がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
486)ミトコンドリアを増やすベザフィブラートとメトホルミンとケトン体
図:PPAR(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体)の汎アゴニスト(受容体に結合して活性化する物質)であるベザフィブラートは、直接あるいはPPARを介してPGC-1α(PPARγコアクチベーター1α)を活性化する(1)。PGC-1αはミトコンドリア新生を亢進して、細胞内のミトコンドリアの数と量を増やす(2)。ミトコンドリア新生が亢進すると、細胞の酸化的リン酸化が亢進し、解糖系が抑制され乳酸産生が低下する(3)。このような代謝の変化はがん細胞における代謝異常(ワールブルグ効果)を正常化する(4)。ワールブルグ効果の抑制は、がん細胞の増殖・浸潤・転移を抑制する(5)。ベザフィブラートなどのPPARアゴニストは、PI3K/Aktシグナル伝達系抑制や血管新生阻害作用や抗炎症作用など多彩な機序による抗がん作用も示す(6)。メトホルミン、カロリー制限、ケトン体もPGC-1αを活性化するので、ミトコンドリア新生を亢進する作用がある(7)。ミトコンドリア新生を亢進する治療法はがん細胞の増殖抑制に効果がある。
486)ミトコンドリアを増やすベザフィブラートとメトホルミンとケトン体
【ミトコンドリアを活性化するとがん細胞は大人しくなる?】
前回、「ミトコンドリアDNAを欠損させると細胞ががん化する」ことを解説しました(485話参照)。
多くのがん細胞でミトコンドリアDNAの欠損や異常が明らかになっています。
ミトコンドリアDNAに存在する酸化的リン酸化に関連する遺伝子の欠損は、培養細胞を使った実験では細胞は足場非依存性増殖(anchorage-independent growth)などの悪性形質を示すようになり、マウスの移植腫瘍の実験では造腫瘍性(ヌードマウスなどに接種して腫瘍を形成する活性)を獲得することが報告されています。
つまり、「ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を阻害すると、細胞はがん化する」という結果です。
そして、「ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を活性化すると、がん細胞の悪性形質が消失する」ことが示されています。
がんの治療でも、ミトコンドリアの機能を高める方法が利用されています。その代表がジクロロ酢酸ナトリウムです。
解糖系によって生成されるピルビン酸はミトコンドリア内でピルビン酸脱水素酵素複合体によってアセチルCoAに変換されます。
ピルビン酸脱水素酵素はピルビン酸脱水素酵素キナーゼによって不活性化されますが、がん細胞ではこのピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性が亢進しています。それは、がん細胞で発現が亢進している低酸素誘導因子-1(HIF-1)がピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を亢進するからです。(下図参照)
図:がん細胞では低酸素やPI3K/Akt/mTORシグナル伝達系の活性化によって低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性が亢進し、HIF-1はピルビン酸脱水素酵素キナーゼや解糖系酵素の発現を誘導する。ピルビン酸脱水素酵素キナーゼはピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害するので、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換が抑制されてミトコンドリアでの糖代謝は抑制される。
ジクロロ酢酸ナトリウムはミトコンドリアの異常による代謝性疾患、乳酸アシドーシス、心臓や脳の虚血性疾患の治療などに、医薬品として25年以上前から使用されています。
ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってピルビン酸脱水素酵素の活性を高める作用があります。
