527)がん組織のアルカリ化と抗がん剤治療(その1):プロトンポンプ阻害剤

図:がん細胞内では解糖系が亢進して乳酸と水素イオン(プロトン)の産生が亢進している。がん細胞内での酸性化を回避するため、液胞型プロトンATPアーゼ(V-ATPase)などのイオンポンプやトランスポーターなどを使ってプロトンを細胞外に排出している。その結果、がん組織が酸性化する。がん組織の酸性化はがん細胞の浸潤・転移を促進し、血管新生を誘導し、抗がん剤の効き目を弱め、免疫細胞の働きを弱めるなどの機序によって、がんを悪化させる。胃酸分泌阻害剤のプロトンポンプ阻害剤はV-ATPaseを阻害してがん組織の酸性化を抑制する。ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってピルビン酸脱水素酵素を活性化し、ミトコンドリアでの代謝を亢進し、解糖系を抑制し、乳酸とプロトンの産生を減らす。2-デオキシ-D-グルコース(2-DG)とケトン食はグルコースの取込みと解糖系を抑制して乳酸とプロトンの産生を抑制する。これらの方法でがん組織の酸性化を阻止すると、抗がん剤治療が良く効くようになる。

527)がん組織のアルカリ化と抗がん剤治療(その1):プロトンポンプ阻害剤

【がん組織の周囲は酸性になっている】
がん組織では乳酸の産生が増えています。がん細胞の代謝の特徴は、酸素が十分にあってもミトコンドリアでの酸素を使ったATP産生が抑制され、酸素を使わない解糖系が亢進していることです。
正常細胞では、グルコースからピルビン酸まで分解したあと、酸素があればTCA回路(クエン酸回路)と電子伝達系による酸化的リン酸化によってATPを生成しますが、酸素が無い場合はピルビン酸からさらに乳酸に分解します。
がん細胞の場合は、低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性亢進によって、ピルビン酸を乳酸に変換する乳酸脱水素酵素の発現量が増え、ピルビン酸をアセチルCoAに変換するピルビン酸脱水素酵素の活性が低下しているので、酸素が十分にあっても、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化は抑制され、乳酸の産生が増えることになります。この現象はワールブルグ効果、あるいは好気性解糖といってがん細胞の代謝の特徴です。
なぜ、ピルビン酸で止まらないで乳酸に変換されるかというと、その理由は、解糖系で還元されたNADH(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)を酸化型のNAD+に戻すためです。NAD+が枯渇すると解糖系が進行しなくなります。
NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)は酸化還元反応における電子伝達体として機能します。NADは酸化型(NAD+)と還元型(NADH+H+)の2種類の形で存在し、NAD+は解糖系の反応に必要で、解糖系で還元型になったNADH+H+を酸化型(NAD+)に戻すために乳酸が作られるのです(図)。この反応によって、酸素が無い状況でもグルコースを分解してATPの産生を続けることができるのです。 

図:解糖系ではグルコースからピルビン酸、ATP、NADH + H+が作られる。嫌気性解糖系や乳酸発酵では、NADH + H+を還元剤として用いてピルビン酸を還元して乳酸にする。乳酸に変換する反応によってNAD+を再生することによって解糖系での代謝が続けられる。

このワールブルグ効果の結果、がん組織では乳酸の産生が増え、乳酸と水素イオン(プロトン)の細胞内濃度が高まり、細胞内のpHが低下し酸性になります。
グルコース1分子が解糖で2分子の乳酸になるときに2分子のプロトン(H+)が産生されます。

 

