小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

「えちご」よお前もか

2008-12-17 01:33:53 | 鉄ネタなんてどうよ?
これはもう間違いなく、数年後には「夜行列車」という言葉が死語になる…ということなのだろうか…。

夜行快速「ムーンライトえちご」来春廃止(産経新聞) - Yahoo!ニュース
首都圏と新潟県を結ぶJR東日本の夜行快速「ムーンライトえちご」(新宿-新潟駅、6両編成)の定期運行が来年春のダイヤ改正で廃止されることが16日、分かった。期間限定で普通列車が1日乗り放題になる「青春18切符」が使えることから“貧乏旅行”の愛好者らに人気があった。来春以降は年間約100日運転の臨時列車になるとみられる。

 「ムーンライトえちご」は昭和61年に東京都の新宿駅と新潟県の村上駅を結ぶ夜行快速として誕生し、翌62年から定期列車に格上げになった。平成14年に下りが新潟駅まで、16年には上りも同駅始発に短縮された。現行ダイヤで上りの新宿駅到着は、首都圏の始発電車が動き始めた午前5時10分。朝1番で活動するため、途中の高崎駅から乗ってくる利用者も少なくなかったという。

 数年前から格安の深夜バスやビジネスホテルに押される形で、夜行列車の廃止が相次いでいる。「ムーンライトえちご」も春夏冬の年3回発売される「青春18切符」の利用期間に満席になることはあっても、それ以外は空席が目立っていたという。


「えちご」よお前もか…。・゜・(ノД`)・゜・。

この時期になると、来春のJRのダイヤ改正の話題がちらほら聞こえてきて、そのたびに合理化の波にさらされる夜行列車の改廃のニュースばかりが飛び込んでくる。
ともすれば「格差社会」と揶揄される世の中にあって、青春18キップや乗車券だけで乗れる夜行列車は、それなりに需用があると思っていたのだけれど、やはりシーズンオフの乗り具合があまり芳しくなかったようで、とうとう「ムーンライトえちご」も定期列車としては廃止されることに…。

で、アレでしょう。
年間100日程度の運転日数といいながらも、100日も運転するのは最初の年度だけで、3年も経てば最混雑日以外は動かない設定にして、動いちゃいるけどなかなか乗れない列車に仕立てていってやがて安楽死…という図式が目に浮かぶ。
そういう意味では、中央夜行が臨時化された時にも同じような臭いは感じたのだけれど、なんとか「ムーンライト信州」として生き残っているのは、ある意味奇跡としか言いようがない。

思えばこの「ムーンライトえちご」も、函館~札幌間の夜行快速「ミッドナイト」が運転されていた頃は、2夜行で札幌に着けたので、俗に言う「18キッパー」には使いでのある列車だったのだけれど、「ミッドナイト」が無くなると、どこかで地上泊をするか、2夜行で着くために急行「はまなす」に投資するか…という選択肢しか無くなってからというもの、対新潟への列車としては十分役割を担ってきたのだが、ではそこから列車を乗り継いで…といわれると、実はあまり使い勝手が良くなかったのも事実で…。
例えば、この列車で富山・新潟方面を目指そうとすると、単純な経路では長岡乗り換えで信越線を西へ向かうことになるのだけれど、「ムーンライトえちご」を長岡で降りて信越線に乗り換えても、新潟まで行って信越線を長岡まで折り返し上っても、新潟から越後線で柏崎へ回っても、乗る列車が全く一緒になるという罠が仕掛けられていたりする。だったらやっぱり、「安くて便利な急行能登をご利用下さい」「速くて快適な寝台特急北陸をご利用下さい」という話になるだろう。その「能登」も、果たしていつまで走り続けるのか…という問題も抱えている。