ジクロロ酢酸ナトリウムを使ってがん細胞におけるミトコンドリア内での酸化的リン酸化を活性化すると、がん細胞のアポトーシス(細胞死)が起こりやすくなることが報告されています。がん細胞の抗がん剤感受性を高める効果も報告されています。
その理由は、がん細胞に無理矢理ミトコンドリアでの代謝を亢進させると、解糖系が抑制され、さらにミトコンドリアでは活性酸素が多く産生されて細胞にダメージが起こるからです。(下図参照)
図:ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性を阻害する。その結果、ピルビン酸脱水素酵素の活性が亢進してミトコンドリアでの代謝が促進される。その結果、解糖系は抑制され、ミトコンドリア内で活性酸素の産生が増加して細胞は死滅する。
したがって、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性を阻害するジクロロ酢酸ナトリウムや、低酸素誘導因子-1(HIF-1)を阻害するラパマイシンやジインドリルメタンなど(364話参照)、STAT3を阻害してHIF-1発現を抑制するオーラノフィン(427話参照)などは、ミトコンドリアの酸化的リン酸化を活性化してがん細胞を死滅させる効果が期待できます。
【ミトコンドリアは増やすことができる】
約20億年前に好気性細菌のα-プロテオバクテリアが原始真核細胞に寄生してミトコンドリアになったと考えられています。ミトコンドリアは元々は細菌であったので、ミトコンドリア独自のDNAを持ち、自分で分裂して増殖することができます。
α-プロテオバクテリアの頃の遺伝子の大半は細胞の核のDNAに移行しています。しかし、ミトコンドリア固有の遺伝子の一部はミトコンドリア内のDNAに存在しています。
すなわち、ミトコンドリアを構成するタンパク質には、核内DNA にコードされているものと、ミトコンドリア内DNA にコードされているものがあります。うち核内DNA にコードされているタンパク質は、細胞質で合成された後、ミトコンドリア外膜と内膜を通過してミトコンドリア内部に輸送されなければなりません。
ミトコンドリアDNA にコードされているミトコンドリア・タンパク質は、核内DNA にコードされているものと比較すると、その種類は少数です。
ミトコンドリアDNAは16,569bpの環状の分子で、D-loopという部位がミトコンドリアDNAの複製や転写を制御しています。ミトコンドリアDNAには37個の遺伝子が存在し、22個のトランスファーRNA(tRNA)と2個のリボゾームRNA(rRNA)の遺伝子と、酸化的リン酸化に関与するたんぱく複合体の85種類のサブユニットのうち13種類のたんぱく質(複合体I,III, IV, Vのサブユニット)を作成する遺伝子が存在します。その他のサブユニットは核のDNAにコードされており、細胞質でたんぱく質に翻訳されて、ミトコンドリアに移行します。
呼吸鎖の複合体IIを構成する4つのサブユニットは全て核のDNAにコードされています。
つまり、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が正常に行われるためには、細胞核とミトコンドリアに存在するDNAが必要です。ミトコンドリアDNAを欠損させると、ミトコンドリアでの酸素呼吸(酸化的リン酸化)が起こりません。
ミトコンドリアでは酸素呼吸をするために活性酸素が産生され、そのためにミトコンドリアDNAの損傷が起こりやすくなっています。とくにD-loop領域の異常は多くのがん細胞で見つかると報告されています。この領域の異常はミトコンドリアDNAの複製を妨げるので、ミトコンドリアDNAの量が減少します。
ミトコンドリアは分裂(fission)と融合(fusion)を頻繁に繰り返しています。融合が活性化すると長くつながった構造が形成され、逆に分裂が活性化すると小さな断片化した形状が増えるなど、ミトコンドリアの形態をダイナミックに変化させます。
ミトコンドリア・ダイナミクスの障害(分裂と融合の異常)が、がんや心血管疾患や神経変性疾患の発症に関連していることが明らかになっています。
細胞内のミトコンドリアの増殖を刺激することによって、細胞内のミトコンドリアの数と量を増やすことができます。
