ずいぶん更新が滞ってしまった。
先月最後の記事が義母の亡くなった件だっただけに、関係各方面にご心配をおかけしたようである。書かなければいけないコトはそれなりに溜まっていて、書きかけのまま放置してある草稿(四谷会談など)もあるのだが、とりあえずは近況を報告しておこう。
秋田より戻った週からもう大妻の講義は始まり、慌ただしく後期(最近は「秋期」という)が始まった。上智の方は、授業開始は10月だが、各種会議が入り始め、9/23(日)にはカトリック校AO入試・海外就学経験者入試もあった。帰国生は語学は堪能だが、やはり歴史の知識に問題がある。カトリックAOの受験者はそれなりに優秀であった。面接の際に他の先生方と話をしていて想い出したのだが、いつだったか、学生たちと宗教紛争について話をしていたとき、「宗教間に衝突が起きるのは宗教が枝分かれするからであり、紛争を抑止するには単一の宗教であればよい」という意見が出てきたことがあった。以前、歴史認識の対立について問うレポートに、「国連が統一的歴史認識を裁定すればよい」と書いてきた受講生もいた。今回の受験生の何人かにも、やはり同じような印象を抱いた。責任ある多様性を目指そうというのに、どうも個として立つことに耐えられない若者が多いようで、安易に〈一つになること〉を求める傾向が見受けられる(ぼくは彼らを〈エヴァンゲリオン世代〉と呼んでいる)。画一的〈生産体制〉を改め個性を重視するようになった教育が、必ずしも成功していないのは確かである。個であることが伴うべき責任は失われ、根無し草になった子どもたちが繋がりを求めて怯えている。とりあえずの安心を与えてくれる共同性であれば飛びついてしまいそうになる、ちょっと危険な情況であるような気がしてならない。
9/28(金)~29(土)には、高尾の森わくわくビレッジにてゼミの卒論中間報告合宿があった。会場となった研修施設は、もとは高校の校舎であったということで、工作室や音楽室などもある。きれいなうえにバリアフリーも徹底されていたが、宿泊室は病院の個室のようで、なんとなく圧迫感があった。4年生の報告の方は極めてレベルが高く、危機感を持って、早めに準備を始めた努力がちゃんと実っているようだった。ここで油断しなければ、かなり完成度の高い論文が書けるだろう。ひと安心である。
9/30(日)の午前中は、妻と、金沢文庫の特別展「陰陽道×密教」の最終日に出かけた。ダキニ天の修法に関する集中的な展示で、かなりコアなものである。知らないことが多く大変に勉強になった。最近の興味との関係でいえば、柳にまつわる呪法があったこと。やはり男女の出会いに関わるもので、中国・朝鮮・日本を股にかけて展開する〈柳イメージ〉解明の新たな糸口を得た。早速、後期の特講で扱うことにしよう。
この日の午後は、あと数年で廃校になる出身高校の文化祭に参加。全世代の同窓会も動きだし、元生徒会の連中も集まるというので顔を出してきた。この高校の門をくぐったのは実に18年ぶりだったが、もはや知っている先生もなく、生徒たちにも別段シンパシーを感じなかった。高校生活を送ったのは確かにこの場所なのだが、不思議なことにあまり懐かしさを感じない。やはりぼくは、場所よりも人に対する共同意識が強いのかも知れない。解体される校舎にも、「これだけ老朽化していれば仕方ないか」といった程度の感慨しか湧かなかった。現役生には申し訳ないが、文化祭自体が魅力に乏しいものだったからかも知れない。
そんなこんなで、今週から上智の秋期授業も始まった。やるべきこと、夏期休暇中(休暇だったのか?)にやり残したことが山積しているので、とにかく気忙しい。学園祭を迎える頃には、少しは余裕ができているだろうか。温泉にでもいってリフレッシュしてきたいものである。
ちなみに先日、気晴らしに脳内メーカーとにゃんこメーカーを試してみた。北條勝貴の脳内、にゃんことしてのイメージは上のとおりである。なかなかに意味深、そして笑える。妻の方は、脳内は「金」ばかり、にゃんこは寝姿であった。
そうそう、関係ないが、森見登美彦の新作『有頂天家族』はとてもよい。いずれちゃんとした感想を書きたいと思うが、余裕のない日常に一服の清涼剤?を与えてくれる。モリミー氏は今週の「トップランナー」に出演するそうなので、一ファンとしては、氏憧れの本条まなみとの対談を見逃すわけにはゆかない。必見である。
先月最後の記事が義母の亡くなった件だっただけに、関係各方面にご心配をおかけしたようである。書かなければいけないコトはそれなりに溜まっていて、書きかけのまま放置してある草稿(四谷会談など)もあるのだが、とりあえずは近況を報告しておこう。