細胞内のpHが低下して酸性になると細胞内のタンパク質の活性や働きは阻害され、pH低下が顕著になれば細胞は死滅します。そこで、がん細胞は乳酸や水素イオン(プロトン)を細胞外に排出しなければなりません。
乳酸はモノカルボン酸トランスポーターという輸送担体で細胞外に排出され、水素イオンは液胞型プロトンATPアーゼ(vacuolar H+-ATPases)、モノカルボン酸輸送体(monocarboxylate transporter:乳酸-プロトン共輸送体)Na+-H+ 交換輸送体1(Na+-H+ exchanger 1:NHE1)などによって細胞外に放出されます。
このような機序でがん細胞は積極的にプロトンを細胞外に排出するので、細胞外はより酸性になり、逆に細胞内はアルカリ性になります。

図:解糖によって産生された水素イオンは液胞型プロトンATPアーゼ(V-ATPases)、モノカルボン酸輸送体(monocarboxylate transporter:MCT)、Na+-H+ 交換輸送体1(NHE1)などによって細胞外に放出される。V-ATPaseはATPのエネルギーを使ってプロトンを細胞外に排出し、NHE1はナトリウムイオンと交換してプロトンを排出する。MCTは乳酸とプロトンを排出する。その結果、がん細胞の外はプロトン(水素イオン)が蓄積して酸性化する。がん組織(細胞外)が酸性化すると、がん細胞の浸潤・転移が促進され、血管新生の亢進、抗がん剤耐性、免疫細胞の活性抑制などが引き起こされる。

がん組織の微小環境は血液やリンパ液の循環が悪いので、水素イオンはがん組織に蓄積します。その結果、がん細胞の周囲の組織は水素イオンの濃度が高くなってpHが低下します
正常の組織のpHは7.3〜7.4程度とややアルカリ性ですが、がん組織の微小環境のpHは6.2〜6.9とより酸性になっていると言われています。
そして、がん組織の酸性化した微小環境は、がんの生存にとって様々なメリットを与えます。
組織が酸性化すると正常な細胞が弱り、結合組織を分解する酵素の活性が高まるため、がん細胞が周囲に広がりやすくなり、さらに血管新生が誘導されるので、がん細胞の浸潤や転移が促進されます。
組織が酸性になるとがん細胞を攻撃しにきた免疫細胞の働きが弱ります
さらに乳酸には、がん細胞を攻撃する細胞傷害性T細胞の増殖や、免疫細胞の働きを高めるサイトカインの産生を抑制する作用があり、がんに対する免疫応答を低下させる作用もあります。
抗がん剤の多くは塩基性なので、酸性の組織には抗がん剤が到達しにくくなり、活性が低下するということも指摘されています。
したがって、がん組織の酸性化を改善できれば、抗がん剤治療や免疫療法の効き目を高めることができることになります
さらに、水素イオンの排出メカニズムを阻害してがん細胞内のpHを低下させれば、がん細胞を死滅させることもできます。