その方法として、PPAR(ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体)のリガンド(ベザフィブラート、ピオグリタゾンなど)、AMPプロテインキナーゼ(AMPK)を活性化するメトホルミン、カロリー制限、ケトン食(ケトン体)などが報告されています。
ミトコンドリアが増えることを「Mitochondrial Biogenesis」と言います。「ミトコンドリア新生」や「ミトコンドリア発生」と訳されています。細胞内でミトコンドリアが新しく発生することです。通常、既存のミトコンドリアが増大して分かれて増えていきます。
ミトコンドリア新生で最も重要な働きを担っているのが、PGC-1α(Peroxisome Proliferative activated receptor gamma coactivator-1α)です。日本訳は「ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γコアクチベーター1α」です。
PPARのリガンド(ベザフィブラート、ピオグリタゾンなど)やメトホルミンやカロリー制限やケトン体はこのPGC-1αを活性化する作用があります。
がん細胞のミトコンドリア新生を刺激してミトコンドリアを増やし、前述のミトコンドリアの酸化的リン酸化を活性化する方法を組み合せれば、がん細胞の増殖を抑制できる可能性が示唆されています。
【高脂血症治療薬ベザフィブラートはミトコンドリアを増やす】
ベザフィブラートはペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor:PPAR)の汎アゴニスト(pan-agonist)です。
PPARにはアルファ型(PPARα)、ガンマ型(PPARγ)、デルタ型(PPARδ)の3種類のサブタイプがありますが、ベザフィブラートはこの3種類のPPARを活性化する作用があります。ベザフィブラートがミトコンドリアを増やして機能を高め、その結果、細胞のがん化や悪性進展を阻止することが報告されています。以下のような報告があります。
Increases in Mitochondrial Biogenesis Impair Carcinogenesis at Multiple Levels(ミトコンドリア新生の増加は、発がん過程の多くのレベルで阻止する)Mol Oncol. 2011 Oct; 5(5): 399–409.
【要旨】
多くのがん細胞でミトコンドリアでの酸素呼吸が低下しているが、この現象ががん細胞の発生や悪性進展においてどのような役割を担っているかはまだ明らかになっていない。
この現象をより理解するために、ミトコンドリアの機能をさらに阻害する方法ではなく、逆にペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPAR)/ PPARγコアクチベーター1α (PGC-1α)経路を活性化することによってがん細胞のミトコンドリアを増やすことによって、その変化を検討した。
PPAR/PGC-1α経路の活性化は、PPARの汎アゴニストで、さらにPGC-1αの発現を促進する作用があるベザフィブラートをがん細胞に投与することで行った。
ベザフィブラートで処理すると、がん細胞のミトコンドリアのたんぱく質と酵素活性が亢進した。
ミトコンドリアの数と機能が亢進したがん細胞では、グルコース含有培地においてがん細胞の増殖活性は低下した。
さらに、このようながん細胞は浸潤性が低下し、この現象は乳酸の産生量の減少と直接的に関係していた。
驚くべきことに、ベザフィブラートを投与したがん細胞はミトコンドリアのマーカーの量が増加していたにも拘らず、酸素呼吸の量には変化は起こらなかった。しかしながら、呼吸共役とATP量においては増加が見られた。
これらの結果は、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を亢進させると、がん細胞の増殖能や浸潤能は低下し、がんの進展が阻止されることを示している。
がんというのは一般には遺伝子異常と考えられていますが、代謝異常という観点からミトコンドリアの異常ががん細胞の発生や進展に関与していることが指摘されています。
