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奈良の昔はなし(守目堂の由来)

2020-01-22 06:52:08 | 地域と文化
奈良の昔はなし~守目堂の由来~
 天理市のほぼ中央にある守目堂町ですが、この地名の由来となった観音様の有難いご利益のお話しです

昔、森面堂村に貧しいながらも幸せに暮らしている夫婦がいました。
ある日、夫が田んぼから帰ると、突然、「何も見えへん。お前はどこや。」と言い出すではありませんか。
驚いた妻が夫の顔を覗き込んだのですが、夫は両手で目をこすり、「見えへん。真っ暗じゃ」と嘆くばかりです。
妻は近くの白山神社に観音堂のあることを思い出し、三・七・二十一日の願掛けを始めたのです。
しかし、21日目の満願の日になっても夫の目は良くならないのでした。妻は「もう一回」と、また一心不乱に祈り続けました。そして、二回目の満願の日が来ても夫の目はまだ同じで見えていませんでした。
今度は夫婦そろって「夫の目が治るまで」と、お参りを続けたのです。
そうしたある日、夫は「あっ、目が見える。お前の顔も」と大声で叫んだのです。
二人は、これも観音様のお陰と涙を流して喜び合ったのです。
以来、森面堂という地名が、誰言うとなく、目を守ってくださるお堂として守目堂となったそうです。
・・・解説・・・
この観音堂は、古くは同町の白山神社の神宮寺で、明治8年ころに現在の地に移されたと言われます。
かつて、お堂の周辺には稲田が一面に広がっていたそうですが、今は、民家、集合住宅、駐車場に埋もれ、それと気付かず通り過ぎてしまいそうになっています。
とはいえ、お堂は簡素ながら屋根は宝珠を戴く宝形造りとなっています。堂内の須弥壇(しゅみだん)に祀られた霊験あらたかな十一面観音立像。
木彫りに金箔が押された端正な立ち姿で、高さは約1mです。胸飾りや翻(ひるがえ)る天衣(てんね)も美しいです。
観音様の前に十五畳の畳敷きの広間があり、天井からは大きな天蓋があります。
このお堂とお像を、地域の有志7人が今も大切にお守りしてるということで、最高齢の方は百歳だとか。
月に1回、掃除、お供え、御詠歌(ごえいか)でのお勤めを欠かさずおこなっています。また、年末年始はとくに丁寧にされるそうです。
餅、みかん、松飾りなどを準備し、正月にはお勤めのあと、須弥壇奥にある小部屋で雑煮、煮しめ料理を頂いて新年を祝い、観音様に皆の健康長寿と幸福を祈るそうです。
街なかで、ひっそりと祀られている十一面観音立像。今日も、目の病やあれやこれやと悩める人たちの参拝を慈悲の心で待っておられます。
~物語ゆかりの地「守目堂の観音堂」~
守目堂は、古代、朝廷の田を耕した田部に類し、朝廷の山を守った部民がいた所ではないかと言われています。
天理市役所から南へ300mの所には「守目堂町」の地名に由来する観音様があり、ここには、眼病を治されたいう十一面観音立像が安置されています。

      


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