【がん細胞内は正常細胞よりもアルカリ性になっている】
がん細胞では解糖系の亢進によって、乳酸と水素イオン(プロトン)の細胞内での産生が亢進しています。したがって、「がん細胞内も酸性化している」と思うかもしれません。
しかし事実は逆で、「がん細胞内では正常細胞よりアルカリ性になっている」ことが明らかになっています。そして、細胞内をアルカリにすることが、細胞の発がん過程の初期から起こっており、これが解糖系を亢進する重要な要因になっているのです。
つまり、がん細胞でワールブルグ効果(解糖系亢進と酸化的リン酸化の抑制)が成立する前に細胞内のアルカリ化が起こっていることが明らかになっています。
発がん過程における、がん遺伝子やがん抑制遺伝子の様々な関与については多くの研究が行われています。
一方、細胞の内外における水素イオン(プロトン)の動態については、最近になってやっと研究が行われるようになりました。
水素イオン指数(pH:potential of hydrogen)は水素イオンの濃度を表す物理量です。
pHの読みは「ピーエイチ」(英語読み)、または「ペーハー」(ドイツ語読み)です。
pHは水素イオンのモル濃度を mol/Lで表した数値の逆数の常用対数で示したもので、数値が低いほど酸性(プロトン量が多い)、数値が高いほどアルカリ性(プロトン量が少ない)になります。
細胞内のpH(pHi)と細胞外のpH(pHe)のpH勾配(pH gradient)は正常細胞とがん細胞では逆になっています。
すなわち、正常細胞では細胞内に比べて細胞外の方がよりアルカリ性で、がん細胞では細胞内がアルカリ性で細胞外が酸性になっています。
がん遺伝子を導入して細胞をがん化させる実験で、細胞ががん化する過程で、細胞内のエネルギー産生系がミトコンドリアの酸素呼吸(酸化的リン酸化)から解糖系にシフトします。
この実験系で、細胞のがん化が進むにつれて、細胞内がよりアルカリ性になり、細胞外がより酸性になることが示されています。
そこで、このpH勾配を少なくする、あるいは正常化する(細胞内を酸性にして、細胞外をアルカリ性にする)ことががん治療のターゲットとして注目されています。
がん細胞における好気性解糖(酸素が十分にあっても解糖系に依存)を中心とする代謝と、がん細胞の増殖を支える血管の新生をターゲットにしたがん治療を考えたとき、細胞内外のプロトン動態が重要なターゲットになるのです。
細胞内のpHは、細胞増殖の制御、増殖因子やがん遺伝子の活性、ミトコンドリアの活性、酵素活性、DNA合成、分化など様々な細胞機能に影響しています。
正常細胞では細胞内のpH(pHi)は6.99〜7.05とほぼ中性で、がん細胞では細胞内のpH(pHi)は7.12〜7.7とアルカリ性です。
一方、細胞外のpH(pHe)は正常細胞が7.3 〜7.4とアルカリ性であるのに対して、がん細胞の細胞外のpH(pHe)は6.2〜6.9と酸性です
したがって、細胞内外のpH勾配は正常細胞とがん細胞では逆になっています。

図:正常細胞では細胞内pH(pHi)は6.99〜7.05とほぼ中性で、細胞外pH(pHe)は7.3〜7.4とアルカリ性になっていて、pHeがpHiより高い。一方、がん細胞では細胞内pHは7.12〜7.7とアルカリ性になって、細胞外pHは6.2〜6.9と酸性になって、pHiがpHeより高い。

