FUNAGENノート

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異常気象で、正の財(グッズ)と負の財(バッズ)を再び

2018-07-25 18:04:56 | コラム
異常気象で、再び正の財(グッズ)と負の財(バッズ)を取り上げる
 最近の異常気象は、正気ではない。この異常気象は世界中で起きている。いったい地球はどうなってしまったのだろうか。それで、もう一度、このエッセイを掲載することにした。なお、このエッセイは、私の「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(風詠社)にも載っている。それに、異常気象についても、少し付け加えることとした。
 正の財(グッズ)と負の財(バッズ)の狭間で(読書ノート)
今回は「変態する世界」(ウルリッヒ・ベック著・枝廣淳子+中小路佳代子訳・岩波書店)を読んで、自分なりにまとめたものをお届けする。
 ウルリッヒ・ベックは、この本の中で、つぎのように言っている。『「変態」とは、現在社会の昔ながらの確実性がなくなって、新しい何かが」出現してきているという、もっとも急進的な変容を意味する。』
『気候のリスクは私たちに、国が世界の中心ではないことを教えてくれる。』
 世界が国や人々の周りを回っているのではなく、国々や人々が「世界」と「人類」という新たな恒星の周りを回っていると言うのだ。
 貧しい人々は国境を越えて行動する。富める人々も、国境を超えて、より多くの利益を上げるところにお金を投資したり課税を逃れようとする。これこそが、グローバル化のもたらしたリスクとなる。
 スマートフォンの「世界」に足を踏み入れたことにより、私たちは情報の虜になり、多国籍企業はデータ集積によって手に入れた資源によって、私たちは気づかぬうちに、コントロールされることとなる。これも現代社会によって生み出されたリスクである。富める者は、その情報資源を有効に使い、ますます富み、一般庶民はこの情報に振りまわされることとなる。
 そうならないためには、情報を読みとることと、実際に現実を見てふれて読みとることを区別する必要がある。そうでなければ、フィルターのかかった情報の取得や、場合によってはそれが炎上をもたらし、人々の好みや習慣に応じて調整されたデジタル世界で、個人が操られることとなる。そこにあるのは、虚構と現実との区別がつかなくなっている自分がいることとなる。
 私たちの世界は、リスクを生み出す者と、その影響をもろに受ける者とが存在する。リスクを産み出す国や企業は天然資源は無尽蔵で、いつまでも経済成長(グッズ・正の財)が望めるものと信じて疑わない。彼らはイノベーションで消費を生みだそうと躍起である。生産活動が生み出すリスク(負の財・バッズ)については眼中にない。
 イノベーションを目指す時、そこにはグッズの生産と配分という目的があるのだが、そこには必然的にバッズ(負の財)の生産を伴うこととなりり、バッズ(負の財)の生産と配分がついてまわる。まさにこのすさまじい異常気象はバッズの生産そのものであり、我々もその配分を否応なしに受けている。
 このバッズというリスクは、必ずわたしたちに影響を与えるが、それをバッズ(正の財)を旗印に、意志決定するのは、国家や企業である。そして、彼らは決して責任を負わない。しかも、このリスク(バッズ)たるやただ単に国内にとどまることなく、世界中に拡散する。結果人々は否応なしにリスクの分配を受けることとなる。
 グッズ(正の財)として、研究された医療技術によって、人間の生命を製造したり、臓器移植が可能になところまできているのだが、それがいろいろとバッズ(負の財・リスク)の生じる原因となっている。
 医療費の高額化や、選択や評価などの価値観の多様化、そして何よりも人間存在の根幹にかかわる問題となって現れる。貧しい国の人々の臓器や卵子、精子が、富める国の富裕層に売るビズネスが生まれている。
 ところが、このようなリスクは可視化されていない中で生じていて、よく注意しないとみのがしてしまう。私たちの世界には、多くの目に見えないリスクが存在している。気候変動、原子力や金融投資に関するリスク、遺伝子組み替え、ナノテクノロジー、生殖医療、SNSに関するリスクなどだ。
 ところが、やっかいなことに、例えば原子力発電について考えてみると、原子力産業や研究者はリスクを生みだす一方で、リスクの査定という両面をもっている。そのことが安全神話となって、あの悲惨な原発事故となった。それにも懲りずに原発再稼働に走っている。また、火力発電もこれまた、排気ガスをまき散らす。だから、再生化のエネルギー開発こそ急がなければならない。
 それにしても、先にあげた諸々のリスクは国民国家の内外に社会的不平等をもたらす。富める者がますます富み、貧しい者がますます貧しくなるという状況に歯止めをかけるような動きはあまり感じられない。もっと平等や人権に関する社会的規範が広がることを望むだけだ。
 国際社会を見ていると、残り物の豊かさをめぐって、諍いを繰り広げている。片方は、少ないパイを守ろうとして、移民排斥をかかげ、一方は良い暮らしを求めて、国境を突破しようとしている。
 今後さらに富の分配をめぐっての闘いが激しさをますことだろう。将来的におそらくより急激に明らかになるだろう。不平等を回避するための資源が少なくなる中、グッズ(正の財)の分配はおろか、バッズ(負の財)によって引き起こされるリスク(気候変動、自然災害、金融危機、科学技術、文化・芸術などで展開されるリスク)による不平等社会、荒れ狂う心の問題、環境破壊にどう立ち向かうのかが問われている。
 大切なことは、自己中心の発想ではなく、平等や人権に対する意識をとりもどすことであろう。地球の本来の姿をとりもどすことであろう。自国がよければ良い、自分の会社がよければ良い、自分がよければ良いという考えを捨て、広い視野をもって事にあたることが求められているのだろう。
 アメリカのトランプ政権は、自分の国さえよければ良いと考えている。トランプ氏は、温暖化対策の新しい枠組み「パリ協定」を否定してはばからない。大なり小なり、この大きなうねりは、世界中に広がっている。
 自国だけを極度に大事にするナショナリズムは自己中心的考えに陥り、人種差別(弱者・恵まれない人や身障者への差別)、環境破壊の無視などを公然と正当化してしまう。あるいは、正当化まではいかなくても、タテマエ(パリ協定に賛成)とホンネ(目先の利益や景気)の使い分けが見え隠れしている。日本だって例外ではない。
 この異常気象を体験して思うのは、今世界の指導者たちは温暖化対策をどうするか、直近の課題だと思う。このまま行くと、いずれ地球は壊れてしまうであろう。


私も本を出しました。是非皆様に紹介していただければと思います。今迎えようとしています「終戦の日」を機会に、もう一度「過去と未来をつなぐ架け橋」について考えていただきたいと思います。アマゾンや楽天、紀伊國屋ネットなどで扱っています。書店でも在庫がなければ注文可能です。

「戦中・戦後世代から現代を見つめる」(船場幸二著・風詠社・1400円+税)です。


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