旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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冬の風物詩、光のページェントも終わり。

2016年02月18日 21時19分08秒 | 日記
 久しぶりに郡山の駅前に行ったら、冬の風物詩の光のページェントが終わっていました。

 

 郡山駅前。



 



 



 



 



 

 
 郡山でも梅の開花の便りも聞かれる今日この頃。

 待ち遠しい、春の足跡が聴こえて来るような季節に成りました。
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昨日の温かさから一変。

2016年02月15日 22時23分35秒 | 日記
 
 昨日はコートが要らないような温かさだったのに、

 今日は寒さが身にしみる1日に成りました。


 

 先日降った雪も解け始め、良く観るとチューリップの芽が顔をだしていました。



 

 イキシアの葉は無残に雪で押しつぶされて。

 梅の便りがちらほら聴こえ来る今日このごろ、

 今年初めての草むしりをしました。
 
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鎌倉。浄妙寺・報国寺へ。帰り道、鎌倉野菜を頂き。

2016年02月13日 21時17分15秒 | 旅の途中で
 今回の大人の休日クラブで、行きたかった所。

 鎌倉の浄妙寺・報国寺へ。

 鎌倉駅 東口より京浜急行バス 5番乗り場。[鎌23] 鎌倉霊園正門前太刀洗行

 バス停は浄明寺バス停下車。行き先案内板に沿って行くと浄妙寺の山門が見えてきます。 


 

 浄妙寺「山門」。

 バスに乗ると浄妙寺ではなく「浄明寺」となっているのに気付きます。これは格式のある禅宗寺院に対する配慮からバス停を浄明寺としているとか。臨済宗建長寺派の『稲荷山 妙廣利禅寺』です。淡島明神を安置している事から、婦人病の祈願所としても有名なお寺です。

 現在は金沢街道と呼ぶ六浦道沿いにある浄明寺は、源頼朝に協力した足利氏の氏寺です。鎌倉公方屋敷が近隣にあるなど南北朝時代から義満時代は最盛期を究めていました。本堂の左『喜泉庵』では美しい枯山水庭園を眺めながら静かな一時を過ごせるのも浄妙寺の魅力なのです。

 

 

 浄明寺境内案内板。



 

 浄明寺参道。



 

 浄明寺。
 


 

 浄明寺本堂。

 寄棟造の銅板葺きで「起り」と呼ばれる、膨らむような形の屋根が特徴の建物。現在の本堂は1756年に再建されたと伝わる。堂内には南北朝時代に作られた鎌倉十三仏の一つである本尊の木造釈迦如来坐像や、お産の神である木造淡島明神立像、開山の退耕行勇坐像(南北朝,重文)が安置されている。



 

 平成3年に復興された喜泉庵からは、枯山水庭園を楽しみながら抹茶で静かな時を過ごすことが出来ます。
非常に静かな事や、人が少ない穴場であることもありタイミングがよければ貸切状態で庭園を眺める事も可能なのも嬉しいですね。足利紋の入った落雁がお干菓子になっているのも浄妙寺らしいのです。


 

 枯山水庭園。



 

 枯山水庭園。
 
  
 
 

 参道沿いに咲く紅梅・白梅。

 

 

 苔の紅葉。

 苔の紅葉、光を受けて綺麗に輝いて居ました。



 

 紅梅。例年だと2月になると本堂前の庭園に紅白の梅の花が咲き誇るが、今年は咲き始めていました。



 

 紅梅・白梅沿いに眺める本堂。 



 

 浄明寺。 



 

 浄明寺山門を後に。

 観光客が居なくてゆっくり散策することが出来ました。






 次の目的地「報国寺」へ。

 

 報国寺山門。



 

 報国寺の案内板。



 

 竹林で有名な報国寺。


 
 

 本堂西側の竹の庭は1000本を超す孟宗竹が見事な景観を見せる。



 

 枯山水の庭園。



 

 足利一族のやぐら。

 報国寺の開基である足利家時や永享の乱で自刃した足利義久のものだと考えられている。やぐらの中には多数の五輪塔が置かれている。



 
 
 報国寺は、竹の庭が有名ではありますが、苔の美しい寺としても人気があります。なんと、境内には数十種類もの苔が生息しています。



 

 梵鐘。



 

 本堂。

 本尊は「釈迦如来像」、「文殊菩薩像」「普賢菩薩像」は宅間法眼作と伝わる。




 

 紅梅。



 

 竹林でも有名ですが、紅葉の季節に又来たいお寺でした。

 紅葉と・竹林とのコントラストが綺麗だとか。

 竹林で有名な報国寺を後に。

 鎌倉駅に向かう途中の。

 

 「かん太カ」と言うカレー屋さんでキーマカレーを頂き。


 

 キーマカレー


 

