の巨人』が巷を騒がせているが、ぼくは何となく気に入らない。確かに1巻が出たときには、同人誌レベルの画力・構成力にもかかわらずなぜか読ませる不可思議な力量、いろいろな妄想を抱かせる展開に魅力を感じたのだが、最新の3巻では早くもその輝きが失せてきた。きっと、読む側の「妄想の幅」が狭められて、作者・編集者の想像力の限界がみえてきてしまったからだろう。実際にそうであるかどうかはともかく、そう思わせる流れになってしまってきたことが問題なのである。また、これだけ騒がれてみんなが読んでいると、へそ曲がりのぼくは、「そんなにいいマンガなのか?」と疑問を持ってしまう。その意味では不当な評価かも知れないが、1巻発売の頃から、何となく「過剰宣伝」の雰囲気はあった。それが年末の受賞に繋がっているので、どこかに『KAGEROU』的な胡散臭さを感じてしまうのだ。デザインや設定はすべて見覚えのあるものだし、画力的にも何ら魅力を覚えないので、新たに驚愕させるような展開が起きない限り、もはや購入はしないだろう。
その点、福島聡の新作『星屑ニーナ』は凄まじい。ネタバレになるのでストーリーについては書かないが、1巻でここまで濃密な物語を作ってしまって、この先どう展開させてゆくのだろう。「人間は死ぬがロボットは死なない」という時間的感覚の食い違いは、これまでにも何度か描かれてきたが、それを生命の問題、記憶の問題として、何十年、何百年にもわたって描ききろうというのだろうか。切ない。色の薄いインクでの印刷も、福島聡の画に合っていてよい。
山川直人の『澄江堂主人』も、いわゆる流行とは真逆の絵柄だが、1ページ1ページがイラストとしても成立しており、所有欲を大いにくすぐる出来となっている。物語は、芥川龍之介の晩年を、彼を漫画家に置き換えて描いたもの(前編はほとんど「歯車」のマンガ化といってよい)。その「置換」自体にいかなる意味があるのかは不明だし、好き嫌いも分かれるだろうが、読者の想像力をかきたてる力を持った記憶に残る作品である。
『京大M1物語』は、今まで手にしたことがなかったのだが、最近何となく買って読んでみた。物語と構成の緻密さは及ばないが、男性視点版『動物のお医者さん』といったところだろうか。京大が舞台なので、やや森見登美彦も入っている気がする。「動物民俗学」研究室の設定には疑問を感じなくはないが、大学院の雰囲気はよく出ているかも知れない。それにしても、この1巻は2007年に出ているのだが、その後3年の間続刊がなされていない。『四畳半神話大系』人気に便乗できそうなものだが、『もやしもん』なんかとバッティングして敗北したのだろうか。ちなみに、大学サークルものでは『げんしけん』などが人気だが、ぼくの学生時代は細野不二彦『あどりぶシネ倶楽部』がバイブルだった(文庫化されているようなので、映画好きの人はぜひ)。
最後の『幽』は、毎季楽しみにしている怪談専門誌。今回は「みちのく怪談」が特集で、赤坂憲雄さんも出ており興味深く読んだ。しかし最近、「怪異」を商品化している印象があまりに強くなってきて鼻につくのも確かだ。主力連載である「実話怪談」類も、加門七海や立原透耶のものには、時折気分が悪くなる表現がある。平山夢明も同じだが、彼は当初から「実話怪談はフィクションである」ことを標榜しているので、別に怒りは覚えない(作風が好きになれない、というだけである)。その点、小池壮彦、安曇潤平の書くものには、「分からないもの」への敬意が感じられ、落ち着いて読むことができる。どうか、安易なスピリチュアル・ブームに流されないようにしてほしい。
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