さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

翠さんのこと

2019年09月05日 21時53分55秒 | 日記
このブログにコメントを頂いたので、ご存知の方が多いと思いますが、私の大切な戦友の翠ちゃんが永眠されました。

彼女が再々発された2年前からブログを書いていたのを知りませんでした。

私が自家移植、翠ちゃんが初めての同種移植の時に知り合いました。
全くタイプの違う二人でしたが、その時のほかの女性患者さんと一緒に、クリーンルーム内で過ごしました。
くだらないイタズラをナースにしたり、退院したら、みんなでディズニーに行こう!とか話していました。
体調が悪い時はお互いに干渉せず。

退院してから、お互いの家を訪ねたり、外来が一緒になるとずっとおしゃべりしたり。
文章を書くことが好きで、とても良い詩を書いて、出版したときは、書店でいち早く手に入れて、泣きながら読みました。
とても、キュートで繊細で、華奢なのに芯の強さのある女性でした。

一度再発したのは、最初の移植から7年が経過し、定期的なフォローは必要ないね、と外来からも卒業した矢先の事でした。
二度目の移植は主治医が部長を務める分院でされたので、お見舞いもあまり頻繁には行けませんでした。
でも、彼女にとって二度目の移植はかなりしんどいものでした。

お互いにオマケの人生、まだまだこの世で修行しないといけないと思っていました。先の人生を思い描けない時間を長く過ごしてきたので、いきなり、この先の人生を考えなきゃいけなくなるのは、戸惑いであり、迷惑な話でもあったわけです。
しかし、不思議なもので、当たり前の日常が続き、低空飛行ながらも日常を手にしてしまうと、今度は今の状態が当たり前になる。

私も同種移植はかなり厳しい闘いでした。実際に医者が厳しいと思うタイミングがあり、私はその時はほとんど意識がないので楽なものですが、半年間の入院で精神的に限界に達した事も何度もありました。
でも、喉元過ぎて忘れた感覚のほうが多いのが事実。

しかし、翠ちゃんは再々発してからは無治療を貫きました。
もちろん、それも、彼女の人生。
私の気持ちとしては、もう一度、頑張って欲しい!と思いました。でも、彼女自身の口からは再々発の事実を仲間に告げることさえありませんでした。だから、こちらから言えません。

そんな時、久しぶりに会った翠ちゃんがすごく痩せていて…。ただ、心配でその事を話しました。

しかし、「痩せたみたいだけどどうしたの?」と言う言葉が彼女を傷つけてしまった事をのちに知りました。
以来、不用意に彼女を傷つけてしまう事が怖くて、少し距離を置いてしまいました。

その事が結果的に後悔になり、
しかし、彼女のブログを読み、私の立場や未熟さでは、距離を置いた事が決して間違いではなかったと分かりました。
それ以上に、彼女の紡ぎ出す言葉の力に、なんとも言えない気持ちになり。
最後の一年のブログからは、たくさんの事を教えてもらいました。

もちろん、まだまだ消化しきれてないものの、翠ちゃんに対して、こう思うのでした。

お疲れ様でした。
良かったね。

ありがとう。
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