1920年代にオットー・ワールブルグが、酸素が十分に利用できる状況でも、がん細胞ではミトコンドリアでの酸化的リン酸化が低下し、解糖系でのエネルギー産生が亢進し、その結果、乳酸の産生が増えていることを指摘しています。
現在では、多くのがん細胞で、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が低下していることが知られています。
解糖系が亢進し、乳酸が増え、がん細胞の周囲が酸性化すると、がん細胞が周囲組織に浸潤しやすくなり、転移が促進されます。血管新生も亢進します。
ミトコンドリアDNAを欠損させて、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化を阻害すると、がん細胞は悪性度を増し、浸潤や転移が促進されることが報告されています。
この論文では、がん細胞のミトコンドリアの機能を活性化するとどうなるかと検討しています。
Mitochondrial Biogenesisは「ミトコンドリア新生」や「ミトコンドリア発生」と訳されています。細胞内でミトコンドリアが新しく発生することです。通常、既存のミトコンドリアが増大して分かれて増えていきます。
ミトコンドリア新生で最も重要な働きを担っているのが、PGC-1α(Peroxisome Proliferative activated receptor gamma coactivator-1α)です。日本語訳は「ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γコアクチベーター1α」です。
PGC-1αは転写因子のPPAR-γと結合して、PPAR-γの転写活性を高める因子として見つかりました。
PGC-1αは核内受容体を中心とするさまざまな転写因子と結合し標的遺伝子の発現を制御する転写コアクチベーターです。骨格筋、心筋、脂肪、脳などの臓器においてミトコンドリアの生合成および酸化的リン酸化を促進するなど細胞のエネルギー産生を制御する役割が知られています。
運動すると骨格筋のPGC-1α量が増えます。
ケトン体はPGC-1αタンパク質の発現を亢進します。カロリー制限はサーチュイン(Sirtuins)を活性化し、PGC-1αの発現を亢進します。
糖尿病治療薬のメトホルミンはAMP依存性プロテインキナーゼ(AMPK)を活性化してPGC-1αの発現と活性を亢進します。
高脂血症治療薬のベザフィブラートはPPARを活性化し、PGC-1αの発現量を増やし、ミトコンドリア新生を増加させる作用があります。
この論文では、がん細胞のミトコンドリア機能をPPARの汎アゴニストのベザフィブラートで活性化すると、解糖系が抑制され、乳酸の産生が低下し、がん細胞の増殖や浸潤が抑制されることを報告しています。
ベザフィブラートを使ってがん細胞のミトコンドリア(酸化的リン酸化)を活性化すると、がん細胞の悪性度は低下するという結論です。
ベザフィブラートでミトコンドリアを活性化すると、ミトコンドリアの機能異常を是正できるという報告もあります。以下のような論文もあります。
A metabolic shift induced by a PPAR panagonist markedly reduces the effects of pathogenic mitochondrial tRNA mutations.(PPARの汎アゴニストによって誘導される代謝シフトは病的なミトコンドリアtRNA変異の作用を顕著に軽減する)J Cell Mol Med. 2011 Nov;15(11):2317-25.
【要旨】
ミトコンドリアDNAでコードされたトランスファーRNA(tRNA)遺伝子の変異は多くの疾患の原因となっている。
培養細胞(in vitro)と動物実験(in vivo)の系で、合成アゴニストによるペルオキシソーム増殖因子活性化受容体の活性化は、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化反応を刺激し、ミトコンドリアの量を増やし、さらに酸化的リン酸化に関与するたんぱく質の遺伝子変異による欠損を部分的に代償する。
この研究では、異なるミトコンドリアtRNAの変異をもつ細胞を使って、PPARの汎アゴニストであるベザフィブラートが、酸化的リン酸化の欠損の効果を減弱できるかどうかを検討した。