 鎌倉野菜の美味しかったこと。

 ジャガイモの甘さがいつまでも口の中に残っていました。

 鎌倉駅から帰路に着きました。
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北鎌倉。浄智寺・東慶寺・鶴岡八幡宮。

2016年02月09日 22時52分58秒 | 旅の途中で
 今回の「大人の休日クラブ」では、「真田丸」の「上田城」に行ったり。

 鎌倉の、まだ観ぬお寺に行ったり。

 JRでの電車  旅でした。
 

 その中の一つ。鎌倉「浄智寺(金宝山)」鎌倉五山の第四位のお寺に。
  
 参道は砂岩の一種である鎌倉石で舗装されている。重層一間一戸の「三門」は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴である(近年この門は全面的に改築されてまったく新しくなってしまった)。この門をくぐったところに、本尊の三世仏を安置する「曇華殿(仏殿)」がある。境内は樹木が豊かで起伏に富み、江ノ島鎌倉七福神の一つである「布袋」の石像をまつる洞窟もある。

 寺域は全山が1966年(昭和41年)2月28日、国の史跡に指定されている。

 臨済宗円覚寺派・淨智寺が創建された十三世紀の終わり頃の鎌倉は、北条氏の勢力が極めて盛大で禅宗が栄えた時期であった。「淨智寺」は、鎌倉五山の第四位である。鎌倉幕府五代執権・の三男・宗政が29歳の若さで弘安四年(1281)に没し、八代執権・北条時宗が弟の菩提を弔う為に、その夫人と子・師時を開基として建てた寺である。

 延文元年(1356)の火災で,当初の伽藍は焼失したが,室町時代には「方丈」,「書院」,「法堂」など主要な建物や塔頭があった。しかし関東大震災で殆ど,倒壊し,現在は「三門」・「楼門」や新しい「仏殿」・「方丈」・「客殿」等が伽藍を造っている。

 

 浄智寺入り口。



 

 境内入り口にある湧き水は鎌倉十井のひとつ「甘露の井」である。また、寺の裏山からは「源氏山」に抜けられる。



 

 浄智寺。



 

 浄智寺「総門」。


 

 浄智寺。重層一間一戸の「三門」は、上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の意匠が特徴である。



 

 浄智寺「曇華殿(仏殿)」。「阿弥陀」,「釈迦」,「弥勒」の木造三体の仏像が安置されている(県重文)。



 

 浄智寺の花を求めて。



 

 浄智寺の花を求めて。



 

 浄智寺「庫裏」。



 

 浄智寺「布袋」の石像。私も「布袋」のふくよかなお腹をさすって。



 

 浄智寺。江ノ島鎌倉七福神の一つである「布袋の石像」をまつる洞窟もある。



 

 浄智寺「やぐら群」。



 

 浄智寺「庫裏」。



 

 浄智寺に別れを告げ。

 次の目的地東慶寺へ。



 

 

 東慶寺。

 1285年開創 開山は北条時宗の妻「覚山尼」。

 江戸時代には千姫の養女・「天秀尼」が住職を努めた。


 
 

 東慶寺(松岡山)
 東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。また、実際には離婚に至らず、調停の結果、復縁するケースも多かったという。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治5年(1872年)まで続いた。

 縁切り寺:離婚専門裁判所。
 御用宿:離婚専門弁護士。
 妻は離縁状が発行されても、男は直ぐに再婚できるが、女性は24ヶ月約3年お寺に居た。

 

 東慶寺「参道」・「山門」。
 


 

 東慶寺「参道」。春の気配を感じさせられる花を。



 

 東慶寺「鐘楼」。


 

 東慶寺「鐘楼」天井の龍は、色褪せたものの、 今も空駈ける様子が生き生きと描かれています。



 

 東慶寺「本堂」。



 

 東慶寺「本堂」。

 「奉平殿(昭和10年創立)」 ご本尊釈「迦如来座像」。元々は文殊菩薩・普賢菩薩が仕えていたが関東大震災で焼失した。




 

 東慶寺「本尊」:釈迦如来坐像。



 

 東慶寺「金仏」。



 

 東慶寺立礼茶室「白蓮舎」。



 

 東慶寺茶室「寒雲亭」。



 

 東慶寺花便り。「梅」



 

 東慶寺花便り。「梅」



 

 東慶寺花便り。


 


 

 鶴岡八幡宮。



 

 鶴岡八幡宮「厄除大祭」。大勢の人手が。

 厄除大祭の御祭り期間中でした。



 

 鶴岡八幡宮「源平池」。



 

 鶴岡八幡宮「旗上弁天社」。
 
 鎌倉七福神祭り。



 

 鶴岡八幡宮旗上弁天社案内板。



 



 

 鶴岡八幡宮「舞殿」。



 

