日本共産党相模原市議会議員(緑区)田所健太郎のタドケン通信

こんにちは!相模原市議会議員(緑区)・日本共産党の田所健太郎です。
活動の様子、話題などをお伝えします!

3年ぶりに石巻市へ ―― 市立大川小学校、日和山公園など

2018-03-17 20:59:46 | 東日本大震災被災地を訪ねて

 3月12日、南三陸町を訪ねた後、3年ぶりに石巻市に行きました。
<3年前のブログ>
「2015.3.11 宮城県石巻市へ(その1)~JR石巻駅周辺にて~」
「2015.3.11 宮城県石巻市へ(その2)~門脇町・南浜町地区にて~」
「2015.3.11 宮城県石巻市へ(その3)~日和山で14時46分を迎える~」
「2015.3.11 宮城県石巻市へ(その4)~街中で見つけたもの、気になったこと~」
「2015.3.11 宮城県石巻市へ(その5・最終回)~3月11日の新聞より~」

 石巻市中心街に行く途中に立ち寄ったのは、石巻市立大川小学校です。
 北上川を遡上してきた津波により、74人の児童と10人の教職員が犠牲になりました。犠牲になった74人の児童のうち4人は、現在も行方不明となっています。
 大川小学校は海から3.8kmも離れていますが、約8.6メートルの高さの津波が小学校を襲いました。
 テレビや新聞で映像等を見ていましたが、実際に生で見て、その被害の大きさに言葉を失いました。



 その後、車を走らせ、中心街へ。
 震災当日、多くの人が避難をした日和山公園へ。
 日和山公園に掲示されている震災前と比べると、その被害の大きさ、光景の違いがわかります。



 「神奈川から来てくれたのか。ありがとう。」「最近、観光に来てくれる人も減ってるんだよ」 ―― 地元の方の声が今も耳に残っています。
 
 東日本大震災は、私が政治を目指すきっかけの1つでもあります。
 私も今回、東北に行くのが2年ぶりとなってしまいましたが、もっと頻繁に足を運び、自分の目で見て、感じ、考えたいと思います。

 ぜひ、みなさんも東北へ。


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「台湾の皆さんありがとう」(南三陸町・南三陸病院)

2018-03-16 21:26:16 | 東日本大震災被災地を訪ねて

 3月12日、2年ぶりに宮城県南三陸町を訪ねました。
◆2016年3月14日のブログ「3.11から5年が経った宮城県南三陸町へ行ってきました」

 2年前とは、やはりいろいろと変わっていました。
 例えば、有名な「南三陸さんさん商店街」は、2年前の場所からお引越し。新築され、とても広々としたきれいな商店街になっていました。

 そして、建物ごと津波に飲み込まれ、町職員ら43人が犠牲になった「南三陸町防災対策庁舎」は、2年前はすぐ目の前まで行くことができましたが、周辺工事の関係で、近づくことができなくなっていました。


 「南三陸さんさん商店街」からは、嵩上げ工事の影響で、3階から上しか見えない状態に。


 今回、どうしても見たかったのが、南三陸病院敷地内に設置されている石碑です。
 南三陸病院は、2015年12月に再建されたのですが、総建設費約56億円のうち、約22億円が中華民国紅十字会(台湾紅十字組織)からの義援金で建設されました。
 敷地内の石碑には、「台湾の皆さんありがとう」と記されています。
 2月初めに台湾東部で発生した大地震の際には、町内各地で募金活動がおこなわれたそうです。



 町内での嵩上げ工事ですが、手前のダンプカーと比較すると、とても高いことがわかります。


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東日本大震災から7年の14時46分は、三陸鉄道「震災学習列車」の車内で

2018-03-14 10:20:37 | 東日本大震災被災地を訪ねて

 東日本大震災から7年を迎えた2018年3月11日の14時46分は、三陸鉄道北リアス線の「震災学習列車」車内で迎えました。

 案内役は、三陸鉄道の運転士さん。
 震災当日はお休みで、宮古市の自宅で被災し、津波に飲み込まれた生々しい体験談をお話ししてくださいました。

 「震災学習列車」は、私たちツアー参加者だけの貸切団体列車。14時45分に久慈駅を発車し、田野畑駅へ。
 震災が起きた14時46分、列車は北リアス線の陸中野田~十府ヶ浦海岸駅間で停車し、海に向かって黙祷しました(朝日新聞が取材に来ていて、翌朝の「岩手面」に記事が。黙祷をする私が写り込んでいます)。