秋田より戻った週からもう大妻の講義は始まり、慌ただしく後期(最近は「秋期」という)が始まった。上智の方は、授業開始は10月だが、各種会議が入り始め、9/23(日)にはカトリック校AO入試・海外就学経験者入試もあった。帰国生は語学は堪能だが、やはり歴史の知識に問題がある。カトリックAOの受験者はそれなりに優秀であった。面接の際に他の先生方と話をしていて想い出したのだが、いつだったか、学生たちと宗教紛争について話をしていたとき、「宗教間に衝突が起きるのは宗教が枝分かれするからであり、紛争を抑止するには単一の宗教であればよい」という意見が出てきたことがあった。以前、歴史認識の対立について問うレポートに、「国連が統一的歴史認識を裁定すればよい」と書いてきた受講生もいた。今回の受験生の何人かにも、やはり同じような印象を抱いた。責任ある多様性を目指そうというのに、どうも個として立つことに耐えられない若者が多いようで、安易に〈一つになること〉を求める傾向が見受けられる(ぼくは彼らを〈エヴァンゲリオン世代〉と呼んでいる)。画一的〈生産体制〉を改め個性を重視するようになった教育が、必ずしも成功していないのは確かである。個であることが伴うべき責任は失われ、根無し草になった子どもたちが繋がりを求めて怯えている。とりあえずの安心を与えてくれる共同性であれば飛びついてしまいそうになる、ちょっと危険な情況であるような気がしてならない。
9/28(金)~29(土)には、高尾の森わくわくビレッジにてゼミの卒論中間報告合宿があった。会場となった研修施設は、もとは高校の校舎であったということで、工作室や音楽室などもある。きれいなうえにバリアフリーも徹底されていたが、宿泊室は病院の個室のようで、なんとなく圧迫感があった。4年生の報告の方は極めてレベルが高く、危機感を持って、早めに準備を始めた努力がちゃんと実っているようだった。ここで油断しなければ、かなり完成度の高い論文が書けるだろう。ひと安心である。
9/30(日)の午前中は、妻と、金沢文庫の特別展「陰陽道×密教」の最終日に出かけた。ダキニ天の修法に関する集中的な展示で、かなりコアなものである。知らないことが多く大変に勉強になった。最近の興味との関係でいえば、柳にまつわる呪法があったこと。やはり男女の出会いに関わるもので、中国・朝鮮・日本を股にかけて展開する〈柳イメージ〉解明の新たな糸口を得た。早速、後期の特講で扱うことにしよう。
この日の午後は、あと数年で廃校になる出身高校の文化祭に参加。全世代の同窓会も動きだし、元生徒会の連中も集まるというので顔を出してきた。この高校の門をくぐったのは実に18年ぶりだったが、もはや知っている先生もなく、生徒たちにも別段シンパシーを感じなかった。高校生活を送ったのは確かにこの場所なのだが、不思議なことにあまり懐かしさを感じない。やはりぼくは、場所よりも人に対する共同意識が強いのかも知れない。解体される校舎にも、「これだけ老朽化していれば仕方ないか」といった程度の感慨しか湧かなかった。現役生には申し訳ないが、文化祭自体が魅力に乏しいものだったからかも知れない。
そんなこんなで、今週から上智の秋期授業も始まった。やるべきこと、夏期休暇中(休暇だったのか?)にやり残したことが山積しているので、とにかく気忙しい。学園祭を迎える頃には、少しは余裕ができているだろうか。温泉にでもいってリフレッシュしてきたいものである。
ちなみに先日、気晴らしに脳内メーカーとにゃんこメーカーを試してみた。北條勝貴の脳内、にゃんことしてのイメージは上のとおりである。なかなかに意味深、そして笑える。妻の方は、脳内は「金」ばかり、にゃんこは寝姿であった。
そうそう、関係ないが、森見登美彦の新作『有頂天家族』はとてもよい。いずれちゃんとした感想を書きたいと思うが、余裕のない日常に一服の清涼剤?を与えてくれる。モリミー氏は今週の「トップランナー」に出演するそうなので、一ファンとしては、氏憧れの本条まなみとの対談を見逃すわけにはゆかない。必見である。
>〈一つになること〉を求める
今は昔『ウルトラマンG』という特撮ドラマがありましたが、あれに出てきたゴーデスという敵キャラの主張が正に「全てが一つになることで秩序と平和が齎される」「皆が平等に幸福になれる」というものであったのを思い出しましたね。今思うと『G』は色々と先見性があったような…
エヴァの背景にはグノーシス主義が使われているという指摘を聞いたことがありますね。いよいよ新劇場版が開始されましたが、庵野氏がいったいどんな答えを繰り出すのか注目してます。
サブカル分野で、「一つになる」ことが問題とされ始めたのは、一体いつだったんでしょうね。同化テーマはかなり古いでしょうが、個であることとの葛藤を描いたものとしては、STNGのボーグが印象的でした。当時は、日本企業的全体主義に対する、アメリカ的個人主義の勝利を謳ったものだといわれていましたが...。
オーストラリアン・ウルトラマンのグレートは、巨大感のあるパースが特徴的で好きでした。以前書いた論文で、「一体化することより、外在しながら内在することを目指す」と主張したことがあるのですが、よく考えたら、初代の『ウルトラマン』はまさにそれがテーマの作品でしたね。
『エヴァ』の新劇場版は、あんまり食指が動かないですね。半年以上映画を観ていないのですが、いま「機会があれば」と狙っているのは、『パンズ・ラビリンス』です。