実験の結果、ベザフィブラートはミトコンドリアの量とミトコンドリアtRNAの定常レベルの量を増やし、ミトコンドリアのたんぱく質の合成を亢進した。このミトコンドリア機能の改善の結果、酸化的リン酸化活性は上昇し、ミトコンドリアにおけるATP産生能を亢進した。
PPARの汎アゴニストは、ミトコンドリア新生を制御するPPARγコアクチベーター-1α(PGC-1α)の発現を亢進することが知られている。
さらに、変異したミトコンドリアtRNAを持って酸化的リン酸化が機能している細胞株を選択すると、これらの細胞では、ベザフィブラート投与と同様に、PGC-1αの発現が3倍に増えていた。
これらの実験結果から、ミトコンドリア新生を亢進し、酸化的リン酸化活性を高めることは、ミトコンドリアの異常に起因する疾患の治療として有効であることが示唆された。
つまり、ミトコンドリアDNAの変異などでミトコンドリア機能が低下していても、ベザフィブラートでミトコンドリア新生を亢進して酸化的リン酸化を促進すると、ミトコンドリア機能異常を改善できるということです。
がん細胞におけるミトコンドリア異常をベザフィブラートが改善できる可能性が示唆されます。
【ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体は物質代謝に関連する転写因子】
ペルオキシソーム(Peroxisome)は酵母から哺乳動物までのほぼ全ての真核細胞が持つ直径0.1〜2マイクロメートルの単層の膜で囲まれた球状の細胞小器官です。
哺乳類の細胞では1個の細胞に数百から数千個が存在し、多様な物質の酸化反応を行っています。
ペルオキシソームでは、脂肪酸のベータ酸化、コレステロールや胆汁酸の合成、アミノ酸やプリン体の代謝などが行われています。
ペルオキシソーム増殖因子あるいはペルオキシソーム増殖剤と呼ばれるペルオキシソームを増やす作用がある物質が古くから多数見つかっています。この中には、食事中の脂肪酸や、プラスチック可塑剤のフタル酸エステル類、除草剤のようなものも含まれています。
これらの物質がどのようにしてペルオキシソームを増やすのかという研究の結果、ペルオキシソーム増殖因子が結合する核内受容体が見つかり、「ペルオキシソーム増殖因子で活性化される受容体」という意味で「ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(Peroxisome proliferator-activated receptor:PPAR)」という長い名前になっています。
PPARは細胞内のペルオキシソームの増生を誘導する受容体として発見されましたが、その後の研究で、糖質や脂質やタンパク質などの物質代謝や細胞分化に密接に関連している転写因子群であることが明らかになりました。脂質や糖質の代謝を促進するので、PPARを活性化する物質は高脂血症や糖尿病の治療薬として臨床で使用されています。
歴史的には、フィブラートのような抗高脂血症薬やインスリン抵抗性を改善するチアゾリジンジオン系の抗糖尿病薬は作用機序が不明なまま臨床的有効性が認められて使用されていましたが、これらの薬が細胞のペルオキシソームの数を増やすことが見つかり、その後にPPARを活性化することによって薬効を示すことが明らかになりました。現在でもPPARをターゲットにして新薬の開発を進められています。
さらに、PPARの活性化はがん細胞の増殖抑制やアポトーシスや分化の誘導作用などの抗がん作用を示すことが明らかになっています。PPARの活性化剤は糖尿病や高脂血症の治療薬として多くの種類が販売されているので、これらをがんの治療に応用する研究が行われています。
【ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体は核内受容体スーパーファミリーの一種】
ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPAR)はレチノイン酸受容体(RAR)やレチノイドX受容体(RXR)などと同じ核内受容体スーパーファミリーに属する核内受容体の一種です。
グルココルチコイドやエストロゲンやアンドロゲンのようなホルモンや、ビタミンAやビタミンDのような脂溶性ビタミンは、遺伝子発現を制御することによって生体機能を調節しています。