【がん細胞内のアルカリ化は解糖系亢進(ワールブルグ効果)を促進している】
上述のように、細胞内pHと細胞外pHの差は正常細胞ではマイナス(細胞外の方がpHは高い)でがん細胞ではプラス(細胞内の方がpHは高い)になっています。
がん細胞において、細胞内pHがアルカリ性で、細胞外が酸性という状況が細胞増殖や血管新生を促進する重要な要因になっていることが明らかになっています。
したがって、がん細胞の細胞内pHを低下(酸性化)させ、細胞外pHを高める(アルカリ化)方法は、有望ながん治療となります
がん細胞では、解糖系の亢進によって乳酸とプロトン(水素イオン)の産生は亢進しています。しかし、がん細胞では、プロトンの細胞外排出能を高めることによって、細胞内をアルカリ性に維持し、細胞外の酸性度を高めています。
この細胞外へのプロトンの排出は前述のように、Na+-H+ 交換輸送体1(Na+-H+ exchanger 1:NHE1)、液胞型プロトンATPアーゼ(vacuolar H+-ATPases)、H+/Cl 共輸送体(H+/Cl symporter)、モノカルボン酸輸送体(monocarboxylate transporter:乳酸-プロトン共輸送体)、ナトリウム依存性Cl/HCO3 交換体(Na+-dependent Cl−/HCO3− exchangers)、炭酸脱水酵素(Carbonic anhydrase)、ATP合成酵素(ATP synthase)などのトランスポーターや酵素によって制御されています。
がん細胞は解糖系での代謝が亢進しており、その結果、乳酸とプロトン(水素イオン)の産生が増えています。
この乳酸とプロトンを細胞外に積極的に放出することによって、細胞内はアルカリ側に維持しています。
がん組織は細胞外液の循環が悪いので、細胞外に乳酸やプロトンが蓄積して、細胞外は酸性になっています。
このpH勾配の逆転ががん細胞の悪性化進展に関与していることが示されています。
がん遺伝子を導入して細胞のがん化を誘導する実験で、細胞のがん化の過程の初期にNa+-H+ exchanger 1(Na+-H+ 交換輸送体1: 1NHE1)活性が亢進して、がん細胞内のpHがアルカリ化することが観察されています。
この細胞内のアルカリ化は、解糖系での酵素活性を高め、好気性解糖(ワールブルグ効果)を亢進し、細胞の増殖を促進します。
つまり、細胞のがん化過程においてNHE1活性が亢進し、細胞内のアルカリ化が亢進することが、細胞の解糖系とがん化過程をさらに亢進することになるのです。
がん細胞のエネルギー代謝で最も特徴的なのが、酸素が十分に利用できる状況でも、がん細胞はミトコンドリアでの酸素呼吸(酸化的リン酸化)が抑制され、酸素を使わない解糖系でのグルコース代謝が亢進していることです。
この現象は、オットー・ワールブルグ博士によって発見されたのでワールブルグ効果と呼ばれています。
解糖系と酸化的リン酸化の活性は細胞内pHに依存していますが、その作用は逆です。つまり、細胞内のアルカリ化に伴って、酸素呼吸から解糖に移行するのです。
細胞内pH(pHi)がアルカリ化すると解糖系酵素(ホスホフルクトキナーゼ-1や乳酸脱水素酵素など)の活性が亢進することが明らかになっています。
解糖で1分子のグルコースから2分子のプロトンが産生されます。
NHE1(Na+-H+ 交換輸送体1:Na+-H+ exchanger 1)は細胞外のナトリウムイオンと細胞内のプロトンを交換しながら細胞内のプロトンを細胞外に放出する働きを示す交換輸送体です。
pHiが低下(酸性化)するとNHE1にプロトンが結合して構造が変化し活性化します。
NHE1の発現と活性が亢進すると、細胞内はアルカリ化し、細胞外は酸性になります。
NHE1の発現が多いほど、予後が悪いことが報告されています。
がん細胞内が酸性になるとNHE1にプロトンが結合して活性が亢進するので、細胞内の解糖系を阻害するとNHE1の活性を抑制できます。
また、NHE1の発現は低酸素誘導因子-1(HIF-1)で誘導されるので、HIF-1の活性を抑制すると、NHE1の活性を抑制できます。
ジクロロ酢酸やジインドリルメタンはHIF-1の活性を抑制します。(364話参照)
モノカルボン酸トランスポーター(Monocarboxylate transporter:MCT)は乳酸やピルビン酸やケトン体と一緒にプロトン(水素イオン)を受動拡散で排出する共輸送体です。
これもHIF-1で誘導されます。
HIF-1はプロトンを細胞外に排出するポンプやトランスポーターや酵素の発現を亢進して、細胞内pHをアルカリ性(7.3以上)に維持しようとしています。したがって、HIF-1のは発現や活性を抑えることは、がん組織の酸性化を阻止します
MCTはpHi(細胞内pH)を高め、pHe(細胞外pH)を低下させます。MCTを阻害するとpHiが低下(酸性化)して増殖活性が低下することが示されています。
液胞型プロトンATPアーゼ(V-ATPases)はATPのエネルギーを使ってプロトンを細胞外に排出します。
NHE1やMCTの阻害剤は抗がん作用が期待できるので開発中ですが、まだ臨床で使用できるものはありません。
一方、液胞型プロトンATPアーゼ(V-ATPases)は、胃薬として既に使用されているプロトンポンプ阻害剤で阻害できることが報告されています。
プロトンポンプ阻害剤で細胞外をアルカリ性にして細胞内を酸性にすると、がん細胞の増殖を抑え、抗がん剤の効き目を高めることができます

