Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

誤植の地図

2009-06-18 00:25:54 | 文学
きのうのことですが、調べものをするために近所の図書館へ行きました。しかし近所と言っても普段から行きつけの図書館ではなく、その日初めての、うちからはやや離れたところにある図書館です。というのも、目的の資料がそこにしかないようだったから。

ぼくは自転車を走らせて、そこに向かいました。空がどんよりと曇っていて、午後からは雨という予報も出ていたので、傘を持って。家で地図を見て場所を確認し、さらに携帯でその写真まで撮って出かけたのですが、少し道に迷ってしまいました。

ようやく図書館に着いて目的の本を探し出し、すぐにそれを読んでしまったのですが(ごく僅かな分量だった)、当然時間が余ることが予想されていたので、ぼくは家から一冊の本とメモ帳を持参していました。山形和美『文学の衰退と再生への道』。いまこれを読んでいて、夜になると少しずつ読み進めていたのですが、難解なのか、あんまり頭に入ってきませんでした。だから読むのに疲れていて、今日で終わりにしようと図書館に持っていったのです。家ではなかなかやる気が出ませんが、外でなら違うだろうと踏んだわけです。これが大成功でした。

ものすごくよく理解できるのです。著者の言っていることが自分の5本の指のようによく分かり、メモを取る手が止まりません。とりあえず読むべき箇所を全て読み終えると(はなから一冊丸々を読破しようと考えていたわけではなく、自分の関心の赴くところのみを読むことに決めていたのです)、一昨日までに読んでよく理解できなった部分を読み返すことにしました(ちなみに前日はだるくて読んでいなくて、本を読み始めたのは3日前だった)。ものの見事に分かるんです。ああ、こういうことを言っているのかあ、と思って、ぼくはせっせとメモを取りました。

どうしてこんなに理解できるのか。図書館にいると集中力が高まるのでしょうか。逆に、家にいると気が散ってしまって文章が頭に入ってこないのでしょうか。この事態に対し、たぶん多くの人は喜ぶことでしょう。もちろんぼくもうれしかったです。しかし、それよりも落胆と悲嘆の思いも強かったのです。ぼくはこれまで図書館で勉強したことは数えられるほどしかなく、ほとんどの場合は家で読書していました。そして、研究書の類はぼくには難しくて内容をつかめ切れないことが通例でした。ぼくはそれを本が悪いのか自分の頭が悪いのかどちらだろうと思いあぐねていたのですが、もうこれではっきりしたのです。ぼくの頭が悪かっただけなのだと。だって、家ではよく分からなかった本と全く同じ本が、図書館では何の問題もなく理解できてしまったのですから。ああ、これまでぼくが難解だと思ってきた本は必ずしも全部が難解なわけではなく、別の人たちはぼくなんかには及びもつかないほど多くのことを同じ本から吸収していたのだ!なんてことだ。ぼくがそれらの本を読むのに捧げていた時間も労力も無駄だった。これは悲しい事実です。

ところで、先の本は内容はとてもきっちりしていて、高度なことが書かれているのですが、どういうわけか、誤字脱字が異常なほど多いのです。非常に、ではなく、異常に、多いのです。見開き1ページに1つの間違いがあります。「むちゃくちゃ」が「むちょくちゃ」になっていたり、ひどいものでは、ブルームの著作「誤読の地図」が「訳読の地図」となっていたりしました。しかも、同じ間違いが続いていたりするのです。もはやこれは書き間違いや打ち間違いのレベルではありません。出版社は彩流社です。担当編集者か校正係かは知りませんが、一体どうなっているのでしょう。山形和美さんはもしかしたら手書きなのでしょうか?その字があまりにも達筆すぎて、編集者は読み間違えたのでしょうか。しかし、常識の範囲内で訂正できる間違いがほとんどなのです。こういうのは読む気を損なうので、誤字脱字は勘弁して欲しいですね。

図書館にいる間、雨が降ったようで、外に停めておいた自転車が濡れていました。しかし幸運なことに雨は大体あがっていたので、傘を差さずに家まで帰れました。ところが帰宅して間もなくするとまた雨が。本当に運がよかったです。