このような機能は、それぞれに特異的に反応する核内受容体と、標的遺伝子のDNAにそれらの受容体が結合する部位が存在するという仕組みで達成されます。
48種類の核内受容体の存在が知られていますが、その中にはリガンド(受容体に特異的に結合して活性化する物質)がまだ明らかになっていないものも多数あります。食事から摂取する様々な成分や代謝産物や胆汁酸などがリガンドになる場合もあります。
栄養素として食事から摂取された脂質は、エネルギー産生や細胞膜の材料になるのが主な役割ですが、脂肪酸が代謝されてできる様々な物質が、遺伝子発現にも作用することが明らかになっています。
このような脂質代謝産物による遺伝子発現の調節に関わっている核内受容体としてペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(Peroxisome proliferator-activated receptors:PPARs)が知られています。
下図にPPAR の活性化と遺伝子転写調節機構を示しています。
図:ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPARP)とレチノイドX受容体(RXR)はヘテロダイマー(PPAR-RXR)を形成して、コリプレッサーが結合してDNA結合は阻止されている。それぞれの受容体にリガンドが結合すると受容体の構造に変化が生じてコリプレッサーが離れ、コアクチベーターが結合して、標的遺伝子のDNAのペルオキシソーム増殖因子応答配列(AGGTCAの塩基配列が1塩基をはさんで同方向に並んだAGGTCA-n-AGGTCA のダイレクトリピート構造)に結合して転写を亢進する。
PPARはレチノイドX受容体(RXR)とヘテロダイマー(ヘテロ二量体)を形成して遺伝子のペルオキシソーム増殖因子応答配列に結合します。
リガンドが結合していない状態ではPPAR-RXRヘテロダイマーに核内受容体コリプレッサーが結合して転写活性が抑制されています。コリプレッサー(co-repressor)というのは、核内受容体に結合してその転写活性を抑制する因子です。
PPARとRXRにそれぞれのリガンドが結合するとPPAR-RXRヘテロダイマーからコリプレッサーが分離し、転写活性を促進するコアクチベーター(co-activator)が結合します。コアクチベーターはヒストンアセチル化を促進する作用があり、DNAとヒストンの結合を緩めて、他の転写因子やRNAポリメラーゼが標的遺伝子のプロモーター領域に結合しやすくなり、転写が開始されます。このようにPPAR の活性化から遺伝子発現まで様々な因子が複雑に関与しています。
【PPARには3つのサブタイプがある】
このPPARには3種類のサブタイプがあります。主に肝臓や心臓や腎臓や消化管の細胞にあるアルファ型(PPARα)と、脂肪細胞に主にみられるガンマ型(PPARγ)、多くの組織で発現し脂肪酸燃焼とインスリン感受性を高めるデルタ型(PPARδ)です。
PPARαは大量のATPを必要とし脂肪酸酸化の盛んな臓器(肝臓・心臓・腎臓・消化管など)に多く存在します。PPARαは脂肪酸のβ酸化や細胞内外での脂質輸送に関与する多くの遺伝子の発現を誘導するので、高脂血症改善薬のターゲットになっており、フェノフィブラート(Fenofibrate)、ベザフィブラート(Bezafibrate)、クロフィブラート(Clofibrate)などのいわゆるフィブラート系の薬剤が高脂血症治療薬として使用されています。ベザフィブラートはPPARαだけでなくPPARγやPPARδの活性化作用もありPPAPの汎アゴニスト(pan-agonist)と呼ばれています。
また、PPARαは炎症を促進するNF-κB(nuclear factor-kappa B)の活性を抑制し、TNF-α(tumor necrosis factor-α )などの炎症性サイトカインの発現を抑制する作用も報告されています。
PPARγは脂肪組織でインスリン感受性を高めるアディポネクチン遺伝子の発現を促進し、インスリン抵抗性を高める炎症性サイトカインのTNF-αの産生を抑制する作用があります。これらのインスリン抵抗性を改善する作用によって糖尿病を治療する効果を発揮します。薬としてはピオグリタゾンが使用されています。