【がん組織の酸性化を促進するV型ATPアーゼ】
がん細胞の水素イオンの排出に大きな役割を果たしているのが前述のV型ATPアーゼです。がん細胞ではこのV型ATPアーゼの発現が亢進しており、がん組織の酸性化に関与しています。
V型ATPアーゼの阻害薬ががんの治療薬として開発が行われていますが、胃酸分泌阻害剤としてすでに使用されているプロトンポンプ阻害剤がV型ATPアーゼを阻害する作用があることが知られています。
胃潰瘍の治療に使われるプロトンポンプ阻害剤は、主に胃のH+/K+ATPasesを阻害しますが、V型ATPaseも阻害します。
実際に、動物の移植腫瘍を使った実験などで、プロトンポンプ阻害剤が腫瘍組織の酸性化を改善して抗がん剤や免疫療法の効果を高める作用が報告されています。
細胞膜を隔てた物質の輸送には、濃度の高い方から低い方に向かって行われる受動拡散と、濃度勾配に逆らって物質の輸送を行う能動輸送の2種類があります。
受動拡散の場合の膜を通るルートの膜貫通タンパク質はチャネル(channel)と言い、能動輸送に関与する膜貫通タンパク質はポンプ(pump)と言います。
濃度勾配に逆らって物質を輸送するためにはATPによるエネルギーが必要です。
ATPのエネルギーを使って、水素イオンを能動的に輸送するトランスポーターとしてがん細胞における水素イオンの細胞外への排出に関与しているのがV型ATPアーゼです。つまり、ATP依存性のプロトンポンプです。
V型ATPアーゼはvacuolar ATPaseの日本語訳です。液胞型ATPアーゼ液胞型プロトンポンプなどとも訳されています。ATPアーゼとはATP(アデノシン三リン酸)の末端高エネルギーリン酸結合を加水分解する酵素群の総称で、ATPを使って生物活動に行うタンパク質の多くがこの活性を持っています。
つまり、V型ATPアーゼは液胞のプロトン(水素イオン)の能動輸送を行うATPアーゼ活性をもったタンパク質で、ATPのエネルギーを使ってプロトン(水素イオン)を能動的に細胞膜を通して輸送するタンパク質です。
V型ATPアーゼは、細胞のゴルジ体、液胞、リソソーム、細胞膜等の膜系に存在し、10数個の異なるサブユニットから構成される複合体です。ATP の加水分解反応と共役した回転触媒機構により水素イオン(プロトン)を輸送し、空胞内部を酸性化します。
例えばリソソームは細胞内に蓄積された不要物を分解したり、細胞外から取り込んだ物質を分解する小胞で、リソソームの内部は酸性条件下で活性化される加水分解酵素が含まれています。このリソソームの空胞内部に水素イオンを輸送して内部を酸性にするのがV型ATPアーゼです。
細胞内では、外部の物質を取り込んで消化するエンドサイトーシスや、細胞内の古くなった小器官などを消化するオートファジーなど、細胞内での物質の分解は膜で囲まれた小胞内で行われ、この内部の加水分解酵素の活性化に必要なpHに下げる役割がV型ATPアーゼです。
そして、がん細胞では、細胞内で大量に生成した水素イオンを細胞の外に排出する役割も担っています。 

