Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

『ベスト・オブ・ベケット2』

2009-03-06 00:30:56 | 文学
今日は時間がないので短めにします。

『ベスト・オブ・ベケット2』を読みました。ちなみに『1』には「ゴドーを待ちながら」が収録されていて、これはだいぶ前に既読。

さて『2』には「勝負の終わり」「クラップの最後のテープ」「行ったり来たり」「わたしじゃない」「あのとき」が収録されています。このうち、最も長い「勝負の終わり」は数年前NHKで放送していた舞台を観たことがあります。そのときはなんだか意味の分からないものを観たなあという程度の感想で、役者の台詞がいまいち聞き取りづらかったことを覚えているだけですが、テクストで読んでみると、案外おもしろかったです。訳注が少し過剰かな、と思ったのですが、で実際そうかもしれませんが、この訳注の助けを借りて内容の理解が深まったのは確かです。世界観とか、人間関係とか。核戦争か何かで世界が崩壊した後の出来事と捉えれば、把握しやすいですね。あとハムが自分の思い出を語っているところとか、訳注がなければそうだと気付かないですよね。ユーモアがあり、またセンチメンタルな雰囲気もときに漂う戯曲です。

この「勝負の終わり」もそうですが、後の四作品はそれ以上に実験的な戯曲です。「クラップ」はテープレコーダーに録音された30年前の自分の声が主な登場人物(?)で、「行ったり来たり」は3人の女が行ったり来たりしながら噂話を展開する、いまいち意味の分からない話、「わたしじゃない」は「口」によるまるで意味の分からない独白が延々と続き(「口」にしかライトが当たらない、他の部分は暗い)、「あのとき」は同一人物が3つの時点から思い出を回想する(幼年期・青年期・老年期)構成。

解説を読むと色々分かるのですが、読む前はちんぷんかんぷんな戯曲と言えるかもしれません。ベケットが難解と言われる由縁ですね。ただ、訳注を頼りにゆっくり読み進めてゆくと、意外と多くの事柄が分かってくるので、意味不明と諦めずに無心でテクストに当たるとよいかもしれません。まあ、訳注がないとなんのこっちゃという戯曲はどうなんだ、という疑問は残りますが(でも訳注なしで読んでもそれなりに意味は分かるのでしょうか、試してないですが)。それともそもそも意味の有無など論外なのかもしれませんね。「勝負の終わり」ではチェーホフ劇同様、意味についての会話が交わされています。

ちなみに「勝負の終わり」は「エンドゲーム」であり、チェスにおけるゲーム(勝負)の終盤を指すそうです。ベケットはチェス好きだったようで、チェス用語を使うのも不思議はないですね。関係ないですがナボコフの『ディフェンス』もチェス文学です。