友人のブログを読んで、
何度かここに書いた記憶もあるんだけれど・・・
おひさまは特別支援学級在籍。そして、交流級は5年1組。
う~ん・・・でも、おひさまの小学校の支援級の子は皆、交流級っていうよりも、
学年のクラスの子で、支援級でも学んでいるという感じ。
5年1組の名簿にも、5年1組5番におひさまの名前があるし、
5年1組の担任の先生の家庭訪問も、個人懇談も、予定表の中に組み込まれているし、
教室の絵や習字の掲示も、出席番号のところに飾ってあるし、
靴箱も、クラス写真も、体育のソフトボールやバスケットボールチームだって、
5年1組の児童の一人としてそこに名前がある。
入学したときから、そうだから、私は支援級の児童ってそんな感じなんだな~と、
それを、普通に、当然に、あたりまえに、感じていて、
入学したときに、みんなと一緒に座ってる姿に感動したりはしたけれど、それだけで、
ありがたいとも嬉しいともあんまり思っていなかった。
でもね、北九州市や福岡市(もういいや!市町村名を出しちゃえ!!)の友達と話して、
「参観で交流級のときも、名簿に名前がなくて、ちょっと悲しくなるんよね。」
「そうそう、良い先生だと、最後のところに手書きで付け足してあったりはするんだけれどね。」
なんて話を聞いてね。
ある学校では、入学式の写真でさえ、支援級での入学なんて一人なのに、
1-1、1-2、特別支援級で写真を撮ったとかも聞いてね。
どちらの市も就学相談では「支援級は軽度の子だけです!!」なんてスタンスで、
障害の程度が軽い子じゃないと、支援級判定にならない。・・・支援級に入学するのも大変なんだな~なんて幼児の頃は思ったもんだった。
きっと、交流級で受ける授業が多い子もいるはず。
なのに、なにゆえ、そこに名前がないのだろうか???
子どもは大人の合わせ鏡。
支援級の子を別って学校側がしちゃってたら、
子どもはそう思うじゃない。
あの子たちは別だって。
現に、北九州に引っ越していったおひさまの同級生の男の子(健常児)は言ってたもん。
「おひさまくんは、1年2組だったけど、
こっちの○○学級の子は、2年1組とかじゃないけん、よくわからん。
クラスに、音楽や図工の時間にいる支援級の子おるけどね。」
友人は学校側にお話しして、名簿にはいつも名前をのせるよう約束してもらったらしい。
私が名簿に名前があるのがあたりまえだと思ってたように、
どんな環境も、それがあたりまえ
悲しい気持ちになっても仕方ないか・・・なんて思ってしまうから、
保護者の気持ちをお話ししたこと、えらいな~と思った。
私は、これが、市の教育委員会としての対応なんだとしたら、
福岡市は高島市長に訴えたほうがいいんじゃないか!!なんて思ったりもしててさ。
おひさまの先生に、友人たちから聞いた話をどう思います~??なんて聞いた時、
「おひさまくんは支援級ですけれど、5年1組の児童の一人ですしね。」って言われていた。
改めて、おひさまの環境に感謝した。