#663: もし…

2014-11-26 | Weblog
「もし」(若し)を手元の国語辞典で引くと、「(副)そうなることを仮定するようす。かりに。」とあって、「~雨が降ったら行かない」という例文が出ている。さらに、「下に、“ば”、“たら”、“ても”などの言い方がくる。“もしも”も同じ。」という参考まで書かれてあった。
英語だと接続詞“If”を使った仮定法というやつだ。


蚤助がジャズに興味を持ち始めた高校生の頃、FMのジャズ番組から、ピアノのちょっとノスタルジーを誘うような旋律が流れてきた。
それは“If”という古い曲で、ジャズ・ピアノのヴァーチュオーゾ、アート・テイタムの演奏だった。録音のせいか少しくぐもったピアノの音色は、モダン・ジャズのような刺激には欠けるが、流麗でスムーズなタッチがするりと蚤助の心の中に入り込んできたのだった。
テイタムが亡くなる直前(56年)の録音で、後にこの演奏が収録されたLPを手にしたときはとても嬉しかったものだ。
それまで、洋楽ポップス小僧だった蚤助が、最初に気に入った外国のいわゆる「懐メロ」だったかもしれない。

もともとは、1934年に出版された Robert Hargreaves、Stanley J. Damerell 作詞、Tolchard Evans 作曲のイギリス製の歌で、ペリー・コモ、ジョー・スタッフォードなどが歌ってアメリカでヒットさせた。蚤助が生まれるちょっと前、50年代初めの頃のハナシである。

“If they made me a king, I'd be but a slave to you…”(もし王様になれたとしても、私はあなたの奴隷でいたい…)という仮定法を使ったロマンティックなラヴソングであったが、今の耳で聴くといささか大時代に感じられる。
ペリー・コモの歌が長いことヒット・パレードの上位にランクされていたという。


コモのレコーディングと前後して、夫君ポール・ウェストンのオーケストラの伴奏で歌ったジョー・スタッフォードのヴァージョンもヒットした。彼女の息の長い滑らかなフレージングによる唱法が支持を集めたわけだが、彼女は king を queen と歌詞を替えて歌った。


残念なことに、蚤助が気に入ったこの歌も最近ではあまり耳にすることがなくなった。
単なる流行歌のままに終わって、スタンダード・ナンバーのリストに載りそこなったというわけだ。

♪ ♪

ところで、前々回の稿に登場したカーペンターズのヒット曲“For All We Know”(ふたりの誓い)の作詞をしたロブ・ロイヤーとジェームズ・グリフィンが在籍したブレッドは、デヴィッド・ゲイツを加えたシンガー・ソングライター3人組のソフト・ロック・グループであった。
ゲイツは60年代からスタジオ・ミュージシャンとして活動していたが、68年にグリフィンやロイヤーと出会い、ブレッドを結成したのである。

3人とも様々な楽器をこなすマルチ・ミュージシャンであったが、70年にドラマーとしてマイク・ボッツが加わり4人組のバンドとなった。
“Make It With You”(二人の架け橋)、“Dismal Day”(灰色の朝)、“Baby I'm-A Want You”(愛の別れ道)、“Everything I Own”(涙の想い出)、“Guitar Man”(ギター・マン)など、ちょっとセンチメンタルな日本人好みのヒット曲を連発したが、彼らには“If”という上記の古い歌と同名異曲のヒット・チューンがある。

デヴィッド・ゲイツの作詞・作曲で71年に大ヒットした。懐メロの“If”と比べれば随分と新しい歌だが、少なくとも70年代の楽曲の中で傑出したもののひとつであることは間違いない。
コマーシャル、BGM、ドラマなどに使用され、曲名は知らなくても、どこかで耳にしたことがあるに違いない。甘いメロディでポエティックに愛をささやくこの歌が、今のところ永く愛されているようだ。


IF (1971)
(Words & Music by David Gates)

If a picture paints a thousand words
Then why can't I paint you?
The words will never show you I've come to know
If a face could launch a thousand ships
Then where am I to go?
There's no one home but you
You're all that's left me too
And when my love for life is running dry
You come and pour yourself on me...

もし一枚の絵が千の言葉を描くのなら
なぜ僕は君を描けないのか?
言葉だけでは僕が知るようになった君を表せない
もし顔ひとつで千の船を動かせるなら
僕はどこへ行けばいいのだろう?
家には君しかいない
僕に残されたのは君だけ
そして人生への愛情が枯れようとする時は
君がやってきて僕に潤いを注いでくれる

もし人が同時に二つの場所にいられるとしても
僕は君といるだろう
明日も今日も、ずっと君とともに
もし地球が自転をやめて少しずつ止まっていくとしたら
僕は終末を君と過ごすだろう
そして世界が終わる時
星が一つずつ消えて
君と僕はただ飛び去っていくだろう

こちらの“If”は、曲も歌詞も、昔の“If”のようにシンプルではなく、複雑だ。何も歌詞やメロディが凝っているからといって、それだけで良い歌になるわけではないが、少なくとも懐メロとは違う雰囲気を持っている。特に抽象的、哲学的な歌詞はなかなか難しく、何か深い意味が隠されていそうだが、蚤助の手には余る。
オリジナルのブレッドのほか、フランク・シナトラ、ジョニー・マチス、オリヴィア・ニュートン・ジョン、果てはフリオ・イグレシアスなんて人も歌っているが、ペリー・コモもそのひとりである。
新しい歌でもコモはいつもの通りソフトに軽く歌う。彼は新旧の“If”を歌ったことになる。



それにしても、当時、稀代のメロディ・メーカーとまで謳われた作者のデヴィッド・ゲイツだが、ブレッド解散後はパッとせずその才能が枯渇してしまった感があるのが残念なことである。

♪ ♪ ♪

もし僕が変われること…はないだろう  蚤助




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