 鶴岡八幡宮「本宮」。

 鎌倉を 
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古都鎌倉へ。

2016年02月07日 00時03分49秒 | 旅の途中で
 
 春を求めて鎌倉へ。

 鎌倉の駅を降り、小町通りへ。

 小町通り沿いに、並ぶお店を見ながら歩いて居ると、鎌倉市「川喜多映画館」の看板が。

 原節子さんのポスター等が張って有ったので、興味が有り行ってみる事にしました。



 

 映画の上映館の様で、映画の上映をしていました。



 

 「川喜多映画記念館」の前の通りを歩いて居ると、「寿福寺」の案内板が。

 「寿福寺」前から知っていた寺院でしたが、

 一度も行った事が無いお寺さんだったので行ってみる事に。

 道なりの歩いて行くと突き当たりに、、「寿福寺」が有りました。

 尚、「寿福寺」に行くのは歩  いて行くしか有りません。鎌倉駅西口徒歩約10分(バスの路線はありません)。

 私は小町通りを歩いて行きましたが、横須賀線の線路沿いに歩いて行くと約10分程度で着くようです。



 

 寿福寺「総門」。

 門前の石柱には寺号である「壽福金剛禅寺」が刻まれある。

 寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。鎌倉五山第3位の寺院である。山号を「亀谷山(きこくさん)」と称し、寺号は詳しくは「壽福金剛禅寺」という。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。



 

 寿福寺案内板。



 

 総門から仏殿の見える山門までは300mほど参道を進む。桂敷きという技法で作られた石畳の参道は整然としている

 四季を通じ参道が美しい名刹「寿福寺」でした。



 

 寿福寺の拝観はお休みでした。



 

 山門から手を合わせ、遠くからの参拝に。



 

 英勝寺「えいしょうじ」。

 このお寺も、今日は拝観がお休みでした。

 浄土宗 「東光山英勝寺」。鎌倉では唯一の尼寺だそうです。

 開基の「英勝院尼」は、太田道灌の子孫で、お勝の方と呼ばれ、徳川家康に仕えた。

 水戸家初代徳川頼房の養母をつとめ、家康の死後出家して「英勝院」と号した

 1636年、三代将軍家光から祖先道灌の土地を賜り、英勝寺を建立。

 頼房の息女・玉峯清因を開山に迎え、以後代々の住持を水戸家の息女がつとめたため、水戸御殿ともいわれた。

 総門(県重文)の屋根には徳川家の三葉葵の紋を掲げている

 創建時の面影を残す仏殿、鐘楼(袴腰付楼閣形式)、祠堂、唐門は県の重要文化財であり、仏殿には、家光寄進の運慶作阿弥陀三尊像が安置されている。

 山門は2011年に修復された。

 四季折々の花が見られ、花の寺としても知られている。

 横須賀線、線路沿いを歩いて居ると。

 道路上に「海蔵寺」の案内板が。



 

 海蔵寺は臨済宗建長寺派の禅寺です。

 海蔵寺は鎌倉源氏山の山麓にあり、化粧坂切通し(鎌倉化粧坂切通交通地図)にも近いです。 

 海蔵寺の境内は静かで、四季の花々が美しい花の寺です。

 海蔵寺の創建は鎌倉時代で、七堂伽藍は1333年に焼失しましたが1394年に再建されました。

 鎌倉花の寺として知られているそうです。 



 

 海蔵寺案内板。



 
  
 海蔵寺の門前には「底脱ノ井」があります。海蔵寺底脱ノ井は鎌倉の名水が湧く鎌倉十井の一つです。海蔵寺底脱ノ井の名水は鎌倉時代には重宝されたようです。鎌倉時代より、海蔵寺底脱ノ井にまつわる様々な逸話が伝えられています。



 



 

 山門。

 海蔵寺のハギの花は有名で、秋にはたくさんの人々が訪れます。海蔵寺のハギは8月から咲き出し、海蔵寺のハギの花は小さく繊細な花で、秋風に揺れる姿は風情が有るようです。 


 

 鎌倉は。この季節、梅の花が咲き始めていました。



 

 海蔵寺の静かな境内には鐘楼があります。鐘楼の横にカエデの木があります。海蔵寺のカエデの紅葉も美しいです。カエデの木の下に、禅寺には珍しい花傘がありました。花傘の下には、海蔵寺の由来を記した案内資料が置かれていました。案内、資料を頂いて志納金を置いてゆくのも良いですね。
 


 

 正面は本堂、左は仏殿、右は庫裏。

 海蔵寺の本尊薬師如来は薬師堂に安置されています。日光菩薩、月光菩薩、十二神将に守られて座しています。海蔵寺の本尊薬師如来の胎内には胎内仏が収められています。胎内仏を拝めるのは61年ごとだそうです。


 海蔵寺の拝観料は無料でした。

 

 
  
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