KGセミナー塾長の日記 生徒との日々の生活と高校野球 個人塾型予備校を始めて、36年目になります。

初めての人は、2008年2月26日の「みんなに伝えたい話」を読んで下さい。私がこの仕事をやり続ける支えとなった話です。

西本幸雄展

2012年06月04日 | 生活

 和歌の浦アートキューブに西本監督展に行ってきました。ゆかりのある人々が多数集まって、テープカットが朝10時から行われました。夕方には、遠征に出かけていた、母校の桐蔭高校野球部員たちも早速駆け付けたようです。

 

 中に入って、展示されたものをじっくり見てきました。数々のトロフィーや、写真、また西本監督の言葉などが展示されていて、その一つ一つが、心に響くものばかりでした。写真は、すべてスポーツニッポンの内田君が用意して下さったものです。

 

 和歌山中学時代の野球部員たちとの写真があります。後に国鉄に進んだ宇野さんも先輩として一緒に写っています。

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 和歌山中学時代に、その教えを受けていた、K先輩が、語り部として、常駐されています。K先輩によると、西本さんは、非常に厳しく、口癖は、「お前なんか辞めてしまえ!」だったそうです。1年生だったK先輩が、ノックをする西本さんにボールを渡していると、いつものようにまた怒りだしたそうです。その時に1塁手だった4年生の先輩。その人は、すごくおとなしく、温厚な性格の人だったんですが、いきなり、グラブをたたきつけて、「辞める!」と言って帰ってしまったんだ・・・。と話してくれました。

 

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 海草中学の嶋投手の野球殿堂入りの際に、久しぶりに和歌山を訪問して、母校桐蔭に立ち寄ったとのことです。OBである内田君がお供しました。あいにく、テスト期間中で、部員たちは練習していなかったのですが、母校のグラウンドに立ち寄った西本さんは、「あぁ、・・・」と言って、しばらく黙ったままで、そのあと、「何も変わっていない。昔のままだ。」と答えたそうです。スタンドも新しくなって、周囲の姿も随分変わっていたはずなのに、自らの野球人生が始まったそのグラウンドに立ち寄ったときにそう述べたそうです。

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 近鉄の監督となって、その最後の試合。かつて率いていた阪急ブレーブスとの最後の試合。指揮官として最後を務めた西本さんが、相手の上田監督に挨拶に行くシーンです。かつての教え子たちが、皆握手で迎えています。両軍による胴上げがこの後始まります。両チームによって胴上げされた監督はいません。

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 和歌山中学のユニフォームです。勉強のできる学校は、世の中にいくらでもあります。野球の強い学校もいくらでもあります。ただ、第一回大会から出場している学校は、わずか15校。その中で甲子園で優勝経験があり、戦後も出場している学校は、関西学院と桐蔭高校だけです。今の桐蔭高校のユニフォームの左の袖にあるWのマーク。それは、和歌山中学のWです。そのユニフォームに袖を通すとき、同じグラウンドで、練習をしてきた多くの先輩のことを少しだけでも考えて下さい。「桐蔭で野球をする」というのは、どういうことなのか、もう一度考えてみて下さい。

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1 コメント

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私も昨日行ってきました。 (塾長の後輩)
2012-06-04 12:11:25
私も昨日行ってきました。
改めて、桐蔭で野球をやったことを
誇りに思いました。

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