【V型ATPアーゼを阻害するとがん細胞の悪性度は低下する】
V型ATPアーゼはATP依存性のプロトンポンプで、細胞膜を通してプロトン(H+:水素イオン)を外に排出します。正常細胞では細胞内pHの調節に重要な役割を果たしています。
がん細胞では、さらに重要な役割を担っています。それはがん細胞では解糖系の亢進によって乳酸と水素イオンの産生が増えて、細胞内が酸性になりやすい状況にあり、細胞内の酸性化を防がないと細胞死を起こすからです。
したがって、がん細胞ではこのV型ATPアーゼの発現量が顕著に増えています。V型ATPアーゼの発現量増加ががん細胞の浸潤や転移や抗がん剤抵抗性と関連していることが明らかになっています。
がん細胞の周囲が酸性になると、正常細胞(特に免疫細胞)がダメージを受けて働きが抑制され、結合組織を分解する酵素が活性化されて、転移や浸潤や血管新生が促進されます。
さらに、がん細胞の周囲が酸性だと、多くの抗がん剤は塩基性であるため、がん細胞内に集まりにくくなります。
そのため、がん細胞におけるプロトンポンプの働きを阻害すると、がん細胞の浸潤や転移や抗がん剤抵抗性を抑制できると考えられています。
V型ATPアーゼそのものの阻害を目的にした抗がん剤の開発も行われていますが、まだ臨床で使えるものはありません。しかし、胃潰瘍の治療に使用されるプロトンポンプ阻害剤が、このV型ATPアーゼを阻害することが報告されています。
プロトンポンプ阻害剤は胃の壁細胞のプロトンポンプに作用し、胃酸の分泌を抑制する薬です。医薬品としては、オメプラゾール(オメプラール・オメプラゾン)、ランソプラゾール(タケプロン)、ラベプラゾールナトリウム(パリエット)、エソメプラゾール(ネキシウム)など多数の薬が販売されています。
これらのプロトンポンプ阻害剤ががん細胞の抗がん剤感受性を高める効果、がん細胞に対する免疫細胞の働きを高める効果、がん細胞内の水素イオン濃度を高めてがん細胞を死滅させる効果などが報告されています(図)。

 

図:がん細胞は解糖系によるグルコース代謝が亢進して乳酸と水素イオン(プロトン、H+)の産生量が増える。細胞内の酸性化は細胞にとって障害になるので、細胞はV型ATPアーゼ(vacuolar ATPase:液胞型ATPアーゼ)やモノカルボン酸トランスポーター(MCT)などの仕組みを使って、細胞内の乳酸や水素イオン(プロトン)を細胞外に排出する。その結果、がん細胞の周囲はpHが低下してがん組織は酸性化している。組織が酸性化すると、細胞傷害性T細胞のようながん細胞を攻撃する免疫細胞の働きが阻害される。塩基性の抗がん剤は酸性の組織に到達しにくくなり抗がん剤が効かなくなる。さらに、周囲の正常細胞がダメージを受け、タンパク分解酵素が活性化してがん細胞の浸潤や転移が促進される。腫瘍を養う血管の新生も誘導される。胃酸分泌阻害剤として使われているプロトンポンプ阻害剤はV型ATPアーゼ(V-ATPase)を阻害することによって、がん組織の酸性化を抑制し、がん細胞の浸潤や転移を抑制し、抗がん剤や免疫療法が効きやすくする効果が報告されている。さらに、がん細胞内の酸性化が亢進すると、がん細胞を死滅できる可能性も報告されている。

【プロトンポンプ阻害剤は抗がん剤の効き目を高める】
抗がん剤治療とプロトンポンプ阻害剤併用の有用性を示す論文が報告されています。人間での有効性も報告されています。以下のような論文があります。

Proton pump inhibitor chemosensitization in human osteosarcoma: from the bench to the patients' bed.(ヒト線維肉腫におけるプロトンポンプ阻害剤による抗がん剤感受性の亢進;実験台の結果から臨床へ)J Transl Med. 2013 Oct 24;11:268. doi: 10.1186/1479-5876-11-268.