 震災から5日後の3月16日には、被害が少なかった久慈~陸中野田駅間で運転を再開し、「震災復興列車」として無料で運行したこと。
 「お客さんが、私たち運転士の手を取って、とても喜んでくれた」 ―― 三陸鉄道の復旧・復興の話も伺うことができました。

 他の場所で地元の方とお話しする機会があったのですが、「三鉄の音がしなくて寂しかった」、「今は、列車が来たら、大きく手を振ってるんだ」と話されていました。



 堀内(ほりない)駅には、NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」で使われた駅の標識が。
 この駅が「あまちゃん」の中では、「袖が浜駅」となっていました。


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「津波がなければ、被害は少なかった」(岩手県野田村にて)

2018-03-13 23:04:31 | 東日本大震災被災地を訪ねて

 2018年3月11日、ツアーで岩手県野田村を訪ねました。
 震災前年まで野田村役場で課長を務めていた方が、ボランティアガイドとして案内してくださいました。

 東日本大震災による野田村の被害は以下の通りです。
  ●震度5弱を記録
  ●最大約18メートルの津波が襲来
  ●死者:37人(村民28人、村外9人)
  ●行方不明者:0人
  ●住宅被害:515棟
  (全壊311棟、大規模半壊136棟、半壊32棟、一部損壊36棟)

 ちなみに、東日本大震災では、相模原市も震度5弱。
 「津波がなければ、被害は少なかった」というガイドさんの言葉に、ものすごい重みがありました。
 津波により全村の3分の1の住家が被害を受け、主幹産業のホタテ養殖にも甚大な被害が出ました。

 一番上の写真は、昨年6月に新築された「保健センター」。津波避難ビルの機能も持っています。
 外壁には「東日本大震災 津波浸水位4.7M」と記されています。

 現在、村内では防潮堤の復旧工事が進められています。
 野田村には震災前から高さ12メートルの防潮堤があったのですが、現在は2メートル高くして、14メートルにする工事が進められています(防潮堤があったことにより、行方不明者が出なかったそうです)。


 「道路や建物はお金で復興できるが、人の心、思い出、コミュニティは復興できない」 ―― このガイドさんの言葉は、私の心に突き刺さっています。



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東日本大震災から7年 ―― 岩手、宮城を訪ねました

2018-03-12 23:21:50 | 東日本大震災被災地を訪ねて

 2018年3月11日 ―― 2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災から7年となりました。
 私は今年、3月10日夜の高速バスに乗り、2年ぶりに被災地を訪問しました。

 3月11日は、銀河鉄道観光主催のツアー「今だから、現在(いま)を感じる三陸。北リアス線コース」に参加。
 野田村では、震災ガイド(野田村役場の元課長さん)が村内を案内してくれました。


 「あまちゃん」で有名になった三陸鉄道の貸切団体列車「震災学習列車」に乗車し、当時のこと、復旧・復興の過程の生の体験談を伺いました。
 14時46分は、陸中野田~十府ヶ浦海岸駅間で途中停車し、車中から海岸に向かって黙祷しました。

 3月12日は、仙台からレンタカーで南三陸町、石巻市を訪ねました。
 南三陸町は2年ぶり、石巻市は3年ぶりでしたが、この間の復興事業により、街がガラリと変わっていました。道路工事も進んでいて、カーナビがほとんど役立たずでした。


 児童74人、教職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校にも足を運びました。


 今回の旅で感じたことをうまく言葉にすることができなさそうなのですが、順次、このブログで報告したいと思います。

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3.11から5年が経った宮城県南三陸町へ行ってきました

2016-03-14 19:32:38 | 東日本大震災被災地を訪ねて
 3月11日夕に東京を出発し、宮城県へ行きました。
 私の人生を大きく変え、社会への見方を変える大きなきっかけとなった東日本大震災。昨年に続き、3.11に被災地に足を運びました。