しかしながら、日本海側への鈍行列車の旅を志そうとすると、どうしても「ムーンライトえちご」や、前身の「ムーンライト」号にたどり着かざるを得ないのだ。

初めておいらが「ムーンライトえちご」に乗ったのは、1988年12月。
某鉄道系作家の乗り継ぎ旅行で北海道を目指す旅立ちの列車だった。
当時はもちろん「ムーンライト」という愛称で、シーズン中にもかかわらず、165系の3両編成。
元グリーン車の座席がズラリと並び、生まれてはじめて飛び込む汽車旅イベント系の旅行に、当時中学2年生だったおいらはもう胸がどっきんこどっきんこでろくすっぽ寝られず、一睡も出来ぬまま北へ、北へと列車を乗り継いで行ったっけ。
当時はまだ酒田以北が客レの独壇場、客車列車の「ガッシャーン!!」という荒っぽい引き出しも、ここで初めて教わった。今や客車列車自体が少数派だから、このような荒っぽい運転にお目にかかることはまず無いはず。
おいらにとっての50系客車=この時の旅の思い出ですわ…。

2度目に乗ったのは、約7年後の1995年10月。
この時の目的は…。

新潟競馬でした。

夜行明けで馬券の成績は散々でございまして。ええorz

3度目は2001年9月。
この時は金沢競馬場への遠征が目的で、この列車を新潟まで乗り通し、越後線を制覇して、柏崎から信越、北陸線を西へ向かっている。
4度目は2004年1月で、この時は陸羽西線の走破ついでに、一度乗ったことがある陸羽東線へ回って、シーズンオフの鳴子温泉を心ゆくまで堪能している。
この時は「早稲田の湯」へ立ち寄ったので、今度は是非地元の外湯へ出かけたいものだ。

本当なら、夜に移動出来るというのは、現地に朝早く着くことが出来て、ストレスのない移動手段だと、個人的には思うのだけれど、このような移動手段は、もはや時代遅れなのだろうか。
メディアでは昨今狂ったかのように、流行り物として紹介されているのに…。

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2 コメント

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えちご号…(涙) (陀羅尼助丸(Mえちご号は私の相棒))
2008-12-17 03:10:35
関西在住の私ですが「ムーンライトえちご号(ムーンライト号時代も含めて)」は、何回乗ったか分かりません。
当然!9割は18きっぷ利用ですが。
とにかく!冬の上越線が好きで…好きで…(≧▽≦)ゞ。
1月と3月(18きっぷ期間)の毎週末は必ず~えちご号に乗り新潟入り~上越線をウロウロ…。
超!寒い早朝の長岡に降り立ち始発の越後中里行きに乗り…雪の八海山の山頂から白々と明るくなる朝焼けを眺めるのが好きで…vv。
20代の頃はスキー板を担いで‥えちご号に乗り込んだ事もありましたなぁ…。
スキーは下手ッピ!ですが…orz。
そんな思い出深き“えちご号”が廃止の一歩を歩み出したのは残念で残念でなりません(ノ_・。)。。
確かに、2月の上越線を旅してみたいと思い~周遊きっぷ(今は無き越後湯沢ゾーン?だったと思う)を絡めた乗車券で乗った時の“えちご号”はガラガラのガラ空きでした。
18きっぷ期間以外は、いつも…ガラ空き状態で走ってたのなら…、致し方ないのかなぁ…(泣)。
よくも今まで、定期列車として従事してたものだ!と感心するのが正道なのかもしれませんなぁ…。
…とにかく寂しい限りです(泣)。
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あ~ (小馬太郎兵衛)
2008-12-18 01:24:44
雪見酒ですな。
乗り鉄の雪見酒とはこれまた風流で…。

冬場だと、さすがに乗車券だけで夜行快速を使った汽車旅を思いつく人はなかなかいないですから、シーズン中以外はガラガラ…というのも、無理からぬ列車なんですが、新潟に朝一番で着けるのは魅力だったんですよねえ…。
新幹線だと8時半前になってしまいますから。

新潟競馬が遠くなる…(泣)。
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