【要旨】
研究の背景:がんの基礎研究を臨床応用に反映させる上で最も大きな目標は、現行の抗がん剤治療の全身的な毒性を減らし、抗腫瘍効果を高めることである。多くのがん組織において認められる微小環境の酸性化は、がん細胞が抗がん剤の効き目を減弱させるメカニズムとしては非常に有効な方法である。
それは、水素イオン(プロトン:H+)が多い環境に抗がん剤が到達すると、その抗がん剤はプロトン付加(protonation)と中性化によってがん細胞内に入り込みにくくなるからである。
この腫瘍組織の性状をプロトンポンプ阻害剤が変えることによってがん細胞の抗がん剤感受性が高まることを、我々は以前の研究で示している。この研究では、プロトンポンプ阻害剤が骨肉腫に対する抗がん剤感受性を高める効果があるかどうかを検討した。

方法: MG-63 と Saos-2 の2種類のヒト骨肉腫細胞の細胞株を用いて実験を行った。マウスに肉腫細胞を移植する実験系でプロトンポンプ阻害剤で前処理したあとにシスプラチンを投与し、細胞増殖に対する作用を評価した。
臨床において、メソトレキセートとシスプラチンとアドリアマイシンによる補助化学療法においてプロトンポンプ阻害剤の前投与による効果を検討する多施設臨床試験を実施した。

結果:培養細胞を使った実験と移植腫瘍を用いた実験で2種類のヒト骨肉腫細胞株のどちらに対しても、プロトンポンプ阻害剤はシスプラチンに対する抗がん剤感受性を高めた。
プロトンポンプ阻害剤のエソメプラゾール(esomeprazole)を前投与する臨床試験では、 がん組織の壊死した組織の割合から評価した抗がん剤治療による抗腫瘍効果をエソメプラゾールは増強した。
この作用は、治療が困難な骨肉腫の組織型である軟骨芽細胞骨肉腫(chondroblastic osteosarcoma)において特に顕著に認められた。
プロトンポンプ阻害剤投与によって副作用が増強することはなかった。

結論:標準的な抗がん剤治療にプロトンポンプ阻害剤を併用することが有効であることの証拠を本研究は示している。

プロトンポンプ阻害剤ががん細胞の抗がん剤感受性を高めることは今までに多くの報告があります。
がん細胞では解糖系が亢進し、乳酸の産生が亢進し、組織が酸性化しているのが特徴です。この組織の酸性化は免疫細胞の働きを弱めたり、結合組織を分解する酵素の活性を高めてがん細胞の浸潤や転移を促進したり、血管新生を促進する作用などがあります。さらに抗がん剤ががん細胞内に入りにくくなったり活性が低下する作用もあります。
したがって、がん組織の酸性化を阻止すると抗がん剤が効きやすくなることが多くの動物実験で示されています。
そして、この論文では、人間での臨床試験の結果で、プロトンポンプ阻害剤が抗がん剤治療の効果を高めることを報告しています。
この臨床試験では手術可能な骨肉腫の患者を対象にして、プロトンポンプ阻害剤のエソメプラゾール(esomeprazole)を術前補助化学療法(メソトレキセート+シスプラチン+アドリアマイシン)の投与を受ける前の2日間の内服を受けています。
そして手術後の腫瘍組織の病理検査で、抗がん剤治療によってがん組織が壊死した程度を、過去のデータと比較しています。
その結果、抗がん剤治療が良く効いた症例(good responder:壊死した腫瘍部分が90%以上)の割合は抗がん剤治療単独では47%に対して、抗がん剤にプロトンポンプ阻害剤を併用した場合は57%に増加するという結果が得られています。
治療に抵抗性の軟骨芽骨肉腫(chondroblastic osteosarcoma)の場合は、抗がん剤単独ではgood responderは25%に対してプロトンポンプ阻害剤を併用すると61%になるという結果が得られています。そして、副作用の程度は両群で差は認められていません。
プロトンポンプ阻害剤を服用してがん組織のpHをアルカリ側にすることはがん治療にプラスになると言えそうです。
次のような論文もあります。

Lansoprazole as a rescue agent in chemoresistant tumors: a phase I/II study in companion animals with spontaneously occurring tumors(抗がん剤抵抗性腫瘍の救援成分としてのランソプラゾール:自然発症腫瘍をもつペット動物における第I/II相試験)J Transl Med. 2011; 9: 221.

