茨城で「性的少数者が多数派に戻る治療ないのか」発言の問題で、「吊るし上げせず対話で理解を求めよ(やらぬ活動家はダメだ)」という声も出そうだが、ここは学校ではないし、なぜ会議日当を払ったうえで優しく教えてあげなきゃいけないのかとも思う。つくづく「上の立場」の人に優しい国民性なのか?
— 行政書士永易至文/パープル・ハンズ事務局 (@nagayasu_shibun) 2019年5月6日
suzukyさんがリツイート
吊し上げ(つるしあげ)とは、
(縄等で)縛って、高い所に吊るすこと。多数で特定人物(組織)等を厳しく糾弾すること
そりゃまずいだろう。
最終的に理解するか、どうかはべつにして、”治療”しようとした残酷な歴史があること、異性愛者が同性愛者に”治療”して変るものでないのと同様に、同性愛者が異性愛者に”治療して変るものではないこと、などの説得は試みるべきだろう。
この前のミルクシェーキぶっか事件のときでもそうだけど、差別されてきた側、個人の尊厳を踏みにじられてた側は、差別してきた側について、個人の尊厳を踏みにじるような行為をしてもいいのだ、という風潮はいかがなものか、と思う。
それは、日本国憲法の精神を根幹から否定する行為でもあるんじゃないかな?
LGBT支援検討会合 茨城県医師会副会長発言「多数派に戻る治療ないのか」
満川副会長は本紙の取材に「治療は医師として普通に使う言葉だが、あの場では使わない方が良かった。社会の潮流は知っているが、それを当たり前と受け止めるのは医師として引っかかる。戻ることは不可能なのか、そのまま男女の成長をしてもらうカウンセリングはいけないのか」と話す。一方で「私は専門家ではない。無理解な言動もあり得るが、文献や他の委員の意見を参考に考えを整理する」とも釈明した。
資料を提供したり、手続き上しっかりと説明すれば、もしかすると、LGBTの側に立つ可能性がある人ではないかな?