 11日夜は、名取市へ。名取市役所でおこなわれた「3.11なとり・閖上追悼イベント2016」へ。3000基の絵灯籠が並べられ、犠牲者を追悼しました。
 名取市では、1000人近い方が犠牲になっています。



 12日は、早朝の高速バスに乗り南三陸町へ。
 現地団体主催の被災地バスツアーに参加し、現地の方の案内により、南三陸町内を巡りました。

 南三陸町は、20メートルを超える津波が押し寄せ、600人超が犠牲となり、未だに行方不明の方も多くいます。町内では、嵩上げ工事が進められています。






 被災地に足を運び、被災地を見て、触れて、学ぶことの重要性を改めて感じました。特に今回は、南三陸で生まれ育った地元の方の案内だったので、生の話を聞くことができました。1泊2日のちょっと弾丸日程でしたが、非常に有意義な被災地への旅となりました。

 今度は、津波被害だけでなく、原発事故の被災地でもある福島に足を運びたいと思います。

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2015.3.11 宮城県石巻市へ(その5・最終回)~3月11日の新聞より~

2015-03-16 18:17:09 | 東日本大震災被災地を訪ねて
 こんばんは、田所健太郎です。

 宮城県石巻市へ(その5・最終回)です。

 私は旅行をするとき、必ず旅先の地方紙を購入することにしています。今回は、「河北新報」(朝刊・夕刊)と、震災直後から手書きの壁新聞を避難所に届け続けたことで話題になった「石巻日日新聞」を購入しました。



 今回は、この中から、「河北新報」の社説を紹介したいと思います。以下が、2015年3月11日の社説です。


 いま、塩崎賢明『復興〈災害〉―― 阪神・淡路大震災と東日本大震災』(岩波新書、2014年12月)を読み進めています。
 この本の中で、阪神・淡路大震災における「創造的復興」について、「創造的復興は、当時の貝原俊民兵庫県知事が用いた言葉で、『単に震災前の状態に戻すのではなく、21世紀の成熟社会にふさわしい復興を成し遂げる』という趣旨であるが、その実態は『創造的』という美しい言葉とは裏腹に、被災者に光と影をもたらす『開発的復興』であった」と指摘しています。

 今回、東日本大震災から4年を迎えた宮城県石巻市に足を運び、「被災地のいま」を見て感じたことは、「『復興』とは何か?」ということです。被災地に心を寄せ、これからもできるだけ定期的に被災地に足を運び、「『復興』とは何か?」について考えていきたいと思います。

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2015.3.11 宮城県石巻市へ(その4)~街中で見つけたもの、気になったこと~

2015-03-15 18:29:53 | 東日本大震災被災地を訪ねて
 こんばんは、田所健太郎です。

 宮城県石巻市へ(その4)です。

 石巻の街を歩いていて見つけたもの、気になったことを紹介したいと思います。

 立町というところに、「石巻立町復興ふれあい商店街」がありました。右下の木製の看板には、世界的な指揮者の佐渡裕さんのサインが描かれていました。


 「石巻まちんなか商店街」では、高いビルを「緊急一時待避所」に指定し、津波警報が出たときに緊急退避できるよう、目立つ看板が設置されていました。


 街中の建物の壁には、手書きで「2011 3.11津波の水位」と記されていました。シャッターよりも高い位置で、想像がつきません。


 お昼ご飯は、地元のお寿司屋さんで海鮮丼を頂きました。地元で採れた海の幸がたくさん使われていて、とっても美味しかったです!


 復興公営住宅の建設も進んでいますが、数は絶対に足りないと思います。「3月1日着工予定」という復興公営住宅の建設予定地も見つけましたが、建築計画の看板をよく見ると、施工者欄に「未定」と。東京オリンピックやリニア中央新幹線建設という大規模開発事業がおこなわれることにより、被災地復興に大きな影響が出るのではないかと私は心配しています。


 地元の方々は一生懸命、生まれ育った街を復興させようと商売を再開させたりと頑張っておられますが、政治がそれに応えていないように感じました。
 東北の方々が、地元を復興させるために全力で頑張り続けているなか、政府は、復興予算を減らし、「地元負担」を求めようとしていますが、これは言語道断です。「被災者に心を寄せ・・・」という言葉は、どこに行ったのでしょうか。