ランソプラゾールはタケプロンという商品名の胃酸分泌阻害剤です。
抗がん剤単独(犬10匹+猫7匹)と 抗がん剤+Lansoprazole((犬27匹+猫7匹)で検討し、抗がん剤単独群では17%に短期間の部分奏功を認めましたが、その他は全て2ヶ月以内に死亡しました。Lansoprazoleを併用した群では部分奏功+完全奏功が67.6%でした。奏功しなかった動物でもQOLの改善を認めました。 

【プロトンポンプ阻害剤とジクロロ酢酸は相乗効果でがん組織の酸性化を軽減する】
ジクロロ酢酸はピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害してピルビン酸脱水素効果を活性化して、ミトコンドリアでの酸素呼吸(酸化的リン酸化)を亢進し、乳酸とプロトンの産生を抑制します。
ジクロロ酢酸は低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性を抑える作用もあります(364話参照)。HIF-1は乳酸脱水素酵素を活性化するので、HIF-1の活性阻害は乳酸とプロトンの産生を減らします。
線維肉腫細胞(HT1080)を移植したヌードマウスの実験モデルで、ジクロロ酢酸ナトリウムとオメプラゾールは相乗的に増殖を抑制するという報告があります。
ジクロロ酢酸ナトリウムでピルビン酸からアセチルCoAへの変換を促進すると乳酸の産生が抑制されます。プロトンポンプ阻害剤とジクロロ酢酸ナトリウムの併用は、がん組織の酸性化を抑制する効果を高めることになります
ジクロロ酢酸ナトリウムとプロトンポンプ阻害剤(オメプラゾール)の併用で相乗効果が期待できることが報告されています。以下のような論文があります。

Cotreatment with dichloroacetate and omeprazole exhibits a synergistic antiproliferative effect on malignant tumors. (ジクロロ酢酸とオメプラゾールの併用投与は悪性腫瘍に対して相乗的な増殖抑制効果を示す)Oncol Lett. 3(3): 726–728.2012年 

線維肉腫細胞を移植したヌードマウスの実験で、ジクロロ酢酸ナトリウム50mg/kg+オメプラゾール2mg/kgの併用で著明な腫瘍の縮小が認められています。
それぞれ単独では腫瘍の縮小は認めなかったが併用すると著明な縮小効果が認められたという結果です。正常な線維芽細胞に対しては増殖抑制効果は認めなかったと報告されています。
プロトンポンプ阻害剤(PPI)はがん細胞に対する免疫細胞の攻撃力を高めます。
PPIが骨肉腫や転移性乳がんや頭頚部がんの抗がん剤治療の効き目を高めることが臨床試験で示されています。
ジクロロ酢酸ナトリウムの投与でがん組織の酸性化が緩和されると免疫細胞の働きが良くなって抗腫瘍免疫による抗がん作用が強化されることが報告されています。がん組織の酸性化が免疫細胞の働きを抑制するからです。
したがって、ジクロロ酢酸ナトリウムとプロトンポンプ阻害剤の併用は抗腫瘍免疫の活性化にも効果が期待できます。(359話参照)
ジクロロ酢酸ナトリウム単独での治療では抗腫瘍効果に限界があります。
そこで、いろんな組合せが試されています。
標準治療としては、種々の抗がん剤との併用で抗腫瘍効果を高める作用が報告されています。
プロトンポンプ阻害剤は抗がん剤治療による胃粘膜障害による副作用や消化器症状を緩和するという臨床試験の結果も報告されています。したがって、抗がん剤治療中や免疫療法を受けているときに、がん組織の酸性化を軽減し、胃腸症状を緩和する目的でプロトンポンプ阻害剤を併用するメリットはあると言えます。
その他、解糖系を阻害する2-デオキシ-D-グルコースやケトン食の併用も、がん組織の酸性化を抑制して、抗がん剤治療の効き目を高めると言えます。(トップの図参照)

 

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