PPARδは多くの組織で発現し、リノール酸やリノレン酸やアラキドン酸などの多価不飽和脂肪酸やアラキドン酸由来物質などが内因性のリガンドとなっています。インスリン抵抗性の改善や脂肪酸のβ酸化の亢進などの作用があります。PPARのpan-agonist(一連の受容体を活性化する特異性の低い刺激剤)であるベザフィブラートはPPARδの活性作用があります。
以上のようにPPARは物質代謝やエネルギー産生に関与しており、摂食後はPPAR-γが作用して効率的に体内に脂肪を蓄え、空腹時はPPAR-αの作用により脂肪がエネルギーに変換され消費されます。これらのPPARの作用に異常が起こると糖尿病や高脂血症や肥満を引き起こします。一般的に、糖尿病はPPARγ、高脂血症はPPARα、肥満はPPARδが深く関与しています。
また、糖尿病や高脂血症や動脈硬化を予防する効果が指摘されている大豆(イソフラボン)や赤ワイン(レスベラトロール)や青魚(ドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸)の作用の一部はPPARへの効果が関与している可能性も指摘されています。大麻に含まれるカンナビノイドの作用もPPARが関与する場合があります。
【フィブラート系薬剤は様々なメカニズムで抗がん作用を発揮する】
フィブラート(fibrate)系薬剤は、肝細胞内のペルオキシソーム増殖因子活性化受容体α(Peroxisome Proliferator Activated Receptor α:略してPPARα)という核内受容体に結合してPPARαを活性化することによって、アポA-Ⅰ、A-Ⅱの産生増加、アポC-Ⅲの産生低下、脂肪酸のβ酸化亢進、中性脂肪産生減少などの作用が発現して、コレステロールや中性脂肪を低下させる薬です。フェノフィブラート(Fenofibrate)、ベザフィブラート(Bezafibrate)、クロフィブラート(Clofibrate)などのいわゆるフィブラート系の薬剤が高脂血症治療薬として使用されています。
さらに、PPARαの活性化はがん細胞の増殖を抑制したりアポトーシスを誘導するタンパク質の発現を亢進する作用などの抗がん作用が報告されています。
例えば、PPARαの活性化はペルオキシソームを増やして脂肪酸のβ酸化を亢進し、グルコースの解糖系を抑制する働きがあるので、がん細胞のワールブルグ効果(酸素がある条件でも、がん細胞はグルコースの嫌気性解糖系でエネルギーを産生していること)を阻害して、がん細胞の増殖を抑える可能性が指摘されています。
さらに、インスリン様成長因子-1のシグナル伝達系(PI3K/Akt)を抑制する作用や、抗炎症作用や血管新生阻害作用などの抗腫瘍効果が報告されています。
フィブラート系薬剤の抗腫瘍効果には、本来のペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(PPARα)を介した機序と、それとは関係ない機序(PPARα非依存性)が知られています。
例えば、フェノフィブラートは転写因子のFoxO3Aを活性化してBimの発現を誘導してグリオブラストーマ細胞の増殖抑制とアポトーシス誘導を引き起こすことが、報告されています。
Bimはがん細胞のミトコンドリアに作用してアポトーシスを誘導するタンパク質で、転写因子のFoxO3Aによって発現が誘導されます。(326話参照)
【肺腺がんにベザフィブラートが効く可能性がある】
PPARαとPPARγとPPARδを活性化する汎アゴニスト(pan-agonist)のベザフィブラートが、ミトコンドリア新生を亢進して、がん細胞の悪性度を低下させることは前述しました。別の報告でベザフィブラートが肺がん治療に有効である可能性を示唆する論文が幾つかあります。以下のような論文があります。
Expression Profiling Identifies Bezafibrate as Potential Therapeutic Drug for Lung Adenocarcinoma.(遺伝子発現プロファイリングはベザフィブラートを肺腺がんの治療薬となる可能性を示している)J Cancer. 2015 Sep 20;6(12):1214-21.