 「被災地の復興こそ、国政の最優先課題」・・・被災地を訪ね、改めて感じたことです。これからも、被災地の皆さんに心を寄せ、応援していきたいと思います。今回は、2012年6月以来の東北でしたが、定期的に被災地を訪ねられるようにしたいと思います。

●日本共産党は3月11日、「“すべての被災者の生活と生業の再建”に国が全力をあげることを求めます 東日本大震災と福島原発事故から4年を迎えるにあたって」という談話を発表しています。ぜひ、ご覧下さい。

 次回の「その5」(最終回)では、3月11日の河北新報や石巻日日新聞を紹介したいと思います。

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2015.3.11 宮城県石巻市へ(その3)~日和山で14時46分を迎える~

2015-03-14 21:24:17 | 東日本大震災被災地を訪ねて
 こんばんは、田所健太郎です。

 宮城県石巻市へ(その3)です。

 私は、2015年3月11日14時46分を日和山で迎えました。日和山は、標高わずか56mですが、震災当日は、この山に多くの人が避難し、「命の山」となりました。目の前には太平洋が広がっていて、津波被害の状況がよくわかります。

 14時過ぎからどんどん人が集まり、報道関係者も多くいました。テレビ局の中継車も来ていました。


 そして、14時46分。市の防災無線からサイレンが1分間流れ、黙とうをしました。
 「あの日も、こんな天気で、寒かったよな」と、4年前のこの日を思い出すようにつぶやく私の近くにいた方、黙とう後も海に向かって手を合わせ続ける人・・・改めて、被害の大きさを実感したところです。

 さて、この日和山には、各地域について解説するプレートと、震災前の写真が掲示されています。これと比較すると、どれだけの被害があったかということが本当によくわかります。

地域の状況について解説するプレート

震災前の様子

2015年3月11日撮影の写真

 改めて、東日本大震災により犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

 次回の「その4」では、石巻の街の中で見つけたもの、気になったことなどを紹介します。

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2015.3.11 宮城県石巻市へ(その2)~門脇町・南浜町地区にて~

2015-03-13 22:33:09 | 東日本大震災被災地を訪ねて
 こんばんは、田所健太郎です。

 宮城県石巻市へ(その2)です。  

 駅前でレンタルサイクルを借り、強風のなか、沿岸地域の門脇町・南浜町地区へ。

 一番、津波の被害が深刻だったこの地区に着くと、建物がほとんどない光景が広がっていました。
 門脇町・南浜町地区は、震災前、約4300人(約1800世帯)が暮らしていたエリアです。しかし、津波によりすべて流され、さらに津波による火災も発生し、被害が深刻でした。海に近い部分は災害危険区域に指定され、復興祈念公園の整備が予定されてます。
 「日常の生活が、あの津波により、一瞬で奪われた」・・・言葉になりません。

 この写真は、門脇小学校の校舎です。もちろん現在は使われていませんが、被害の様子がよくわかります。震災当日、児童は裏手の日和山に避難。しかし、津波と火災により校舎も類焼。校舎前に立つ木は、今も黒く焦げたままとなっていました。



 この写真は、門脇小学校の裏手から、パノラマ撮影したものです。


 建物が立っていない、更地になっている光景がよくわかると思います。
 手前には、墓地が広がっています。多くの墓誌に「平成23年3月11日 ○○才」と刻まれていました。それだけの多くの命が奪われたということを改めて実感したところです。
 この墓地では、墓石が崩れたままのところがいくつかありました。お墓を修復するお金がないのか、それとも、そのご家族みなさんが津波で犠牲になったのか・・・実際、どういう事情かは分かりませんか、いろいろ考えると、本当に言葉になりません。

 この門脇町には、「がんばろう!石巻」の看板が設置されています。「津波に負けたくない、元気を出せないでいる地域を励ましたい」という思いから、地域住民により、震災約1か月後に設置されたものです。
 3月11日当日、テレビカメラも来ていましたし、多くの市民の方がここに足を運び、献花し、手を合わせていました。


 この後は、自転車を置き、徒歩で石巻の街を一望できる日和山公園へ向かいました。

「その3」につづく

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