Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

『ハルムスの幻想』

2009-03-31 00:01:04 | 映画
きのうのフィルムセンターのことから書こうか迷いましたが、記憶がより早く薄れそうなこちらを先にアップします。

スロボダン・D・ペシチ監督の『ハルムスの幻想』。
一応断っておきますが、実写映画です。

東大でハルムス関連のちょっとした催しがあって、そこで観てきたのですが、まあおもしろいものではないです。ハルムスが逮捕されるまでの生活と彼の種々の作品とを前触れなしに交叉させつつ、そこに天使という幻想的なキャラクターを紛れ込ませた映画。

ハルムスについてはここでも何度か取り上げているのですが、ロシアのだいたい1930年代前後の作家・詩人です。ぼくはこの人の作品が好きで、日本語はもちろんロシア語でも読んでいます。日本では一般にほとんど知られていない作家で、今日東大の教室も閑散としていましたが、しかし近年急激に日本でも注目されるようになっています。日本における海外文学界で圧倒的な知名度を誇る柴田元幸氏の『モンキービジネス』(原著の題名は英語だったと思いますが)で紹介され、つい最近もやはり柴田元幸編の『昨日のように遠い日』で短篇が数編訳されています。他にも『ハルムスの小さな船』という一冊丸々をハルムスの作品で構成した単行本が出版されましたし、『飛ぶ教室』という児童文学の本でもハルムスが扱われています。絵本も出ています。つい4、5年前まではこんな状況が来るとは想像だにしていませんでした。たぶん柴田先生がハルムスに興味を持ったことが大きいでしょうね(それがいつかは聞いてないですが)。一般の読者にもハルムスの存在が知られるようになりました。

映画の話に戻ります。『ハルムスの幻想』では、ハルムスの作品が(もちろん実写化されて)随所に挿入されます。したがって、彼の作品(さっきから「作品」という中性的な名詞を用いていますが、これはハルムスの書くものが「小説」という概念から逸脱しているため)を読んだことのない視聴者は、映画を観ても意味不明だろうと思います。ハルムスの伝記的部分とその作品部分とが何の境界線もなく溶け込み入り混じっているので、分かる人には分かる、という些か倣岸な映画と言えるかもしれません。ぼくは幸い元ネタを色々と知っていたので、チンプンカンプンという事態は避けられましたが、最初にも書いた通りさほどおもしろくないことには変わりません。

この映画に対しては、総括的な興味というよりは、断片的な興味をそそられるというのが普通の鑑賞態度だと思われます。今日の催しでも質問として挙げられた、事物のシンボル(例えば梁は何を象徴しているのか、など)や、天使の翼の技術的問題(あるいはそれに関する監督の意図)、天使の両性具有性、ワンカットの長回しなどは、その一例でしょう。これに加えてぼくが関心を持ったのは、色彩です。カラーで始まった映画はモノクロに変わります。伝記的部分がモノクロで表現され、ハルムスの作品の実現はカラーで表現されるのかと思いましたが、そう単純ではないようです。例えばモノクロの中にも空だけが青や赤錆色に塗られていたりします。ちなみにこの画面設計はカレル・ゼマンの映画を想起させます。彼は実写とアニメーションとを混交させたトリッキーな作品を撮っていますが(ぼくの想定しているのは実写がモノクロのもの)、そのような混在性が、実写の建物と人工的な空の色との対比に見出せるような気がします。ところで映画において色彩が意味ありげに使用されている例として、タルコフスキーの『鏡』を挙げないわけにはいきません。これは基本的には過去と現在とで色が使い分けられるのですが、やはり複雑な基準があるようです。

この映画の中ではハルムスは割と常識人のように描かれていますが、実際にはエキセントリックな人物であったようです。映画のハルムスは天使についてこのように言います。彼らは天使をおかしなもののように見るが、おれにはそう思えない、と。これはハルムス本人に向けて言われている言葉のようにも思えます。そうすると天使とハルムスとは親近性があることになりますが、事実、分身的な関係性にあったのではないかと推測できます。それは、天使がハルムス本来の「異質性」を肩代わりしていた点、また最後にハルムスが翼を持った天使(?)になる点からも判断できます。

先の天使について述べた言葉から想像されるように、ハルムスが何を異質なもの、奇妙なもの、不条理なものと見ていたかということは興味深いテーマで、この映画は実にその「奇妙なもの」について語られた作品であるように思いました。ハルムスはソ連社会そのものを奇妙なものと感じていたのではないか、とぼくは個人的に考えているのですが、ハルムス的な意味不明さの溢れるこの映画も、ハルムスにとっては真っ当な世界を切り取ったものなのかもしれません。