【要旨】
疾患の遺伝子発現パターンを正常に戻すような医薬品誘導性の遺伝子発現パターンは、医薬品再開発の新しい手法として使用されている。
本研究では、この手法を用いて肺腺がんの新規の治療薬となる医薬品の予測を行った。
まず最初に、コンピュータを用いたコネクティビティ・マップ解析(connectivity map analysis)では、肺腺がんに対する治療薬の候補としてベザフィブラートを同定した。
ついで、肺腺がんの培養細胞を用いた実験で、ベザフィブラートの細胞増殖抑制と細胞周期停止効果を確認した。
コンピュータを使用した分子の結合解析によって、ベザフィブラートが細胞周期の進行を制御するサイクリン依存性キナーゼ2(cyclin dependent kinase 2:CDK2)をターゲットにする可能性が示唆された。
さらに、ベザフィブラートがCDK2のmRNAの発現とCDK2のリン酸化を顕著に抑制することが確認された。
ヌードマウスを用いた移植腫瘍の実験モデルで、ベザフィブラートが肺腺がんの増殖を抑制することを確認した。
以上の結果より、肺腺がんの治療にベザフィブラートが有効である可能性が示唆され、このようなコンピュータを用いた医薬品のスクリーニングの有用性が示された。
実験で、in vitro(ガラス内、つまり試験管内で)やin vivo(生体内で)という用語が用いられます。
がん細胞を用いた実験ではin vitroは細胞培養の手法を使った実験で、in vivoはマウスなどにがん細胞を移植する動物実験やヒトの体内での作用を検討する実験です。
in silico(イン・シリコ)は、字どおりには「シリコン内で」の意味ですが、実際には「コンピュータを用いて」を意味します。Silicoはシリコン(ケイ素)でコンピュータの半導体にシリコンが使われていることから、このような表現になっています。最近はコンピューターを使った医薬品開発が進んでいます。
図:以前は培養細胞(in vitro)や動物(in vivo)を使って、薬効のある物質を探索(スクリーニング)していた。最近では、コンピュータ解析によって候補薬物を絞り込むことで、医薬品開発の効率化が試みられている。
Connectivity Mapは米国のBROAD InstituteのWebページ上で提供されている遺伝子発現データベース及び解析用ソフトウエアです。
この研究で使用されている最新版(build 02)では、1,309種類の低分子化合物について行われた約7,000個の遺伝子発現解析実験のデータが公開されています。
この研究では、肺腺がんと正常肺組織の遺伝子発現パターンを比較し、肺腺がんの遺伝子群の発現パターンを正常細胞のパターンに戻すような化合物をコンピュータ上で解析しています。
つまり、1309種類の化合物をがん細胞に投与した場合の7000個以上の遺伝子の発現パターンの変化のデータベースから、どの薬物を使うとがん細胞を正常細胞の遺伝子発現パターンに近づけることができるかをコンピュータで計算させています。
その結果、幾つか化合物の候補が認められ、その中にベザフィブラートがあったので、それを実際に培養細胞や動物実験で試験すると、確かに抗がん作用があったという結果が得られました。
さらに、ベザフィブラートと相互作用する可能性がある細胞内たんぱく質をコンピュータで解析すると、サイクリン依存性キナーゼ2と相互作用することが示唆されました。
そこで、実際に肺腺がん細胞で検討すると、ベザフィブラートはサイクリン依存性キナーゼ2(CDK2)のmRNAの発現を抑制し、CDK2たんぱく質の活性化(リン酸化)を阻害する結果が得られたということです。
CDK2は細胞周期を進行させるたんぱく質で、CDK2の発現と活性化を阻害するとがん細胞の増殖を阻止できます。
この論文では、ベザフィブラートが単独でも抗腫瘍効果を発揮しますが、シスプラチンなど他の抗がん剤と併用すると、抗がん作用を増強できることを動物実験で確認しています。
以上の結果から、肺腺がんの治療においてベザフィブラートを使用する価値はあると言えます。特ににシスプラチンなどの抗がん剤治療中の併用は有効です。
PPARの汎アゴニストのベザフィブラートは様々なメカニズムで抗がん作用を示すようです。
また、ミトコンドリア新生を高めることはがん細胞の悪性形質を抑制するだけでなく、細胞の老化抑制にも効果があります。
つまり、ミトコンドリア新生を亢進し、酸化的リン酸化を亢進することはがん治療と抗老化に役立つと言えます。
カロリー制限やケトン食やメトホルミンやPPARアゴニストはいずれも、抗老化とがん予防効果が報告されています。そのメカニズムの中心にミトコンドリアがあると言えます。
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